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忙しい天国

 新年2日目。なんのかんのやることはあるが原則的に暇である。日頃やらなくてはならないこと、考えなくてはならないことに追い回されているので天国のようなものであるが、天国は毎日いると退屈かもしれん。

 ご高齢の方を診察していて思うのだが、退屈されているというのがネガティブファクターだと感じる。敬愛するディレッタント、故植草甚一氏が「遊ぶほうが仕事より難しい。なぜなら自分で頭を使わないと楽しく遊べないから」と述べているが至言である。仕事が休みくらいで退屈といっているようでは先が思いやられるぜ!遊ぶことに頭を使おう。

 同じ遊びでも徹底的にしないとつまらない。何事も700時間やればそれなりに格好がつくという説がある。だとすれば1日30分毎日練習したとすると1400日、約4年。新しいことでも今からはじめれば十分である。結構やりたいことがあるのでワクワクしてきた。

 僕は仕事も遊びと等価のところがあるのだが(ゆえに、いわゆる遊びにあまり時間を取れないというところがある)、たくさんの可能性を設けたほうが楽しい。人生を遊び倒せ!と今日は心に刻んだ。それが本当の天国。

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やるよー

元旦ばなな

 新年明けましておめでとう御座います。

 区切りですよね、こういうのは。毎日の生活を自分で1章1章区切っているのですが、このような強制的な区切りは意味がある。いっそ大切にしていくべきかと思います。リセットのいい機会ですよね、誰も文句を言えない。

 大晦日から元旦にかけて何をしていたかというと本を読んでいました。この時期に読もうと思っていた本があってそれを1冊読破し、2冊目も終わりかけである。選択がよかった。読み終わった1冊はよしもとばななの「デッドエンドの思い出」です。

 よしもとばななは1時期モストフェバリットの作家でした。「ムーンライトシャドウ」という短編は、個人的に好きな短編のアンソロジーを編むとしたら、間違いなく最初に思い出す大好きな作品で、最後の2行は本当に涙が出てくる。今まで10回くらい読み返していると思います。でもここ数年は遠ざかっていました。ちょっとつまらなかった。

 「デッドエンドの思い出」は書評もよかったし、彼女自身が1番好きとコメントしていることもあって気になっていたのですがどうも機会がなかった。しかし読んでよかったです。最近本当に素晴らしいと思った短編集は村上春樹の「東京奇譚」ですが、個人的にはそれに匹敵します。

 甘くない不幸な話ばかりなのですがみんな救いがある。一言で表現できないですが、特別な関係の人に対してだけではなく、普通の関わりの人達に対しても、気を使った思いやりの心があれば何とか人はやっていくことが出来るというメッセージを感じました。アメリカの作家であるカート・ボネガット・ジュニアが「愛は負けても親切は勝つ」という言葉を残していますが、それと同じかなと思います。

 少し引用。

 この世の中に、あの会いかたで出会ってしまったがゆえに、私とその人たちはどうやってもうまくいかなかった。
 でもどこか遠くの、深い深い世界で、きっときれいな水辺のところで、私達はほほえみあい、ただ優しくしあい、いい時間を過ごしているに違いない、そういうふうに思うのだ。

 いがみ合ったりするのはつまんないですね。
 グッド・ラック!

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幸福な思い出があれば生きていける

青空

 年末進行である。ここ数日超忙しく、昼飯は診察の合間の数分間に電子カルテ見ながらおにぎり3個という悲しい寂しいパターンである。「ご盛業で…」と皮肉を言われそうだが経営者としてはいろいろ問題のある懸案大山積みで、頭が痛い年の暮れである。昨日は大雨の中、往診のため軽自動車を運転しながら石川啄木の歌を思い出し、じっと手を見てぶつけそうになった。あぶねぇ、あぶねぇ。

 こんなことを言っている場合じゃない。今年も暮れる。尊敬する内田樹先生がこんなことを言っている。コミュニケーションを妨げるものは、こだわり、プライド、被害者意識であると。生きていくということはコミュニケーションを続けていくということである。だから僕はその妨げと反対の人間を目指そう。つまり、こだわらず、いじけず、そして臆さず、いつもニコニコ。イタリア語で言うところの「セノーラ」な人間である。青空のように夏のそよ風のように、明るく屈託がなく、フットワークのいいライトウェイトスポーツカー。一部では僕の能天気なところを指してかなり達成されていると見る向きもあるようであるが、甘い甘い。もっとです。ほとんどバカに見えるくらいが理想。

 明日からちょっと断れない理由で冬山です。寒いでしょう、そうなんです、遭難です。でも気分転換に行ってきます。まだ行くまでに片付けなければならない仕事が山積みですが。ブログ書いとる場合じゃない。でもいいや。それでは皆さん、一足お先に。ハブ・ア・ハッピー・ホリディズ。アディオス!

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smile please !

12月

 全く冬らしくない暖かい日が続いているが、一応12月は忘年会とかいろいろあった。しかし明日でほほ全部終了である。急に入るかもしれんがね。

 最近いわゆる医療関係以外の人と飲んだり食べに行ったりする機会が増えた。大学に勤めていたときは仕事仲間以外とはとっても少なかったのだが。だけど当然違う業種以外の人と話すほうが得るものが多い。もう少し早くそうするべきだったなぁと少し思う。

 旅に出て、全く自分の肩書きとか関係のない旅館や料理屋の人とかと話したとき、どのように遇されるかで実力がわかるという話がある。生身の自分だけで勝負したとき、僕はどれだけ価値のある人間だろうか。面白みのある男だろうか。

 僕は仕事がこの世で最も面白いと思っている。そしてそれを恥じる気もない。そうでない人を非難する気もないけど。でも仕事を離れたとき、何も残っていないようでは相当問題があるぞ。そんな自分とは思ってはいないが。でも・・・

 「本業以外に金を取れるぐらいの趣味を物にしたまえ」と、昔教えていただいたことがある。来年の課題です。

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月を眺めて考えるなぁ

心も肌も乾燥はいけません。

 冬になると全身のかゆみを訴えるご老人が増える。皮膚がカサカサである。乾燥性皮膚炎である。空気も乾燥し暖房も入れるとますます乾燥が増悪する。「老化とは乾燥である」という言葉もあるとおりただでさえ水分が少ないのに、おしっこの回数が多くなるからと水分を取りたがらないご老人が多い。それに唾液分泌が少なくなって口が乾燥しても、知覚的にわかりにくくなっているのでよけい水分摂取量が減る。

 ご老人に限らず小さな子供でも乾燥肌は多い。アトピーまでいかなくても乾燥肌で背中に掻き傷をたくさん作っている子が増える。

 そんな時「お風呂に入るとき、タオルはなに使っているの?」と尋ねると、驚くほどの確率で「ナイロンタオル」という答えが返ってくる。泡がいっぱい出てゴシゴシこすれて、なにかすごい清潔になった気がするタオルですが、かなり前に皮膚の黒変が問題になったことがある。こいつが悪者なのである。「いけないんですか?知らなかった」と言われる方も多い。

 身体の外側を覆う皮膚はバリアとして重要な役を担っている。病原体やアレルゲンが体内に侵入するのを防ぎ、一方では体内の水分が蒸発しすぎるのを防ぐ。皮膚の中で最も外側にある角質層が特に重要だ。細胞がきっちり並んでいることに加え細胞内や細胞間がケラチンやセラミドなどの繊維やたんぱく質、脂質で満たされているからである。

 ナイロンタオルは角質層の細胞をはがしてしまいバリアが壊してしまう。普通のタオルでもゴシゴシこするのはよくない。乾布摩擦や垢すりなんかちょっと失神物だ。石鹸も皮脂を取りすぎてしまうことがあるのであまり大量に使わないほうがいい。少量を泡立てる、それを身体にそっと置いて撫ぜるだけで十分なのである。伊丹十三の「女たちよ!」だったか「ヨーロッパ退屈日記」だったかどちらかに、石鹸は使うときこすらないでいいのだと主張している友人の話が書かれていて、彼は風呂場で石鹸の泡をつけたまま、じっと身体が冷えてくるのを我慢しながら「これが正しい身体の洗い方なのだ」と呟いているのだろうかと皮肉っぽく書かれてあったのを思い出した。彼の友人は何十年も前からスキンケアの真髄を会得していたのである!

 入浴後は保湿をおこなう。バリア機能の保持と保湿とは全く同一ではないが(セラミドは両方の性質を持つ)、保湿のみでもそれなりにバリア機能は改善される。ただし尿素は角質を溶かして皮膚をつるつるにするので子供さんやアトピーの方には適さない。大事なのは入浴が終わってから3分以内に塗ることである。入浴して皮膚内に入った水分が蒸発するときは周りの水分子も引っ張って蒸発するので何も塗らなければ皮膚は入浴前より乾燥する。しかも皮脂も減っているのでどんどん乾燥する。保湿剤は脱衣場に置くこと。身体の水分を拭くのもゴシゴシこすらずタオルをあてて水分を取る(こういうのは女性をよく知っているのだろうが男性は全く無知である)。

 アトピー性皮膚炎はアレルギーということで食事制限を厳格にしている親御さんも多いが、基本は皮膚が弱いということでスキンケアが非常に重要である。今春「ネイチャージェネティックス」にアトピーの患者さんは角質の構造と保湿能力に大切なたんぱく質であるフィラグリンを作る遺伝子異常率が非常に高いというレポートが載った。アトピーになりやすさを左右する要因として皮膚のバリア機能が重要ということだ。アトピーの患者さんの皮膚は炎症のない部分でも普通の部位より水分の蒸発が1.5倍ほど多く保湿能力が低いと報告されている。角質セラミドも6割程度しかないとされている。ポイントはスキンケアなのだ。ナイロンタオルの使用をやめただけでアトピーといわれていたのが一挙に改善した例が何例もあった。

 僕はコスメティックには全く未開発な人間で、整髪料もほとんど使用したことがない。僕の後輩でこういったことに詳しく、実践もちゃんとしている男がいるが、彼の顔はツヤツヤである。うーむ、そろそろ考えねばなるまい。うちの法人で扱っている清酒の「大関」が米を材料にして作っているスキンローションを塗ってみるとこれがなかなかよろしい。僕は車の小さな傷もタッチペイントでちょいちょいと直しておくだけであまり気にしない人間なのだが、自分のボディペイントも気にかけるようにしよう。こういうことをちゃんとすると内臓のこともちゃんとするようになる。是非皆さんも、特に男性の方、1に清潔、2に保湿です。来年からちゃんとしようね。

人生はロコ・ロード

 家の近くにその地域在住者のみがよく使う道、いわゆるロコ・ロードがあります。そこを車で走るとかなり時間が短縮されるのですが、狭い(半分くらいすれ違い不可能)、曲がりくねっている(設置されている鏡をうまく使わないと向こうから来る車がわかりにくい)、人がよく歩いている(危険)、4方向から車が来る踏切がある(優先は自己判断)などという、脅威のハードルいっぱいで、そこをチョイスするときは深呼吸をして、今日はうまく行きますようにとお守りを握り締めながら走ります。ドキドキ。

 そこを走る条件は①即座に行くか待つか、決めることが出来る状況判断能力を持つ、②自我を通さず、譲るべきところは潔く譲る、③譲ってもらったら相手に敬意を表して挨拶できる、といったところです。社会生活そのものですね。

 ロコの車が多く、重大事態に至ることは割と少ないのですが(踏み切りでの掛け合いなんか、このあたりはメチャクチャ民度が高いぜ!と感動します)、時々全くわかっていない何を考えているのか外見も含め全く理解不能のおばちゃんが、わざと眼球を正面に固定したまま急に突っ込んできて大惨事にいたります。僕も夜の雨の中、長距離をバックして溝に落ちそうになり、避けたためにゴミ箱に突っ込んでかすり傷をつけるというえらい目にあいました。だけどおばちゃんは絶対に謝らないですね。

 何でそんなとこを走るんだ?というご指摘ももっともですが、運試しもさることながら人と人との振舞い方の勉強になります。鍛えとるわけです。そして毎回おんなじ道じゃつまらないじゃん。ハイリスク、ハイリターン。人生もこれで行くと今に泣くことになる気がしますが。まっ、いいか。

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大違いだよ・・・

ワーカー・オブ・ザ・イヤー

 昨日、うちの法人での年次報告会と忘年会があった。医者が一人の医療法人で経営状況もスタッフに報告する年次報告会などをやっているところは少ないが、介護施設を複数併設してスタッフ数が60人近くおり、人により他のところでの状況を全く知らないことも多いので、法人全体を把握していただくために3年前より始めたのである。

 今年は新しい試みとして優秀なスタッフ、施設の表彰を行った。評価基準は難しいが、客観的な数値も含めての妥当な選択だったと思う。別のスタッフから「よく見てはるなと思って嬉しかった」という感想も貰った。ほっとした。

 表彰は頑張っている人への心よりの感謝である。有難う、これからもよろしく。ほかにも多くのスタッフ、施設を表彰したかったが、そんなことを言っていてはきりがない。また来年もある。

 ワーカー・オブ・ザ・イヤーが選ばれたのだが、僕はドクター・オブ・ザ・イヤーになれているのだろうか。自問しつつ眠りにつく。久しぶりに少しアルコールを飲んだせいか気分がすっきりしないな。

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これじゃなくて表彰状です

クールジャパン!

 本屋さんをブラブラ覗いていると、大友克洋氏が描くペットボトルらっぱ飲み高校生(かっこよすぎ!)が表紙の雑誌が眼に止まりました。

 「おお、ブルータスではないか!」。特集は「WHY?WHAT?クールジャパン!?」です。かなり前から日本は主としてポップカルチャーが世界から注目されているのですが、いったいどのへんが受けているのか、その分析ですね。10年ほど前、日本で一番原稿料の高い雑誌であったブルータスは、この号でもフランク・ミューラーとかが登場していて、ま、結構売れてんのかしらね、という感じです。

 久しぶりに買ったブルータスですが、内容はとても良かった。すみからすみまで退屈なし。Never a dull momentでした。まあ、僕の好みはあまり一般的ではないと言われていますが。

 日本はポップカルチャーだけでなく、プロダクツや生活様式まで結構格好いいと思われている感じがよくわかりました。ロシアなんか驚きです。アメリカで日本マニアのお爺さんのお家に招待されてことがあって、そのあまりの本格ぶりに驚いたことがあるのですが、外国の日本マニアの人ってその熱心ぶりはかなりおたくっぽいのかもしれません。

 米国の広告代理店「ワイデン+ケネディ」のCEOが、なぜ日本がクール(これはいけてる!ってことです。念のため)なのかという問いに、「クオリティーは、日本人以外の人がジャパンと聞いてまず連想する日本のDNAだ。その土台にクリエイティブが加わっているからだ」と述べています。彼は「クオリティー」こそ日本のキモと力説しています。これが無くなればだめと。

 これはかなり正しい気がします。そして「4時間前にカフェに忘れた財布がそのまま戻ってきた!これぞクールジャパンだよ」と言っている人もいました。物だけでなく人間のクオリティーもかなりハイレベルなところがあると思います。僕たちは日常でこいつを追及したいですね。

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内容も外見も

幸福の香り

 結構よく読むブログに「さなめも」がある。佐藤尚之氏(さとなお)がレストランの採点をした爆発的にヒットしたブログだが、現在はグルメ方面はやや休止中で日記が中心になっている。

 今日書かれていた内容は心に引っかかった。少し引用してみよう。
 
 美輪明宏が「幸せとは陽炎のように儚いもの。手にした瞬間に飛び去るもの」みたいなことを書いていたが、その通りかもしれない。彼は続けて「なのに世の中の人は『幸せになります』『幸せになりたい』と、一度手に入れたら未来永劫変わらない固形物でもあるかのように言い、求める」みたいなことを言う。つまり結婚式とかで「幸せになってね」とか「なります」とか言うのは違ってるよ、ってことだ。幸せとは瞬間の感覚のことを呼ぶのだから。そしてそれが続くとだんだん麻痺して当たり前になり、また不満を持ち始めるのが人間なのだから。

 だから、たぶん、幸せとは「なる」ものではなくて「気づく」ものなんだろう。

 幸せに気づく感性(それはたぶん感謝する心)をもっともっと磨きたい。

 幸福とは匂いのようなものですぐ消え去ってしまう。囲い込みは出来ない。なくなってからあれは幸福だったんだ、と気づく。常に香りを興すように意識をもっていかないと永遠にわからない。ボンヤリ生きていては幸福は来ない。

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物より・・・

スマイル、プリーズ!

 相変わらずノロウイルスは強力である。吐き下しの人続出で、点滴、処方もワンパターンであるが(実際は個別で若干のバリエーションがあるものの)、診察室に入ってくる人の様子は千差万別である。

 立ってることができず青ざめながら待合室からベッドに運び込まれる人から、平然として3日間何も食べてませんという人までいろいろだ。まあノロウイルスに限らず、初診の方が診察室に入ってくる様子は個性にあふれているが。

 かたや身体的問題を抱えており、かたやそれを解決するのが仕事の人間が対するのだから、患者さんとしてはもだえ苦しんで入ってきてもなんら問題はない。しかしお互い大人で初対面の人間同士なのだから、それなりの礼儀はちょっとはあってもいいかなーなんていう場合もまれにある。そういった問題は多くは僕よりもスタッフが直面する。「ピリン系とかお薬でアレルギーはありませんね?」と訊いて「そんなこと知るわけないわよ!」と言われたとか。まあしんどい時に早く処置をしてもらいたかったのだろうし、訊きかたも悪かったのかも知れぬ。

 というわけで、混んでいるときの診察室処置室は結構野戦病院的ですが、今日来院した女性は感じが良かった。とてもニコニコしているのである。体温38.5℃である。今日だけで10回以上下痢していて今も吐きそうだそうである。でもニコニコして礼儀正しく答えてくれる。そう振舞おうとしているのがわかるのです。あんまりしんどくなかったんだよ。そりゃそうかもしれんね。でも微笑みというのがこんなにも気持ちを安らかにしてくれるのかというのが、また改めてわかりました。

 しんどい時こそ微笑を。これは患者さんに言ってんじゃないよ、当たり前だ。僕自身に言っているのである。

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笑ってなんぼ、笑わせてなんぼよ