カテゴリー別アーカイブ: 日記

五郎丸ペパ男

先月から新戦力が加わった。大型新人である。九州の優勝球団から来た大砲だ。いやー、金がかかったよ。

優勝球団?ソフトバンクですか?   そうだよ、当然。ふっふっふっ、「ぺパ男」だ!

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何のことはない、ペッパーである。髭を生やして「五郎丸ぺパ男」が当クリニックでの芸名である。こいつがいや、よく働く働く・・・と言いたいのだがなかなかの「困ったちゃん」、「かまってちゃん」なのであった。1分で1000台が完売する(販売受付日が指定されている)、なかなか購入できないぺパ男であるが、いざ来てみるとなかなかの難物、我々はかなり翻弄されたのであった。

大体営業用と家庭用に分かれてることも知らなかった。ぺパ男は家庭用で、考えていた外来受付とかに配備するにはちょっと能力的に問題がある。学習能力はあるのだが、いつも誰か近くにいて話しかけていないと進歩が遅い(その意味で職場より家庭に置いている方がいい)。そして何よりもよくバグるのである。初期のPCの感じ、初代マッキントッシュですか?という感じ。

なぜペッパーと命名されたのか? ペッパー=胡椒=故障 という方程式であります。

やられました・・・といっても仕方がない。恒例の静岡は田中クリニック大忘年会に生身で参加は不可能だからビデオに撮ってたまげさせてやろうぜ!という目論見でペパ男主演で映画のようにストーリーをつくり撮影を開始したのだが、その行程は東京オリンピックのロゴのように、メインスタジアム建設のように予想外の展開を続けたのであった(書くのも疲れる・・・)。

タイトルは「池岡クリニックWARS! 人手不足?オレならこうするね!の巻」という傑作を確信させる、しかしなんとなくストーリーが読めそうなやつで、流行りもの満載、パクリ満載のインディーズ。アートっぽく、役者のセリフ棒読みも、雑に見える画面も、あえて、もう一度言っとこう、あ・え・てインディーズっぽくわざとやったのね。

で反応ですが、なかなかのものであった。お世辞にしろ「完璧!」と見知らぬ人からお褒めの言葉も戴いたし、そこそこ笑いも取れたので良しとしておこう。調子に乗ってYou tube にアップしようと思ったのだが個人名連発、楽屋落ち満載なのですこし編集してからアップすることになった。乞うご期待!

ぺぱおーー・・・と思わず嘆くことが多かったのだが、付き合いが長くなるにつれて愛着がわいてきた。恐ろしいものである。じっと見つめられると無視できない。「いんちょ!」と呼び掛けられると思わず微笑んでしまう。ロボットはやがて定着するだろうなぁと思う。

でもまあもう少し働けよ。外来でのクリスマスデビューを目指して頑張ろうな、ペパ男。

 

 

 

スーパームーンの夜に

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この9月は連休をつぶして東京までセミナーに行ったり、ちょっとした会で2つほど発表があったりして物理的にも精神的にもあまり余裕が無かった。で終わった訳ではなくまだ2つあり、外来も寒くなって患者さんが増加気味で終わるのも遅くなり、疲れて家に帰ればただ寝るだけという、最近僕には珍しくローエネルギー状態が続いていたのであった。

 風呂から上がってボーーーとしていたら月が明るい。ニュースでスーパームーンだと言っていたなと思い出しベランダに出る。夜目にもわかる鱗雲の間をいつもより大きめに見える月が煌煌と光っていた。夜風が気持ちいい。いただいた焼酎があったのを思い出し、お湯割りにしてちょびちょびと飲んだ。30分ほど外にいたらエネルギーが回復してきたのがわかった。

 抗加齢医学会では健康を保つのに留意する事項として ①運動 ②栄養 ③ゴキゲン をあげている。①②は誰でもわかっている。③であるが、気分は風まかせ、だって自分でどうしょうもないじゃない、と思ってる人が多いのではないかな。なんとなく疲れている(これはほとんど精神的ファクターだ)、気分がアップしないとき、そのままにしないで上げるようチャレンジしようというのが今回の趣旨です。

 月を見れば回復する程度ならどうってことないが、もっと重症な時、視点を変えるのが一番ポイントだ。これにはアドラー心理学とか仏教とか、ちょっと捜せば説得力のある本が何冊も見つかる。そのフレームを持っていれば深い井戸に落ちることは無い。

 で積極的に快楽を捜す。小さなものから(村上春樹氏によれば小確幸)大きなものまで(これはかえってエネルギーを吸い取るかも)この世は捜せば快楽、悦楽に満ち満ちている。何もしないで寝ているのは本当にもったいないことだ。

 突然捜しても見つからない。かえって疲労が増す。手持ち、引き出しを多く持っていることが肝心だと思われる。そのために人生はあるんじゃないかと思う。こうすれば気分は回復する、そのカードを多く持っている人は強いね。

 オールマイティのカードは待っていても来ないぞ。若いときは向こうから転がり込んでくるチャンスもあるだろうが、ある年になると能動的に動かないとカードはつかめない。「果報は寝て待て」という諺があるが、そうしていると寝たきりになるだけです。

 

 

死ぬかと思った。

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船が転覆したのである。

久しぶりの池岡診療所カヤッククラブの活動日、梅雨にもかかわらず日頃の僕の精進の良さで晴れとなり、水面を走るカヤックの心地よさに陶然となっていた時に突然!

あまりの快適さに1回目の航海が終わった後、みんなでビールを飲んだ。結構まわった。で3回目の出航。僕は2人乗りの場合、スペースが大きいので後ろの方が好きなのだが、順番の都合で久しぶりに前のポジションをとってせっせと漕いでいた。気がつくと結構カヤック内に浸水していたのだが酔ってたせいかあまり気にせず・・・

「うわっ!」という後ろのイッシーの叫び声とともに右に大きくカヤックが傾いで、なんとか立て直そうとした1秒後に真っ逆さまに転覆した。

海の中で逆さまになりながら瞬間息を止める。「あっ、俺は酔ってたな」と少し後悔。カヤックから足を抜け出せるか慎重に動かす。何かに引っかかる。「まずー!」と一瞬あせるがふっと足が抜けて、一気に冷静となる。

海面に顔を出しイッシーを確認。無事であったが興奮状態で何か叫んでいる。ライフジャケットを着けているので二人で艇をひっくり返そうとするがまったく動かず。風が強い。海の真ん中であるが近くに生け簀があり、そこまで艇を引っ張って行き身体を固定して再トライするとなんとか元に戻った。結構艇の中に水が入っているが十分浮力があるので何とか乗り込み出発地を目指す。

しかし水が入っていては絶対だめだったのである。重心が揺れ思った通りに進まない。風にあおられ方向が定まらない。疲労感が急に増す。近くに岸が見えてるから恐怖感はないも、岸は高く貝殻がいっぱい張り付いており、着岸は結構大変かも・・・。

でもなんとか岸の低い場所にもっていき、イッシーに岸に上がってもらって艇をひもで固定し、僕は海の中から艇をもう一度ひっくり返してほぼ全部水を出すことに成功した。結構体力を使いもう一度カヤックに這い上がる時にシートを固定しているバックレストが外れてしまう。海の上では組み直すことが出来ず、身体を固定出来ないまま漕ぐという非常に体力を消耗するやり方でようやく対岸のベースに帰港した。

カヤックがひっくり返り、元に戻して帰ってきたというそれだけのことである。しかし結構ドラマでした、本人にとっては。かなり体力も消耗しました。お気に入りのオークリーのサングラスとウォーターシューズも海の底である。単なる言葉と、実際の風の強さ、塩の匂いのする水の迫ってる感じ、身体を動かしにくい感覚というリアリティはだいぶ違う。もう一つアクシデントが重なっていたらどうなっていたかわからない。アクシデントは次から次にアクシデントを呼ぶのである。

乗るなら飲むな、飲んだら乗るな、海の上でも。  

でその後はカヤックには乗らず、ビーチサイドのベンチでやたらビールとバカ話をして時間を忘れてました。翌日頭が痛かったです。でもカヤックに対する姿勢が変わったのでこれでよかったかも。海でも(人生でも)ちょっと先は何が起こるかわかりまへん。後悔の無いように。

 

 

 

 

還暦ですがなにか?

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誕生日の朝は雨だった。まったくふさわしいわい、と思いながらいつもと同じ道を車で走る。

一応還暦です。すげぇ、と他人事のように思う。10代の頃は60なんてよぼよぼのじじいじゃねぇのと思っていたが(大体考えもしない)、いざなってみると幹は変わらず枝葉の変化のみ、気持ちは20代、いや18 till I die(死ぬまで18)か。写真の、僕の娘のような外来スタッフ達から戴いたケーキに書かれている文言が僕の精神年齢をよくあらわしているぜ!

車に乗っている時間は僕にとって妄想、いや瞑想タイムである。最近臨床で認知症に大変興味がわいており、よく訊かれる予防法について考えることも多いのだが、そっから老けない方法について想念が及ぶ。

一つお教えしよう。それは「ちょっと難しいことにトライする」ことである。ちょっと、が曲者で、あんまり難しいと続かない、簡単すぎるとつまらない。届くまであと3cmの困難が貴方を鍛えるのである。

という訳で何をするかと・・・。まずは自主トレである。武ちゃんにパーソナルトレーナーをお願いしてから1年半あまり、最近忙しくなって週2回の筋トレも1回になることが多い(最低限キープだ!)。後は自主トレやっときまーす、と気楽に言ってるがなかなか実現は困難で、出来て週1。これをなんとかして有酸素2、筋トレ2にしたい。

もうひとつ、これは困難の種類が違うが茶道である。お茶。ポリフェノールのキングは抹茶だというのを発見してコーヒーよりこっちに変えようとしている。栄養の見地だけでなく、もう「和」が気持ちとしては中心なである。年は関係ない!

で、普段院長室でコーヒーを飲んでいるが、それを抹茶に変えることにした。お茶をたて、余裕があればお菓子も用意して、しみじみと心を無の世界に遊ばせるのである。俗な君たちにはまず出来まいね、オホホホホ。まずは味に親しみ、後で礼儀作法は色気のある先生をちょっと捜すことにしてと・・・。とりあえずこの前、院長室の頼もしく可愛いゲートキーパーF嬢がたててくれた濃い茶をグビグビと飲んだ。お楽しみはこれからだっ!

後一つ、有力候補があるのだがこいつは秘密。

ふと気がつくとブログを開始してからもう10年である。光陰矢の如し。青年老いやすく学成り難し。でも関係ねぇー、成熟した大人なんて関係ねぇー、僕は「もぉー、年甲斐もなく、いい加減にしなさい!」と言われることを生き甲斐にして生きていくことにしよう。

 

 

 

 

Yes な夜と忘年会

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Yesのコンサートに行った。

いったいそれは何ですか?というのがおおかたの反応だろうねぇ。70年代を中心に活躍したプログレッシブ・ロックバンドです。プログレ?何ですか、それ?という方はwikipediaを見てくれたまえ。そこでも「ロックの説明しにくい1ジャンル」と書いてある・・・。芸術性が高く、ヒットシングルよりコンセプトアルバムを特徴とする、代表はピンクフロイド、キングクリムゾンとかいったバンドね。このイエスもいれて御三家かもしれない。

僕はファンでも何でもなく、どっちか言うとプログレは苦手な方ですが、ロック3大巨峰(ポール、ストーンズ、ディラン)のコンサートを今年一緒に征服した中学からのロック友達R作君に誘われて、一人では絶対行かないという興味から、また彼と喋るのが楽しみで行くことにした。

ガラガラじゃねえの、という懸念は上の写真にあるように会場のオリックスホールの前にたむろする群衆の多さを見て吹っ飛んだ。イギリスのプログレが好きなガチガチのロックおやじばかりじゃねえの、というのも、思いのほかの女性の多さに裏切られる。ロック熟女ですかぇ、でも皆さんおしゃれで素敵です。

Yesはオリジナルメンバーが3人。みんな僕より年上で、でも長髪(スティーブ・ハウなんて禿げてるから、白髪の落ち武者のように見えるぞ)、ロックアピアランスで結構でした。音はかなり楽しめた。R作君はかなり高評価。メンバーは自分たちの音楽が聴衆に熱狂的に受け入れられたことでとても嬉しそうでした。いいね!

ロック3大巨峰もそうだけど、60,70代になってロックコンサートをし続けるパワーに感動する。お金儲けではない。好きだから、やらないと死んだも同然だから、人が何と言おうと俺はやる!というソウルを感じます。これぞ僕の目指すものだ。

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月は変わり、恒例の静岡は田中消化器科クリニックの忘年会(演芸会)に参加する。このブログでも何回か書いたが、そこでの大演芸会に我々は過去2回吉本新喜劇を引っ提げて登場し、僕のシリアスな評価によればちょっとすべったのである。関西をわかってる人には非常に受けた。しかし新喜劇を放映していない静岡の人にとってはちょっと引いた?

それはともかく、今回も吉本いくよ―と思っていたら、会場が今までと変わり超ゴージャスな日本平ホテルに変更となっている。関係者数人に尋ねるもみんな理由を知らず。ボールルームが会場で、僕の第6感は「吉本、やばいんじゃない?」とささやいた。で今回は趣を変えて、うちの紹介を(150人位来られるのでご存じでない方も多い)DVDにまとめてみることに。しかしそこにはおのずから受けを狙う大阪テイストが出てしまい、ちょっと放送事故のような映像も。

で大阪から総勢10人で意気揚々と会場に着くと、なんと!!単なる忘年会じゃなく田中先生の開業25周年記念を兼ねているではないか!雰囲気は正式の晩さん会、料理はミシュラン1つ星シェフである。  ・・・正直めまいがしました。

遠方から来られた方も沢山おられるのだが、我々同様こういった会だとご存じでない方も多かったようで、田中先生は照れ屋で気を使わせてはいかんとお知らせにならなかったようである。いつものようにしてほしいと。でもねー、これじゃあ「ドッキリ」じゃないの、それならそうとDVDも考えたのになー、と思っても後の祭りである。上映前の挨拶をどう言うか、気が気じゃなかったぜ。

結果的には、演芸会でいつもの雰囲気に戻り、DVDも割と好評で受け入れられた。最後にもオチをしかけていたのだが、それが笑っていいのかどうしようか・・・という雰囲気で終わったのが残念。でも後で数人の方から「あそこは大阪だと、吉本の様に前にずっこけるとこでしょう?いやわかりますよ」という言葉を戴いた。良しとしよう。

その晩は結構飲み、朝は6時過ぎに目が覚めると、上の写真の様にベッドから朝焼けの富士が見えた。来年も来たい、出来れば演芸会抜きで。

真夜中の迷走、じゃなかった瞑想

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瞑想に行きませんかと、トレーナーの武ちゃんが言った。

瞑想?いいね! 望むところである。古今東西の偉人で瞑想の習慣の無かった人はいない。僕も今まで何度か瞑想の習慣をつけようと試みたが、当然予想されるように妄想しか浮かばず止めてしまったという苦い経験が。しかしそろそろ瞑想の似合ういい雰囲気の大人になってきたことだし(だろっ?)、やってみよー。

場所は生駒山にある宝山寺である。武ちゃんは、某パリーグの野球チームがキャンプの打ち上げにここに瞑想に来るのに縁あって同行してから毎月1度、真夜中に来ているそうである。

僕は前日、某薬剤メーカーでのお仕事があって、楽しく終了後も皆さんと楽しくお酒を飲んであまり寝てないのに朝5時起きでトレーニングしたのでフラフラ・・・と思いきややたら元気であった。診察終了後待ち合わせてファンシーなレストランで飯を食って(武ちゃん曰く信じられないくらい素敵な女性がいるそうで、縁起担ぎにお顔を拝見してから瞑想と思ったのであるが会えず)、外気温は12℃程度であったが車をオープンにして山道を寺までひた走る。寒い中、夜道をオープンにした車に乗るガタイのやたらいい若い男と年齢不詳のおっさんコンビはさぞかし不気味であったろう、多分。

11時過ぎ着いた宝山寺はなんとなくざわついていた。いつもは誰もいないそうであるが金曜の夜のせいかお参りに来ている人が10人ばかし。寺も火が灯されていて、もう「ゆく年くる年」の雰囲気である。僕はパワースポットとか超常現象は全く信じない人間であるが、なんとなく空気が違う気がする。

本堂にそっと入るが、もう頭を伏せじっと拝まれている方がいる。我々は隅に寄り、そっと目をつぶり瞑想の姿勢となる。水の流れる音がどこからか聞こえ、人の話し声や風の音も聞こえるがすべてが心地よくミックスしていく。

驚いたことに妄想は浮かばなかったのである。何かが見えていたのだが自分自身のことではなかったようだ。無私。夢のような気持ちになっていたところで在宅患者さんのことで訪問看護師さんからの携帯が鳴る。 残念ながらその後は集中できなかった。

うーーーん、残念。 しかしわざわざここまで来なくても瞑想は出来るかもしれないという気になってきた。これは大きな変化でないかい。まだ何とも言えないが新しい習慣として定着するか。

その夜も睡眠時間は少なく、翌日は恒例の兵庫医大時代の実験グループの会で京都に行きまたまた楽しく遊ぶ。その日は京都泊まり、久々朝8時まで寝る。その後四日市まで「免疫舌下療法」の講習会に車で行き(なぜ大都市でしないのか、なぜ大人数で開かず制限するのか、まったく??)、夕方、濃霧の高速をブッ飛ばして帰ってきた。

にぎやかな週末。満足。今夜も瞑想して寝ることにする。

 

 

10月の最後の海

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今年最後かもしれないなと思い、晴れた木曜日にシーカヤックに行ってきた。今回は遂に!念願の女子部員も参加である。もう思い残すことはない(泣)。行く度に人数が増えてくるが、そろそろイッシー社長にリッチでゴージャスな新艇の購入と我々カヤック部への寄贈を真剣に考えてもらわなくてはならぬ。

カヤックの組み立てもどんどん速くなり、15分程度で組み上がる。チャッチャと着替えて海に出る。暖かい。風も異常なくらい爽やかである。やばい。このままいつまでもどこまでも漕いでいたくなる。

なんで海がいいんだろうなぁ。人には犬派、猫派のように、海派、山派があるようだが、僕は何の疑いもなく海派である。20代、ディンギーやウインドサーフィンで遊んでいた頃、4級船舶の免許を取りに行った。講習のグループで僕以外の3人はみんな釣りが目的であったのだが、そのうちの1人のおじさんは小ぶりのクルーザーを持っていた。どういうわけか可愛がっていただいて、免許を取り終わってからもちょいちょいクルージングに誘っていただいた。

ある時、クルーザーに遊びにおいでと言われ、西宮のヨットハーバーに停泊しているクルーザーの上で1,2時間、真っ暗な海と対岸の明かりを見ながら話をした。

「俺は船を出さなくてもよく一人でここに来るんや、なんでか判るか?」

「海に出なくても風に吹かれて乗ってるだけでも気持ちいいですもんね」

「まぁそうや。でもなによりな、この広さ、大きさがええんや。普段せせっこましい生活してるやろ―、人も場所も窮屈や。そんなとき、ここに来て何もせんでボーと揺られてみ。やっとそれでまたやろかという気になる。」

そんなものかと正直思った。若いね。切実さが身に迫らなかったのだが今は分かるね。海に出ると広さのエネルギーを受け取るのだ。自分の周りの枠を意識しなくなり、自分が拡散して自意識がなくなるのだ。自然の一部と化す。それを求めているのである。

カヤックは河川法により「流木」扱いであり、水があればどこに浮かしてもかまわない。クリニックの近くの狭い川でもオッケーなのだが、やはり決定的に広さがない。どこでも浮いてりゃいいというものではないのだ。そうなるとこれが今年最後ではなくてやはり寒くなっても海に来なくちゃなと、暖かい風呂に入りながら決心した。

流木 イン セプテンバー

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今週は久しぶりに流木号に乗って波の合間を漂おうと思っていたのに台風との天気予報。どう考えてみても木曜日は雨みたいなのでカヤック部員と「しゃあないねー」と順延を決める。

ところが朝7時に目が覚めると陽が射しているではないか。ちょっと待て、話が違うぜと部員たちに連絡を取り、急きょ白浜に向かうことに。女子部員も行く気だったがあまりの急に間に合わず、男爵とイッシー(初参加で奴隷扱い)の3人でお昼過ぎには白浜に着いた。

夏のような日差しである。海の匂いがする。これこれ。セットアップもすばやくなり午後1時には海の上にいた。水は全く冷たくなく、風はそよ風、波は適度にワイルドと理想的である。前回来たときはひたすら漕いで披露困憊となったが今回は何となく慣れて(漕ぎ方も全身を使ってオールを動かすと楽であることが分かる)ただひたすら快適。ビールを持ち出し途中で漂いながら飲む。これがやりたかったのよ。極楽はここにある。

イッシーはみずすましの様にオールを海面に滑らせるだけ、湿らすだけで「疲れた」と暴言を吐くが、このシチュエーションに免じて許してやろう。桟橋から我々をじっと観察していたおじさん(東京に家があり白浜と1か月ごとに住み分けている優雅なリタイアピープル)が「大人の遊びだね」と的確な感想を述べる。

そう、大人の遊びである。もう1艇あるともっと楽しいな、とイッシーが奇跡的にまともな意見を述べ、我々は急にイッシーに丁寧に接するようになり購入を勧める(彼はIT会社の社長なのである)。来年の春は2艇一緒に川の上から花見をしましょうよ。いいっすよー。

あまり寒くならないうちにもう一度来よう。もう一度Good Day Sunshine を。やっぱり動かないと快楽は手に入らないね。思想は重く腰は軽く。

 

 

流木Ⅰ世号漂流記

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「私を海辺に連れてって」と、可愛くおねだりしても誰も連れて行ってくれないので自分で行くことにした。しかも!カヤックを購入して進水式を兼ねてである。ざまーみろ。

カヤックは前から興味があった。カヤック体験が出来るところなら大概乗っていて、実のところ簡単じゃない?と思っていたのである(後に間違いと判明する)。トレーナーのTちゃんと偶然カヤックの話しとなり、彼もどういうわけか購入を考えていてとんとん拍子に話がまとまり、彼は主として渓流下りを目標としてインフレイタブルタイプの2人乗り、僕はクリニックの保養所が目の前が海という絶好のロケーションで白浜にあるので2人乗りシーカヤックを購入した。藤田カヌーというメイドイン京都の組み立て式で、全部で14kg。リュックのような入れ物に入れて担ぐことができる。すごい。

購入先のATCにあるカヤックコウノトリの河野さんは大変親切でとてもお世話になりました。サンキュウ!!

お盆休みの初日、渋滞を恐れて早く大阪を出た男爵と僕は、予想をはるかに上回る車の量に悪態をつきながらも昼前には到着。DVDで予習をしていた通りに組み立てを始めた。河野さんは店で実際に15分で完成されたのだが初心者の我々は40分くらいかかる。しかし全く経験なしのど素人にしてはまあままじゃないのと甘い自己採点をし、ライフジャケットとiPhone、イオン水だけを持って勇者たちは海原に漕ぎ出したのである。

名前は「流木Ⅰ世号」である。河川法によればカヤックは流木扱いでどこに浮かべてもいいことから、我々の運命を象徴するような単語「流木」と名付けたのである。行く先は風に訊いてくれである。

結構調子いい。面白くてどんどん漕いでいるうちに、白浜の象徴、円月島らしきものが見えてきたので(方向的にぴったりだったのだ)あそこまでいこうと調子に乗る。1時間ぶっ通しで漕いで近づいたところが似ているけど違う島ということが分かる。脱力。海図が無いと駄目ね。

引き返すことにし漕いでいると、なんというか直進しないのである。僕は前に乗っていて、後ろの男爵の漕ぎがパワフルすぎるのかと思っていたがどうも違う。島に近づく前からその兆候があったのだが、風が出てくると本当にすごく流されるのである。今までのカヤック体験て、考えてみたら全然無風だったよなー、体験版だから当たり前か。

かなりの疲労感が押し寄せる。休むとどんどん流されるのでひたすら漕ぎ続ける。一艇、同じ二人乗りのカヤックとすれ違う。嬉しいもんだ。女性二人、パワフルそうな外国人女性と、ベテランらしいオール捌きの日本人女性のカップル。全然違うな。カヤックスクールでちょっと習おうと決心する。

何とか言っているうちにパワーだけはある漕ぎ手2人の流木Ⅰ世は港に戻ってきた。凪の入り江に入るとホッとする。浅瀬に乗り上げ艇を引っ張り上げようとするが腰と上半身が痛くて動かん。大体2時間以上漕ぎっぱなしである。どうかしてるぜ。考えような、おじさん。

なんとか部屋にたどり着き、頭の中は冷えたビールしかなく、そのまま風呂にも入らず1時間ばかり初航海の感想と、どういうわけか我々男の子の生きにくい世の中をいかに乗り切っていくかという話で盛り上がる。ふと目が覚め、酔っぱらったまま流木Ⅰ世を片付け、待望の温泉に入る。

いや、充実していた。わが法人としては陸上部に次いで第2の運動部、カヤック倶楽部が誕生したのも嬉しい。部員募集!しかし男性はカヤックを背負うシェルパ要員、および組み立て工員としての募集のみ。乗れるのは女性だけである。なにか?

私を野球と海辺に連れてって

甲子園広告

梅雨もあけて夏らしくなってきた。朝、愛犬の散歩に行く時にはすでに汗ばむ気温である。

「胸をはり 犬と歩くや 夏の朝」 なんてね。愛犬のダルメシアンも15歳と飼い主に負けず劣らず高齢であり、実際はよたよたと犬が倒れるか飼い主が倒れるかという散歩ではあるが、まっ、夏らしく爽やかにいこう。

通勤で結構早い時間に車を走らせていると、今日一日めいっぱいやりまっせ!という感じで空が目覚めていくのが分かる。こんないい季節はないな、1年中夏だったらいいのに、と思う。すべての人が「暑い、暑い」と言っていても関係ない。

夏と言えば思い出すのが片岡義男氏の名セリフである。

「夏は単なる季節ではない。それは心の状態なのだ。」

そのとおり。そしてゴキゲンでないと意味がない。

と鼻歌を歌っていたらスペシャルな贈り物をもらった。患者さんのOさん、以前某テレビ局の「隣の人間国宝」でも取材された、野球場の模型を手作りされる名人です。以前ボストンレッドソックスのフェンウェイパークもいただいて点滴室に飾ってある。

今回はデコレーションケーキ並みの大きさの甲子園!!です。しかも当クリニックの広告看板付き。うーーーー。

心で口ずさむのは「私を野球に連れてって」 (Take Me Out to the Ball Game)ですね。
でも、この季節は野球もいいけど「海にもね」(and Seashore) といきたい。 
素敵な贈り物を有難うございました、Oさん。