カテゴリー別アーカイブ: 抗加齢

糖よ、さらば

 この土日は京都であった第10回抗加齢医学会総会に出席していました。

 学会自体は正直以前のフレッシュさに欠けた印象ではありますが、土曜日に静岡の田中先生に主催していただいた食事会では帯広の満岡先生ご夫妻、魚津の浦田先生、川崎の本間先生ご夫妻、高橋先生にヘルシーパスの田村社長という重鎮の方々とテーブルを囲んで非常に内容の濃い有意義なお話が出来ました。一番の収穫です、でもなんかこれでいいのかな。でも皆さん、また夏に箱根でよろしくお願いします。

 学会でもグルコースは脳に不可欠でなく、飢餓状態において脂肪が分解された代謝産物であるケトンを脳が利用できるという発表があり、かなりホットなディスカッションとなっていましたが、もう糖分、炭水化物はいらん!というのが此の頃のトレンドです。

 米が主食の日本人としてはなかなかつらい気もしますが、とりあえず白いものより茶色のもの、白米より玄米、うどんより蕎麦、というチョイスをし、カロリーは出来るだけ減らし、軽めの全身運動を定期的に行ない、よく眠る生活は確実にあなたを健康にします。

 炭水化物を取るから腹が減る、血糖を上げるから空腹感が出てくるので、食べないとそれに慣れてあまり苦痛でなくなるようです。ちょっと腹が減ったなという感じは確かに忘れることが可能なようで、タバコが吸いたいと同じ、依存症のようなものですね。消化管も休められるし、是非。

 タバコは吸わないけど禁煙外来をやっている僕は、この禁炭水化物を暫くやってみて、4kgほど減量を試みてみます。また結果は報告しますね(…宣言してしまった、でもやるよー)。

行きはよいよい、帰りは大雨

 

身体は買い換えることが出来ません。

 診察をしていると、「もう年やから」とか「年はとりたくないなぁ」という台詞を頻繁に聞きます。「まあそんな事言わないで」と僕はかるく流していますが、さもあらんか、と思ったりもします。

 生物学的に保証されているのは男女とも生殖能力のある時期くらいまで。つまりは50歳くらいまでね。桶狭間出陣の朝に信長が「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり」と敦盛を舞いましたが、生物学的な限界のひとつの基準かと思います。

 後は社会的に生存の価値を証明していく時期。社会的な存在感が生命力を保障するのですが、定年や子供の独立など、拠り所がなくなると生命力が落ちてくる気がします。ここは自分でキープしていかなくてはなりません。

 そのために非常に大事なのが丈夫な身体なのです。

 

 「身体は買い換えることが出来ません」。

 

 身体は精神を乗せて突っ走るビークル、乗り物ですが、お金がなんぼあろうと自動車のように買い替えることは出来ないのです。ただ1台の車を、僕達は丁寧に乗っていかなくてはならない。50年乗ったらもう下取りに出しても値段がつかないようなもんです。しかしそれからまだ50年乗ろうと思ったら、どれだけ気をつけてやっていかなければいけないか、簡単に想像がつきますよね。

 しかし(僕も含め)どれだけ乱暴に扱ってるか!

 定期的なチェック、毎日のメインテナンス、ガソリン以外のよけいなものを入れない、毎日少しでも走らせる、置きっぱなしはダメだが、ハードに使った後は休ませるとか、今までのメチャクチャな乗り方を反省して丁寧に細心の注意を持って手入れをしていきましょう。

 そうすれば必ず答えてくれます。ひいては充実した後半の50年を過ごすことができる。故障もすると思います。そいつも出来るだけ早く修理して、うまく付き合いながら乗っていきましょう。

 あなたの大事なたった1台の車なんですから。メインテナス・フリーなわけないんです。50超えたら丁寧に、細心の注意を持って。

 勿論それ以前からやっていたほうが持ちがいいのは決まってますよ!

 

ひょっとしてあなたのボディはこんな感じ?

 

 

 

U と L

 興味深い記事を読みました。『米国科学アカデミー紀要』(PNAS)に5月17日付けで掲載されたもの。30万人以上の米国人に電話調査し、「ストレス」「心配」「幸せ」といった生活における要素、幸福度(well being)について評価してもらい、それらの回答を分析したものです。

 その結果、年齢ごとの幸福度を示したグラフは「U字形」となりました。男性、女性の両方において、全体的な生活の充足感、楽しさや幸せはU字形となっており、両方とも50歳代前半で底に達していたとのこと。

 ストレスや心配は、18歳〜21歳と22歳〜25歳の間に急激に上昇。ストレスは年齢が上がるとともに下降線をたどり、50歳代半ばで急減。心配は40歳代後半まで横ばいで、その後緩やかに減少し始める。

 総体的に、自分の生活を最も幸福だと評価している層は、18歳〜21歳の若い層と、60歳代半ば以上の人々だそうです。60歳代以上の層にとって、肯定的な評価は年齢とともに上昇していく。

 研究者らはこの上昇の要因として、「知恵が増すこと」「高齢者は否定的な記憶より肯定的な記憶を思い出しやすいこと」などさまざまな要因があるのではと推測しています。

 ところが日本の国民生活白書は、「U字型」は米国では見られるが、日本では見られず、67歳を底にして79歳にかけて幸福度はほとんど高まらないL字に近い形状を取っていると指摘しているそうです。

 ガーン・・・L字ってどうよ。

 アメリカではちょうど僕くらいの年代が幸福度の底ってのも笑えますが、日本のL字ってのはちょっと笑いも出ないなぁ。どうすればLをV字回復させることが出来るでしょうか。

  U字というのは子供も手を離れ、まさに第2に人生を歩みだすときに上昇し始めるという感じで、そこの準備をしているというのが大事という気がする。その定年後の時期に何もやることわかりません、ないですというのが上昇しない原因ではないかなぁ。

 社会環境もあるし簡単にはいえませんが、男女とも楽しみ方がわからないのでは。特に男性が問題で、そこに引きずられて女性も不幸になっている気がします。必ずしも経済的な問題ではない、幸福度は。

  底の時期にある僕としては今だけでなく先を見つめて考えなくてはならないなぁ。方針として「攻撃は最大の防御なり」が正解と思うのですが(何のことかわからんか、これじゃぁ)。

陽光の下の老人

いい匂いはヤバイです。

 私は実は、匂い、香りに滅法弱い。嫌いなのではなく大好きなのです。

 嗅覚は人間の5感の中でもっとも古く進化していない感覚であるとされています。記憶をつかさどる大脳領域に隣接しており、最も記憶を喚起しやすい感覚といわれている。最近匂い、香り、嗅覚をいろいろなビジネスで使おうという動きがあるようです。NHKの「クローズアップ現代」で特集していて、思わず見入ってしまいました。

 ある種の香りは快適なためその場所から動きたくなくなる。それでカジノなんかでその香りを流していると売り上げが36%上がったというデータがある。日本の大手パチンコ屋さんチェーンでも同じ香りを流し始めているそうです。また学習塾で、記憶を強化すると研究でいわれている香りを希望者に配布して、本当に記憶力が上がるかデータを取り始めています。

 最近の子供は実際の自然の香りよりも、いかにもそれらしい人口の香りに慣らされていて、そちらの方をリアルな香りより好むという実験もありました。これはちょっと困ったことね。

 病院は「消毒薬の匂い」というのが定番ですが、これは変えたいですね。僕のクリニックは今アロマの匂いが微妙に漂っていますが、これは人により好き嫌いがあるようです。

 初めて嗅ぐ匂いというのは大体「くさい」と感じるとTVでも説明されていましたが、接したことのない人は奇妙な感じを受けるのかもしれない。僕はアロマのエッセンシャルオイルの香りはとても好ましく感じるのですが。

 これは何の香り、とはっきり表現できない、しかし何かしらの感情を刺激する香りというのもこれからどんどん開発されそうな気がします。気付け薬は英語でsmelling saltsというんだっけ。強烈な匂いで意識を戻したんでしょうね、昔は。

 薬も飲むより匂うようにする。鼻づまりはある種のアロマオイルが大変有効のようですが、こういうのをこれからやっていきたいと思っています。これを嗅ぐと若返る!なんてね。

青空の匂いはなんだ?

桜のように生きるとは

 桜も今週限りだな。

 近くの夙川は桜並木で有名で、この日曜日は周辺大渋滞をきたしていた。桜は日本っぽい。はかなく、潔く、諦めよく。典型的日本人の気持にフィットする美学を体現しているようだ。

 僕が抗加齢医学に興味があると知ると、「年相応に枯れることこそ美学、ジタバタしなさんな」というお言葉を必ず誰かからいただく。了解。だけど抗加齢医学は予防医学、転ばぬ先の杖であって、目指すのはバタッと逝く直前まで元気いっぱいでいるというコンディション作りなのである。意味なく長寿ではなく、美しく生きて突然散ってという、まさに桜のような生き方を目指しているんだけどな。

 問題は散るまでをいかに元気でいくかということで、これはトレーニングが必要でほっといてうまくいくわけがない。外来でお会いするイキイキしている方が何もしない人であることはまずない。言わないだけで殆どの方が工夫しているのである。ある部分はまずストイック、昨日書いたキャスリン・ビグロー監督のように。

 ストイックに生きて美しくさっと散る、桜のように生きることが実は抗加齢の実践なのであった。

 

 

第3回脳心血管抗加齢研究会

 土曜日診療が終わってから、「第3回脳心血管抗加齢研究会」に出かけました。

 大阪大学の森下教授をはじめ愛媛の堀内教授、千葉の小室教授、熊本の光山教授と、今まさに旬の先生方が1人40分ほど今されている仕事のレクチャーをされたのですが、血管を守るため、老化を防ぐためにはどのようなことをすればいいか、というか基本的にはどのような薬品が有効かという話であります。

 参加者も大学関係者が多く全部で100人いってないか。ちょっともったいない。かなり学術的な話題も多い。うちの鍼灸院の小西キュート院長と参加したのですが(彼女は今年抗加齢医学会認定指導士をとる予定)、まあそうだろうなという予想できる範囲の話題の中(時間もないのでかなり流されている感じもあり)、森下教授のアルツハイマー病の予防については、これは早期介入で飲んだほうがいいかな、とチラッと思うくらい説得力もあり面白かったです。

 ARB(アンギオテンシン受容体拮抗薬)は今高血圧の人に処方するファーストチョイスとなっていますが、本当に多くの他のすぐれた作用が報告されています。今回もARBが中心だったのですが、今日本で出ている数社のARBの中でどれがどうよ?というのが一番興味あるところで、どうもかなりスポンサーに偏りすぎてんのちゃうん!!というのが気になりますが、客観的評価であれば素晴らしいことであります。

 ARBに限らず老化阻止に有効な可能性があるいくつかの薬剤が最近出てきていますが、いずれもメタボ関連のもので、肥満、高血圧、糖尿病、高コレステロール血症はやはりやばいということです。皆さん気をつけましょう、甘い言葉と暗い道、じゃなく暗い言葉と甘い道(ネガティブな考え方と甘いものはだめってことね!)。

 

次回も多分行くだろうな。

スピードと睡眠時間

 この前、同じことをしても自主的に楽しみながらやらないと脳の活性化にはつながらないという話を書きましたhttp://www.ikeoka.net/blogs/soulcherish/?p=1919。以後いくつかの論文を読んでいるとそれは完全に既定の事実のようで、面白おかしく生きることがいかに大切かということになるのですが、案外それは認識されていないような気がします。

 楽しく笑う、面白がる、それはロールプレインゲームにおいて主人公の能力が戦いに勝つたびにカウントとして上がっていくように、ゲームの興奮をでっかいスケールでリアルに感じられる人生において、面白がることが多ければ多いほど生きていくのがたやすくなると思います。

 その時大事なのは体力であり、そしてそれを培う睡眠時間であると(他にも一杯あるといえばあるのですが)今思っています。

 僕の場合、睡眠時間が足らないと、これは実時間というよりも「寝足りた感」かもしれませんが、忍耐ができなくなり怒りっぽくなるというのを意識しています。美人は大体よく寝ていますが、美容にいいというのはあまり怒らないで楽しむことが多いから生じるのかもしれません。

 体力というのは面白そうなことがあっても体力がないとパスしてしまいがちになるからで、これはバリバリの若い方には少し分かりにくいかもしれません。

 いずれにしろ睡眠時間というのは勉強時間に匹敵する(大体睡眠中に脳は知識を整理している)くらい重要なものであり、面白おかしく生きるという人生の極意を実践しようと思えば、スピードをもっていろいろなことを勉強しタップリ寝るというのが一番でしょう。

 勿論、寝ないでも平気だわという天才が巷には沢山いるのも知っていますが、僕のような凡才にはとても出来ません。ああ、1日が30時間くらいあればいいのですが。

WhatよりHowね!

 日本抗加齢医学会雑誌の最新号(Vol.6  No.1)を読む。表紙が変わった。

 特集は「脳を守る」。まあみんな一番気になるところだ。外来でも少し物忘れがあると脳のMRIを撮りたいという方が多い。ほとんどが年齢から来る生理的なものであり病的なものはほとんどない。大体自分でMRIを希望するということ自体、認知症や他の器質的な病気であることは極めて少ないと言っていい。で脳研究の新しいところをざっと読む。

 一番興味を引かれたのが群馬大学の山口晴保教授の「快刺激、趣味と認知症予防」というパートだった。

 ごく簡単に趣旨を述べると、同じことをしていても楽しくなければ脳にとっていい影響を与えない。趣味といっても内容でなく取り組み方であり、美術館に行くといっても一人で行くのか仲のいい友人と行くのか、展示物に興味があるのか漫然といくのか、ぜーんぜん違うということだ。当然興味を持って行った方がいいし、ある研究によれば認知症予防に効果があるのは活動に含まれる知的要素ではなく社会性の要素だそうである。

 WHATよりもHOW、何をするかよりどのようにするかということだな。脳トレを家で一人でシコシコやるよりデイサービスでお友達と喋っている方が頭にとって良いに違いない。

 結論は「単に趣味をみつけると言うのではなく、出来れば誰かと一緒にできる、自分が夢中になれることを見つける」ということなのであった。

 自分に当てはめてみると、うーん、下手なゴルフはやはりいい線だな。あと少し何か・・・。基本的に自分が好きなことを誰かにさせればいいんだよ!!また考えようっと。

 

工夫していかそう!

あの人、いくつ?

 ぼくはあんまりテレビを見ません。視聴割合はスポーツ中継65%、ニュース35%という感じです。で今日の日曜日はじつは結構見ました。オリンピック、そしてサッカー日韓戦。

 今日は日本の日じゃなかったみたいですね。まぁそういう時もあるさ。

 上村愛子さん、惜しかったですね。彼女はオリンピックのたびに順位が上がっていますが、次回出ればメダルだよ。なんとなく引退か、というムードがしていますが、そんな雰囲気を打ち破って平気で次も出て、えー!と思わすメダルを是非取って欲しい。

 サッカー日本代表、大丈夫か・・・!?めっちゃ、ちぐはぐだぞ。うーん・・・。

 しかし今日感じたのですが、選手の名前が出るたびに、なんで毎回年齢を出すのかな?

 上村愛子(30)って、なんで毎回出す必要があるのか?ほんとにびっくりするぜ。(30)って名前の一部なのか。あきれるぜ。サッカーでも岡田監督(53)ってなんだよ?関係あるのか?

 別に外国がえらいとかいうんじゃないけど、むこうの中継でそんなの見たことない気がします。何故かくも我々は年齢を気にするのか(私も自分のことは否定しませんよ。まぁ今日の上村愛子(30)連発はひどいと思ったけど)?初めての人に会ったら「あの人いくつ?」というのはとてもよく出る話題である。これは年齢を比較の1つの基準にしているわけだな。大体この年齢だとこれくらい・・・外観とか地位とか。漠然と自分や自分の知っている人と比較している・・・?

 つまらねぇ!つまんないぜ、年齢を気にするなんて。年相応、という言葉があるから、そしてそれが昔から道徳や美意識の模範のような感じであるから気にするのか。それって差別だぞ。エージズムといって年齢で人を差別するという意味の言葉が英語にはあります。ちょっとこいつも考えていいんでないかい、我々も。

 若くしてジジイのような覇気のやつもいれば、どう見ても少年だが年齢は40という人もいる。人は(そして健康度は)実年齢でなく見た目に比例というのはかなり認められている説である。好きなようにやればいいのだ。年齢でなく中身、正味。

 僕はもう人の年齢をきいたりしないようにしよう。だからさ、僕にも尋ねるなよー、いいね。

もう一回、やりましょう

長生きはリスク?

よく読んでいる「さとなお」氏のブログになかなか興味深い話が書いてあった。ちょっと引用します。

ここのところ、会った人となぜか立て続けに「長生きはリスクである」という話になった。
まぁ身近な友人たちがみな40代50代になってきて、「あの人は介護地獄で体を壊し」「あいつは親が癌で転院を繰り返し」「彼女は親が痴呆症で24時間面倒みなくちゃいけなくて」とか、もう身につまされるような身の上話が多くなってきていることが理由であろう。しかも給料は下がり続け、お金のやりくりも大変だ。いろいろみんな大変なのである。

 そして、そうやって苦労している方々の多くが辿り着く結論は「長生き=シアワセとは限らない」ということなのである。長生きこそシアワセというのは日本人の中で長く受け継がれてきた命題だ。でも、その、頭にこびりついた昭和時代的な考え方を、どこかで転換しないといけないのかもしれない。

ある人(70代)は「緩やかな自殺」を始めている。
つまり、いままで節制したり健康法を実行してきたりしていたが、「健康に悪いから」という理由で辞めた好物などを(タバコなども含めて)再開し、好き勝手生きだしたのである。長生きすることはリスク。数年もしくは十数年長生きするよりも、好きなことをやってなるべく早く死のうという考え方である。もちろん中途半端に体を壊すと長生きよりもタチが悪くなる場合もあるので一概には言えないし注意が必要であるが、「がんばって長生きする」という自縛から自由になるのはなかなかイイコトではなかろうか。

勿論長生きすることが最終目標じゃないと思います。量より質。生きてるのが面白いから長生きしたいというのが本道です。

しかし確かにそう思って生きてる人がどれくらいいるのかと考えると、よう判らん。死ぬのが怖いから生きているというのはバカらしい(僕は死ぬことはいろいろパターンが勿論あるわけですが、実はあんまり怖いことではないんじゃないかと思っています)ですが、実際はどうなのかな。

長生き=シアワセのためには、これがあるから生きてられるという絶対的に好きなものがあることが条件だと思います。身体に訴える感覚的な悦楽的なものは案外強いかも知れぬ。生理に訴えるものは強い(各々お考え下さい)。

若い奴にこれは負けん!というのがあるのも大事だな。肉体的なものはどうしても衰えてくるから、知恵と精神である。マインド・アンド・スピリット。そんなに深刻にならんでもそんなに世の中は捨てたもんやないで、とニコニコ笑って話してあげること、そしてそれを若者が受け入れることができるだけのオーラがあること。

それは若者が見て「あんなジジイがいるのなら生きるのも面白そうだな、悪くない」と思わせないと。楽しそうに生きているジジイ。

そう考えてみると「緩やかな自殺」も悪くないな。節制したグループより、好きなことやり放題のグループの方が長生きしたという有名なフィンランド・レポート(だったかな)もあったし。

自分で楽しいと思える程度に節制しながら好きなことをやりまくる、と。これがやはり長生き=シアワセの道か。平凡ですが。

できればBodyもこんな感じで。オールド・アスリート。