グッド・スメル!

 嗅覚は最も原始的な感覚であり、匂いの記憶は強烈に過去を喚起する、ということになっている。僕の場合、その匂いは甘ったるい香水である。最近ではめったに出会わないが、時々ふと誰かとすれ違った時にあまり高級でない、すごい甘い香りがする時があり、その時一瞬気を失ったように過去に戻る。

 それは心斎橋の百貨店、大丸である。今でもあるか知らないが昔大丸の1階は化粧品売り場であり、中2階があっていろいろな小物が陳列してあった。大理石の非常にクラッシックな階段。照明もオレンジに淡く僕は小さな子供の時、母親の買い物を待ちながら弟と階段を走り回っていたのである。おそらくその化粧品売り場の匂いではないかと思う。その匂いは幸福であった子供の時に帰らせる。ああ、何でこんなふうになっちゃんだろう・・・

 アメリカではこの種の香りによく会う。おばあさんでも大量に香水を使っているが、そんな人から香るなにか古風な、50年代という匂い。

 今日夜診が終わって本部に帰ってきたとき、アロマセラピーが終わったところで廊下にいい匂いが立ち込めていて、匂いの記憶を思い出した。後何10年かしたら、アロマオイルの匂いをかいだ時、僕の今の時代を限りなく懐かしく思うのかもしれない。

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perfume breeze

カフェ・ボヘミア

 好みというのはかなり幼い頃に形成されるものであり、変わらないものである。音楽や絵など、昔好きであったものは生涯を通じてやはり好きだし、ピンと来なかったものはやはり成長しても来ないことが多い。もちろん例外はあるが。

 僕の音楽耽溺歴は中学時代のビートルズ(小学生の時に来日し、ピークからは遅れている)から始まるが、昔愛聴していた、または今聞くといいんじゃないかと思う数々のアルバムをCDで購入し、やはり好みは変わらないというのを再認識している。

 佐野元春の「カフェ・ボヘミア」がremixやDVDをつけてボックスセットで発売された。発売20周年記念だそうである。オリジナルのアルバムはよく聴いた、本当に。何かが圧倒的に僕の何かと重なっていたのである。ラブソングは1曲しかない。なにかもっと広い世界のことを歌っている。2曲ほどはまるで村上春樹だと思った。しんとした静かな情熱があるのです。本当にオリジナルな世界を歌っているなという気がした。でも佐野元春においてこのアルバムは単に1枚のアルバムに過ぎないのだろうと思っていました。こんなセットが発売されたところをみると、そうじゃなくて彼にとってもリスナーにとっても特別なものなのかな。

 迷ったけど買いました。で、やっぱりremixもDVDも、圧倒的に好みなのです。何なんだろう。佐野元春は僕と同年輩です。このアルバムがきっかけでコンサートにも2度ほど行った。音楽はとても素晴らしいと思います。でもMCはくさい。よくこんなしらじらし一せりふを吐けるぜと正直困惑する。男子高校生の信望者が多いのはよくわかる。迷える若者たち、頑張ろうぜ!という世界なんだもん。それを照れずにかっこつけてやってて、まるで松岡修三です。ちょっと雰囲気を読め!という感じです。

 でもなー、音楽はフィットするのだ。作品とそれを作る人間の人格とは別物だというセオリーがありますが、なんか抵抗があるがそうなのか。

 ボックスセットには通し番号がつけてありました。僕は237番。多いのか少ないのかよくわからん。でもこれは僕のささやかな宝物であります。ジジイになってもいいと思うだろうな、多分。三つ子の魂、百まで。

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あんまりかっこつけるのもかえって・・・

世界から

 先日日本とフィリピンの自由貿易協定(FTA)が締結し、フィリピン人の介護士がいよいよ日本で働くことになりました。しかし日本政府は非常に厳しい条件(日本語が喋れることなど)をつけており、現地でそのトレーニングのため日本の業者が入って言葉や介護方法など勉強させている状況をニュースでやっていました。フィリピンは多くの人を各国に看護師や介護士として送り出しており、それなりの下地があるようですが、日本で働くつもりで頑張っている人たちは非常に優秀でした。

 「ふーん、こんなに優秀ならすぐ適応するに違いない。これらの人たちが介護士として僕のところで働くようになるくらい一般的になるのもそんなに遠い将来ではないかもね」と思っていたら、昨日新しくフィリピンから来る人たちと一緒に働くのに慣れておくため、またそれらの人を指導するため在日のフィピン人スタッフをご紹介しますというファックスが入っていました。うーむ、ビジネスの人たちは早い。

 ワールド・イズ・フラット。今や世界は同一平面状にあり、国や距離は問題ではなくなっています。ネットが一般的になってから加速していますよね。いいものは受け入れる、そのスピードの速いこと。

 僕はいろいろあるが一番問題のある資質は「頑固」だと思っています。この変化していく世界で、それを受け入れられない柔軟性の欠如は致命的だと。知らないものを否定してしまう臆病さ、不勉強は孤立を生んでしまう。

 人間は本来変化を好まないように、今のままでいいじゃないのと思うようにプログラミングされているのですが、それをぶち壊す柔軟さを常にもっていたいと思います。ベンチャー精神を忘れてはだめですね。

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ちいせぇ、ちいせぇ

捨てる男

 あなたには躾があるか?第2弾。しかし躾というのはすごい字ですねー。身が美しいですもんね。身が引き締まります。

 「捨てられない人」というタイトルで斉藤薫女史は書いています。ストレスがたまるのはなぜか?それは捨てられないからではないか。物も心も、捨てさせすればストレスは消える・・・身の回りの余計なものを捨てよう。欲も願望も、叶わなかったものは一度捨てる。ちょっと濁ったコップの水を捨てるように・・・また新鮮な水をなみなみと注げるのだから。

 そうか・・・はたっと膝を打つワタシ。僕は物持ちのいい男なんですねー。このまえ何とはなしに掛かっていたジャケットをみていいじゃんと思いながら着たのですが、それがなんと!20年近く前のものだったりするのです。だいたい捨てない。それが不幸のもとだったのか・・・

 うちのスタッフでそこらへんの思い切りが実にいい人がいます。どんどん捨てる。気前がいい。女ですが男前です。やはり吹っ切れた、すっきりした面構えです。これでなくっちゃね。

 最近そう思ってどんどん捨てるように心がけています。そうするとだなー、今まで、いるかもと思って捨てないでいたものが役に立ったためしなどほとんどないのですが、捨てだしてから「しもたっ!」というのが続出しています。いるのを捨ててしまうらしい。よくよく捨てるのが下手らしい、この男は。捨てるのも才能ですね。

 でもやっぱり捨てたほうがいいことが起こりそうな気がする、根拠ないけど。もうすこし捨てる勉強を続けます。僕の周りにいるといいものが落ちてるよ、きっと。

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もっといいものも捨てる

ちょいダンスおやじ

 「あなたには躾があるか?」俺はない。で、こんな本を読んでいるのです。齋藤薫女史の本ですが、これはなかなかです。主に若い女性を対象に生き方を説く本ですが、365章に分かれていて(つまり毎日読んで1年である)、切れのある短い文章はブログを集めた感じです。雑誌の連載をまとめたようですが。齋藤薫さんは美容の専門家で、いかにも現代に生きる女性ですが、その視点は勉強になる。特に男が考えないようなことを書くので、僕には割りとハッとすることが多いのです。

 その中で、調子が悪いときは腹筋をしようという文章がありました。どうも気分がのらない、暗いというとき、腹筋をしたら気分が明るくなった。精神と身体とはつながっているという内容ですね。これは古くはフランスの哲学者アランが、気分の不調は全部身体的なものだと考えようと「幸福論」で述べていることからもわかるように割とよく知られてはいることなのですが、実際に身体を動かして気分の不調を治している人は少ないのではないかな。

 軽い運動をすると気分爽快になる。誰でもあることですが、ダンスなんかもそれで気分がよくなると思います。盆踊りなんかも同じ。音楽がいいのではなく、身体を動かすことが気分を良くする一番のもとなのですね。パワーリハビリテーションでも、軽い反復運動が脳内麻薬のベータエンドルフィンなどを分泌させ、そこから行動変容が起こるとされています。動かないと精神もどんどん沈滞していくのです。

 何よりも気分が悪いとそれをそのままほっとかないでいい気分にもって行こうというのがいいですね。実際的なアドバイスで、これは是非実行しようと思います。腹筋か?踊るか?

 僕が廊下で踊っていたら気が狂ったのでもなく、気分がいいのでもなく、むしろ不調なのだと思って近づかないように。

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かなり役に立ちます

ちょいボラおやじ

 ちょいボラおやじとは何か?ちょいワルおやじは古い!今はちょいボラおやじがキテイル!・・・らしい。ボラってボランティアのことです。笑えるなぁ。ほんまか?という感じですが、確かにボランティアに興味を持っている元気な団塊の世代おやじは多そうです。

 実は僕はちょいボラおやじです。

 同門会という、大学で働いていたある医局の在籍者の会で、いろいろ事情があって機能不全に陥っていた同門会を復活させようと有志が集まって幹事会が結成されたのですが、最年長ということだけで幹事長をやらされています。実際の運営は僕より遥かにしっかりしてきちんとした幹事数名がやってくれているおかげで何とか動いているのですが、2年近くなってちょっとみんな疲れている。今日も集まって新年会の運営とか同門会誌の編集とかいろいろ。みんな忙しい開業医で、月に最低1回とはいえ何かと手間がかかるのです。K先生なんかは診療所に事務局のファックスを置いている献身振りで涙が出るのですが(てっていボラおやじ)、みんなこれが、ぜーんーぶボランティア。

 年末はノロウイルスでみんなやたら忙しく、やってられっかい!で、同門会誌や名簿の発刊が遅れていたのですが、医局からはまだでしょうかというクレームがヒソヒソと来たり、ボランティアという甘えは実は許されないのです。ボランティアでも何でも、一度仕事として請け負うと、やはりそれは結果を期待されてしまう。以前デイケアの見学に某診療所に行ったとき、スタッフの数として読みにくいのでボランティアは採用していませんと仰ったところがあったのですが、やはりそれは見識です。

 とか何とか言ってても仕方ござーせん。きっと僕の中の何かが変わるだろうと思ってやることにします。僕くらいの年代になると、金じゃないのよーという感じが分かって来ます。そうじゃない部分のほうは実は大切だと。で、続けるか、ちょいボラおやじ。しかしやっぱりちょいワルおやじのほうが・・・。

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こいつはかっこいいです。

ブック・ショップは海

 僕はワーカホリックである。違うなー、微妙に。アル中?こりゃ、ぜんぜんだ。一時お昼からよくビールを飲んでいたりしたが最近は飲まないほうが熟睡できる。友人からもらったオリジナルのウイスキーは飲んでるけどね。ミュージック・アディクトは?かなり近いが、アイポッドで街を歩いたり走ったりという感覚はまるでないのでやはり違う。やはり活字中毒である。これが正解。別に誰も訊いてないけど。

 本屋さんは昔から最も心休まる場所である。いい本屋さんが見つかると、とても気分がいい。グッド。昔、西宮北口に敷地の3分の1くらいを喫茶店のようにしている本屋さんが在って、買った本をそこで読めていい感じだった。本のセレクションも抜群にセンスがよかった。最近久しぶりに行ったらなんと!全部喫茶店になっていた。びっくり!経営者はいっしょである。本屋さんは難しいんだ。とても残念である。本屋さんは置いている本にかなり個性があって、自分の好みにあった本屋さんというのは非常に貴重なのであるが。

 よく本屋さんをぶらぶらしていると、日によって本のあたりの調子がかなり違うというのがわかる。釣りみたいなもんである。こいつは面白そう、という本が次から次へという、思わず涎が出そうな大漁の日もあれば、読みたかった本を見てもあまりピンと来ず、そのまま何を見ても「もひとつねー」となって寂しく帰る日もある。大体どんどん来る時は体調もよくバイオリズムも上昇中という感じの日が多い。自分のコンディションが本屋さんに行くとわかるのである。

 最近僕の車は、鍵についたドア開閉リモコンの電池が切れかけているのか時々反応しない。ところがなんというか、気合いが入っている時はカチッと反応するのである。明らかに違っているのである。これも体調のバロメーターとなっている。・・・すいません、しょうむないこと言いました。

 いずれにしろ僕にとって本屋さんは釣り師にとっての渓流、海であり、悦楽をもたらす場所、リフレッシュの空間である。仲のいい本屋さんも少し縮小したりしてなかなか大変である。最近実はネットで買うことも多かったのだが、やはり実物を手に取り、パラパラとめくってその気配を感じなければ失敗することが多い。バーチャルな釣り場はやはりだめだ。ちゃんと本屋さんに行こう。もしいいところ知ってたら教えてね。

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おお、快楽の場所よ

仕事始め

 今日は仕事始めである。仕事モードに戻ろうと朝6時に起きて愛犬の散歩をしたが、外は真っ暗じゃないか!満月に近い月が煌々と西の空に見える。犬の白い体が暗闇に浮き出している。1月とは思えないくらい暖かい。

 阪神高速に乗って朝日に向かって車を走らせる。CDをかけるとビューティフルな、ストーンズの「友を待つ」が流れてきた。「Jump back」という中期ストーンズのベストアルバムは最近のベリー・ヘビー・ローテーションである。ミック・ジャガーに待たれていたりしたら俺なんて滅茶苦茶あせっちゃうな、とか考えて、まだ例のオービスの呼び出しが来ていないことを思い出す。もうすぐ3ヶ月である。あれは幻覚だったんでしょうか、皆さん。幻覚だと嬉しいんですけど。でも3ヶ月ちょうどで来たやつもいるしなー、これの結果で今年の運勢を占うことにする。おみくじより確かな気がする。

 外来は快調に1時過ぎに終わり、腹が減ったのを我慢してデイケア、デイサービス3ヶ所の利用者さんに新年のご挨拶をしに行く。皆さんいい感じで迎えてくれて、1つのデイサービスでは認知症の利用者さんに「院長先生、何しに来はった?」とニコニコして言われ、「お年玉もらいに来ましたー」と答えて笑いをとる。全く威厳というものがない。

 午後診が終わり、午後8時過ぎに今日の報告を法人本部で聞き、またちょっと疲れ(診療よりも何よりも人事が疲れる、総ての人が仲良くやっていくことは僕がマスターズに出るより難しい)、家路に就く。またも始まる仕事の日々。しかしな、今年は結構激動なのだ。トラブル・サーフィンに決まってる。でもね、楽しく頑張るよー。スタッフのみんなも頑張ろうな!

PS.今年の目標の一つは No TV at all !!です。あっ、except スポーツ中継ですね。

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この日をつかめ!

忙しい天国

 新年2日目。なんのかんのやることはあるが原則的に暇である。日頃やらなくてはならないこと、考えなくてはならないことに追い回されているので天国のようなものであるが、天国は毎日いると退屈かもしれん。

 ご高齢の方を診察していて思うのだが、退屈されているというのがネガティブファクターだと感じる。敬愛するディレッタント、故植草甚一氏が「遊ぶほうが仕事より難しい。なぜなら自分で頭を使わないと楽しく遊べないから」と述べているが至言である。仕事が休みくらいで退屈といっているようでは先が思いやられるぜ!遊ぶことに頭を使おう。

 同じ遊びでも徹底的にしないとつまらない。何事も700時間やればそれなりに格好がつくという説がある。だとすれば1日30分毎日練習したとすると1400日、約4年。新しいことでも今からはじめれば十分である。結構やりたいことがあるのでワクワクしてきた。

 僕は仕事も遊びと等価のところがあるのだが(ゆえに、いわゆる遊びにあまり時間を取れないというところがある)、たくさんの可能性を設けたほうが楽しい。人生を遊び倒せ!と今日は心に刻んだ。それが本当の天国。

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やるよー

元旦ばなな

 新年明けましておめでとう御座います。

 区切りですよね、こういうのは。毎日の生活を自分で1章1章区切っているのですが、このような強制的な区切りは意味がある。いっそ大切にしていくべきかと思います。リセットのいい機会ですよね、誰も文句を言えない。

 大晦日から元旦にかけて何をしていたかというと本を読んでいました。この時期に読もうと思っていた本があってそれを1冊読破し、2冊目も終わりかけである。選択がよかった。読み終わった1冊はよしもとばななの「デッドエンドの思い出」です。

 よしもとばななは1時期モストフェバリットの作家でした。「ムーンライトシャドウ」という短編は、個人的に好きな短編のアンソロジーを編むとしたら、間違いなく最初に思い出す大好きな作品で、最後の2行は本当に涙が出てくる。今まで10回くらい読み返していると思います。でもここ数年は遠ざかっていました。ちょっとつまらなかった。

 「デッドエンドの思い出」は書評もよかったし、彼女自身が1番好きとコメントしていることもあって気になっていたのですがどうも機会がなかった。しかし読んでよかったです。最近本当に素晴らしいと思った短編集は村上春樹の「東京奇譚」ですが、個人的にはそれに匹敵します。

 甘くない不幸な話ばかりなのですがみんな救いがある。一言で表現できないですが、特別な関係の人に対してだけではなく、普通の関わりの人達に対しても、気を使った思いやりの心があれば何とか人はやっていくことが出来るというメッセージを感じました。アメリカの作家であるカート・ボネガット・ジュニアが「愛は負けても親切は勝つ」という言葉を残していますが、それと同じかなと思います。

 少し引用。

 この世の中に、あの会いかたで出会ってしまったがゆえに、私とその人たちはどうやってもうまくいかなかった。
 でもどこか遠くの、深い深い世界で、きっときれいな水辺のところで、私達はほほえみあい、ただ優しくしあい、いい時間を過ごしているに違いない、そういうふうに思うのだ。

 いがみ合ったりするのはつまんないですね。
 グッド・ラック!

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幸福な思い出があれば生きていける