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第15回なにわNST倶楽部

 「第15回なにわNST倶楽部」で20分ばかり講演してきました。

 NST(栄養サポートチーム)というのは、病院で栄養や嚥下機能に問題がある患者さんを各科の医者、看護師さん、栄養士さんなどがチームを組んで改善させていくというものなのですが、この「なにわNST倶楽部」は市立総合医療センター外科の西口先生が中心となり着実な成果を上げてきた立派な団体で、ひょんなことから僕は開業医としてただ一人世話人になっています。今回病院でなく地域の開業医が患者さんの栄養問題にどう取り組むか、今考えていることを話させていただく機会を与えられたというわけで、フランクに思ったことをそのまま話してきました。

 NSTというのは病院のマンパワーがあってこそ始めて成り立つものであり、地域においては病院からのマンパワーを借り出すシステムが欲しい(在宅NSTパック)ことや栄養改善のための一時的な入院の必要性、胃ろうを作る前に何とか経口摂取できるよう、また胃ろうをはずす努力をNSTでして欲しいことなど・・・。

 パラメディカルの方には大変好評でしたが、外科の先生方は「ショッキングであった(by西口先生)」とか割と渋い反応だったような。別に胃ろう造設を否定しているわけではないのですが、今まで胃ろうの普及に努力されていただけにちょっとネガティブに響いたのなら申し訳なかったと思います。

 しかし栄養改善入院はすぐにでも可能等前向きな発言を沢山戴いたので言った甲斐もありました。ここに来られている方はとても前向きで熱い方が多く本当に触発されます。僕も今まで以上に栄養問題に関して積極的に取り組もうと強く思いました。

 司会の済生会野江病院の足立先生(僕と同じUNCのalumniということがわかりびっくり)、竹内さん、世話人の城東中央病院TQM室長田中さんはじめ多くのみなさんの熱意が実ることを強く祈念して(他人ごとのようだ)もう寝ましょう。

これがショッキングだったそうです。胃ろうが最終手段かな?

という疑問の提示で悪気はなかったんだけどなぁ。

屋外の蘭

 知り合いのおじさんが言った。

 

 「外に出していた蘭がちゃんと咲いとる」

 「蘭って大概家の中で育てませんか?」

 「普通わな。俺も全部出しとるわけではない。丈夫なやつだけや(名前は忘れた)。せやけどちゃんと咲いとる。過酷な条件やと花も必死になって子孫を残そうと頑張るんや。甘やかしたらあかん。子供といっしょや。」

 「確かに荒地で育てた果物のほうが甘くなるみたいですよね。」

 

 最近僕の年代で引退するやつが出てきた。同世代と話しても、今からうってでようとするやつはなく、いかに守りに入るか、今ではないにしても先はこの方向でというニュアンスが多い。

 今当法人は期末でもあり若干の人事の入れ替えが起こっており、部署により負担が増えているところがある。僕も(ちゃんとやりたいことをするとすると)自分のやるべきことが増え、ほんのちょっとブルー?

 朝、外来の掃除も人数が少なくなっているので声をかけに早朝のぞくと、O嬢、I嬢が元気に笑いながらやっていた。その後M君はじめいつもの元気でご機嫌なメンバーと会っているうちに突然スイッチが入る。

 僕はみんなにいろいろやっていただくには50年ほど早いようだ。生涯1切込み隊長でいるべし。

 毎日4時間半の睡眠で勉強する人、狂うほど仕事をすると言い切る人、人材に溢れており、隊長である僕が隠居よろしく世話を焼いていただくわけにはいかない。屋外の蘭、Orchids outside でいるべし。そう思うだけで元気になってくる(でもちょっとは焼いてね・・・うそっ。焼かれすぎてすでに黒焦げという話である)。

BUSYでした。

 先週の金曜日は日本循環器学会総会が京都で開かれており、お昼の時間を利用して出かけました。

 京阪電車に乗り、三条で地下鉄に乗り換え、宝ヶ池の国際会議場へ。昔友人が京都にいて結構よく出かけていました。そのせいかすごく親しい感じがします。可能であれば住んでみたい街の第1候補である。

 丸太町とか烏丸とか風情のある町名と、微妙に大阪、神戸と違う風の匂いを楽しんでいると突然声をかけられました。びっくり!パワーリハビリテーションを利用されているNさん親子でした。

 彼は30代ですが脳血管疾患で片麻痺があります。努力家で自分で身体の仕組みとかよく勉強されており、パワーリハビリテーションの研修会でもモデルをかって出たりしてくださいました。彼がお母様と一緒に北野天満宮に梅を見に行く途中だったのです。行動範囲の広さにとても嬉しく思いました。リハビリテーションの甲斐があるというものであります。

左は参加登録所。去年の失敗から学んだと思われる。

  

 翌日の土曜日は休診にして東京の第9回パワーリハビリテーション学術大会へ。スタッフのM君が「パワーリハビリテーション中止後の身体精神的変化」のタイトルで発表があります。うちのクリニックは5回続けての発表。

 僕は鹿児島の加倉先生の「パワーリハでパワフルエイジング」という基調講演の座長をさせていただいたのですが、コメントで竹内教授が最近熱心にパワーリハをご自分でされていて(来年古稀になられます)、白髪が黒くなってきた、手の老人班が薄くなってきたと話されておられました。

 うむ、僕もやらなくっちゃ。君は最近なんの運動をやっているのと尋ねられ、ゴルフしかやってませんと答えると、もうちょっとシリアスなエクセサイズをやりなさいとシビアなコメントも戴いたことだし。ということで日曜の夕方に雨の大阪空港に到着。まぁ忙しい金土日であったよ。

熱弁をふるうM君。十分合格でした。

呼吸不全患者さんを地域で支える

 昨日は診療が終わってから「城東区呼吸ケア勉強会:呼吸不全患者さんを地域で支える」の講演に出かけました。僕が司会をするのですが、これはひょんなことから始まった話でした。

 昨年緩和医療の講習会に出かけたのですが、そこで出会った北野病院の先生方は本当に素晴らしい方たちで、何人かの先生方と手紙やメールのやり取りをするようになりました。その中で今回講演をしていただいた呼吸器内科部長で京都大学の臨床教授でもある福井基成先生は、本来のお仕事に加えて、呼吸不全の患者さんが地域で受け入れられるよう、医療介護のスタッフを対象に大変忙しい中啓蒙の講演に日本中を駆け回っておられます。人格者です。

 先生から城東区の状況を尋ねられたとき、そのような講演をしていただいたら大変喜ぶ人が多いに違いないと僕は思い講演をお願いしました。うちのスタッフのSさんやPh製薬の「最近やってないけど殆どプロゴルファーだよ」T君他何人かの方に多大な協力を戴き実現となったわけです。

 講演は予想通り大変有意義なものでした。基本的なことから最新の話まで、1時間半にわたって分かりやすくお話していただいたのですが、非常に実際的であったこと、そして患者さんの苦しい気持ちを理解されてその上に立ってどうすればいいかを常に考えられていることに僕は大変感銘を受けました。使命感をもたれているのを感じます。

 こういう先生に会うと、僕も医者として何をしなくてはいけないか、ちゃんと考えなさいよと諭されているような気持ちになります。悪いことをしていなくても「スイマセン!」と思わず言っちゃいそうな。

 それと思うのは袖摺りあうも多少の縁というか、人との関係は大事にしなくてはいけないな、何を産み出すか分からないということです。僕の盟友T先生は年賀状に「人との出会いが人生を変える」(何があったんだ?)と書いてきましたが、縁は大事にしなくてはいけません。本当にそう思います。

 最後に土曜日の午後といういろいろ予定の多い時間に来ていただいた勉強熱心な皆様方、S会N病院の地域連携の立役者Tさん、北野病院地域医療コーディネイターのSさん、福井先生が何度も講演中名前を出された鍼灸のジニアス、M大学の助教授S先生(うちの鍼灸院のジニアスK先生の師匠です)はじめ城東区の地域医療介護を支える皆様に心より感謝を。

ジニアスの基締め、福井先生

頭を使わないと。

 昨日は御用納めでした。1日外来をして午後7時前にはクリニックを出ました。スタッフは9時過ぎまで仕事をしていたようですし、ケアタワーの方は今日が最終日です。僕が一番早く正月休みに入ったわけだ、申し訳ないな。

 

 普段ほとんどテレビは見ないのですが、だらだらとくだらない年末番組を見て年賀状を書く。愛犬の散歩がてら投函に行き、その後「ボアダムス」の爆音パンクを聴きながら調べ物をする。いつもの、時間に急き立てられるような生活とはかなり違いますが、正直23日で飽きそうです。でも・・・

 

 植草甚一氏の本に「面白く遊ぶのには頭を使わなくてはならない」という文章がありました。ある程度ルーチン化している仕事に比べ、純粋に「遊び」をしようと思ったらアイデアが必要です。チャレンジングな仕事と同じように気の利いたオリジナルなアイデアが。というかそういうレベルでは仕事も遊びも等価ですね。

 

 来年はもっと遊ぼう!純粋に面白く遊べたら、仕事ももっと動き出すに違いない。「忙しい、忙しいっていったって、それって単に人に使われてるってことだよ」という言葉も思い出しました。自分で時間をマネージメントする。僕の人生は僕が決める。こいつが来年のキーワードだ。書いてるうちに決心しました。

 

 あそぶぞー。

 

年末は冬枯れてます。

 

 

 

脱慣習

 うんっ?昨日の夕刊を見出しを眺めたら(遅すぎる)、「脱白衣」とでっかい活字で1面に書いてあって、最近小児科、心療内科を中心に白衣を着ないで診療するところが増えてきたと書いてあった。

 

 遅すぎるぜ!そんなん10年前からやってるよ!(といいながらも正確には覚えていない、78年前は間違いないな)。白衣は大人にも子供にも威圧感、恐怖感を与える。毎日洗濯しないので実は不潔、とかが理由である。

 

典型的なドクタースタイル、ネクタイを締め、時計をして、長い白衣を着るというのは実はかなり衛生上問題があり、ネクタイや時計は細菌の温床になっていることが指摘されている。襟のないTシャツ、時計無し、半パンという、僕の夏のプライベートスタイルが一番衛生的だ。できれば年中こういうスタイルでしたい。

 

以前アキレス腱を切って手術をしたとき、1ヶ月ほどギプスを巻くために半ズボンで外来をしていたのだが、みんな予想外に全く普通の反応でこちらの気が抜けた。こういう人だともう思われているのかもしれない。

 

こういったスタイルもそうだが、以前からやっていることは案外明確な理由がなく、慣習だけで続いていることが多い。大事なポイントを再検証すると全くちがう結果が出てくることが医学の臨床でもよくある。注射の際アルコールで消毒しなくても、一般の人は感染の危険性は全く無いということも最近指摘された。

 

といってもアルコールで拭かないでやったりするときっと問題になるな。脱白衣の診察もそうだが、今までと違うこと、というのに人間は抵抗を示すようにプログラミングされている。身の安全のために。今まで大丈夫だったのに何で変えないとだめなの?

 

でも進歩するためには変わらなくてはならない。その姿勢を忘れんようにしたい(といっても注射の前は消毒しますね・・・今はまだ)。

 

しかし1面トップにするようなことかな?

 

 

キッズとキッズ・アト・ハートのための部屋

 今日はクリニックの模様替えをしました。

 

 土曜日の外来と往診が終わったのが午後3時で、それからご飯を食べて僕はそのまま軽く死んでいたのですが、法人本部のスタッフがサクサクと仕事を片付けてくれており、再起した僕はちょっとだけチェックに加わってみんなで午後7時まで。お疲れ様でした。

 

 主なポイントは点滴室の移動と、今ある点滴室をキッズ・ルームに変えることでした。待合室が結構手狭になっており、また子供の患者さんも比較的多くてお母さん方も込んでいる待合に気を使われることが多く、「キッズ・ルームは作られないんですか?」と尋ねられることが多くなってました。

 

 で、子供さん中心の待合室を設営したわけです。クリニックの南の端で場所としては最高。スタッフの一人はここに住んでもいい、と言ってました。

 

 子供さんだけでなく親御さんも使われるし、子供の心をお持ちの大人の方もどうぞ。僕は院長の着ぐるみを着た小学6年生ですので、患者として来院したとしたら当然ここで待ってます。俺の精神年齢は低いと自信をお持ちのあなたも是非。

 

 

快適です。

栄養・介護セミナー

 外来が終わってから第6回大阪市立大学栄養・介護セミナーに行ってきました。

 

なにわNST倶楽部という市立医療センター消化器外科の西口先生を代表とした患者さんの栄養管理について勉強しているグループがあるのですが、僕はそこの重鎮であるJT病院TQM推進室のTさん、SN病院のTさんに誘われて参加したことが間違いの始まりで、何回か顔を出しているうちに今回のセミナーの第2部のパネルディスカッションにパネラーとして出ることになってしまいました。

 

タイトルは「栄養と介護の接点」。緩和ケアの際の栄養療法に焦点を絞り、医療と介護、病院とクリニックの連携について討論というわけで僕は開業医の立場で話すことになりました。

 

実はなにわNST倶楽部の例会でもパネラーとして話したことがあり、その時分かったのですが、僕はあまり他人の立場を考えず自分のいいたいことだけを言うという、普段の紳士的な物腰からは考えられない姿勢がこういった席では出るようで、多分そういうところが面白がられたのであろうというご指名でした。

 

ま、結果は思ったとおり自分のいいたいことを言ったわけで、病診連携といっても患者さんが退院し在宅に移った段階で主治医は完全に病院主治医から開業医にチェンジし、在宅の間、両者のコミュニケーションはゼロに等しいことや、チームとして医療介護の良好な関係を築くには、ITでも何でも使って顔の見える関係を構築することetc,感じていることを話させていただきました。会の終わった後で医療センターの細井雅之先生(僕は大ファンなのです)が「先生の言うとおり!」とニコニコしながら言っていただいたのでホッとしましたが。

 

時間の無いせいもあって司会のO先生やTさんは大変だったのですが、もう少し前向きな結論を出さないと、問題点が一部分っただけ(しかもみんな思っているから確認しただけ)では漫談を聞きに来ただけになったんじゃないかいね。正直目指す方向が、浅学菲才な僕には分りませんでした。第1部の白澤政和先生の講演「高齢者介護の現状と今後の展望」は面白かっただろうから(打ち合わせのため聞けず)まけていただいて次回に期待というとこで。

 

こういった会に来られているパラ・メディカルの方(聴衆の9割以上がそう)の熱心さ、まじめさにはいつも感動してしまう。参加してくれた当院の4人にもサンキュー!私は自戒の意も込め、頑張って勉強しますです。

 

 

生産的なやり方

 日々の生活において疲れるとは、ほほ100%肉体的なものでなく精神的なものだと思う。肉体的な疲れなんか十分寝ちゃえば取れちゃうよ。そういう肉弾戦でなく、厄介なのは精神的な接近戦なのですね。

 

 対策はどうするか。寝る、これは良いときもあるが、十分眠れないとか悪夢を見るとか、寝付けなくてかえって疲れるとか、そう簡単にはいかない。

 

 一番いいのは身体を動かして汗をかくことだ。昔結構走っていた頃は、30分もジョギングするとかなり精神的にリフレッシュできた。

 

 そんなに身体を使えないとき、とにかく休まないで何かに精神を巻き込まれること。何時間か何かに一生懸命になっていると、別のステージに移動し気分は大きく変わることがある。

 

 で、最近お疲れモードの僕はともすれば引きこもりがちになりそうな気持ちを奮い起こし、外来後勉強会へ。作戦の1つとして内容の記録に最近購入した「ポメラ」を武器として携帯。これは2秒で起動するワープロだけに特化した小さなデジタルメモというか、ワープロだな。手帳サイズ。

 

 僕の字というのは本当に読みづらく(超ヘタなわけだ)、メモを取って以前はPCに写してきたのだが時間が無いし、字も自分でも読み辛いためそのまま放置、そして紛失。せっかくの講演も知識にもならず時間の無駄を繰り返してきた。で「ポメラ」に期待したのだがこいつはいいです。キーボードに触っていると眠くならないのだな。ボールペンだとすぐ眠くなるのだが。入力が遅いため内容を自分で整理して書くのでシンプルになる。取り合えず講演の間、結構自分の頭をフル回転していたので気分転換になった。すっきり。

 

 ちなみに今日の講師の先生は、名古屋で開業されている糖尿病で有名な洪尚樹先生の「糖尿病の治療戦略2009」。主催のT製薬のお抱えかしら、と思うくらいその製品の有用性を述べられたが説得力あり、結構目からウロコの会でした。まあ内容が良いのも気分が変わった原因ではある。

 

閉じこもり休むのではなく、逆に新しいこと、物、刺激に積極的に触れるのが精神的な疲労をとる秘訣だなと決定しました。めっちゃ、プロダクティブ。

 

なんでかな?イン・ザ・ダーク

 この連休は東京にいました。「医療の質と安全学会」が東京ビッグサイトで開催されており、うちのスタッフが発表するので(僕は一部のデータ集めに協力しましたが内容に関しては大学が主体です)行ったわけです。学会は成功裡に終わり、むこうでは偶然J東中央病院のF院長、TQM推進室所属で薬剤師のTさん、看護師のKさんという知った顔にも会えて(非常に熱心に医療システムの改善等に取り組まれています。発表も3題以上されてました)面白かった。

 

 で、夜は折角東京に行くならと前から行きたかった「Dialog in the darkhttp://www.dialoginthedark.com/ へ。これはドイツの哲学博士アンドレアス・ハイネッケ氏の発案で、自分の手も見えない真っ暗闇の中で視覚障害者の方にガイドされて1時間以上いろいろな経験をするというもの。もう最初に開催されてから10年となり、世界中100都市以上で開かれています。日本でも常設展にするべく努力されているようです。

 

 人間がいかに視覚に頼っているか、視覚障害の方がどんな世界を生きておられるかが理解できるかもしれないし、そして真っ暗闇の中では自分が普段感じたことの無い別の想念が沸いてくるに違いありません。多くの方が絶賛されておられるし、会場に入る前(1グループ8名に限定されており、他のグループが帰ってくる様子を見れる)体験した方達の感激した様子を見るとすごく期待してしまいました。

 

 で結果なのですが、正直なところ「?」。何か僕にとって暗闇はあまり異次元では無いのですね。なにかもっと特殊なことが起こるかと思っていたのですがそういうわけでもなく(真っ暗闇のバーはよかったです)、時間の認識がかなりずれたことが発見でした。①期待しすぎ ②感受性鈍し、といったとこが原因か。もう1回いくと案外かなり違う感想かもしれません。考えてみよう。

 

 その後行ったレストラン空振り(下調べ十分したのに!)、ホテル空振り(下調べ十分したのに!)その他detailも空振り!という具合で、それが原因か分りませんが、どうも東京に対する印象がかなり変わった。

 

 20数年前学会で行った冬の東京は、大阪と違いグレー、黒、こげ茶の服装の人ばかりで、「おぉなんとシックだ。都会だ・・・」と感じた少年はその印象をずーと引きずっていて東京はかなり好きだったのです。ご飯もおいしいしエンターテイメントは関西とは段違いに充実してるし、楽しいとこやなー、だったのですが、どうも違うぞ。物価めちゃ高い、安っぽい、人情も表面的な感じで、街はきれいですが、どうも東京は不景気にあえいでる感じがします。まぁ行った場所とか体調とかによるのかもしれませんが。

 

 でも新大阪に帰ってくると、ごちゃごちゃで食べ物の匂いなんかも漂ってたりしちゃってるのですが、住むならこっちね。はっきり確信しました。マイ・スゥイホーム・オゥサカ♪♪(ファニーカンパニー時代の桑名正博調で)だ!