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ヘスペリス

きょう美術品が届いた。僕の友人で美術を専攻する大学生に発表の場を提供するということを半分仕事、半分趣味でしている人がいるのだが、彼女からクリニックのシンボルである福老、じゃなかった梟をテーマにしたいい作品があるから見に来ないとしばらく前にお誘いがあった。

 

それは20代の彫刻を作っている女性の作品なのだが、女性の胸像の顔が梟になっており、前向きの胸に顔が後ろを向いたもの、その逆の2体が対になっている。いかにもアートであります。梟は首がぐるっと180度回るのですが、身体が前を向いていても心の中は逆かもしれない、必ず見たままじゃないということでしょうか。ちょっと不気味でもあるが顔がなかなか崇高なのでいただくことにしました。

 

今日作者とともにその梟がやってきたのである。名前はヘスペリス。ギリシャ神話に登場する黄金の林檎を守っている女神だそうです。西の果てにある楽園に住み、ネクタルという不老不死の飲み物を飲みながらいつも歌を歌っている精霊。クリニックの一つのテーマであるアンチ・エイジングに相応しいでしょうということで命名して頂きました。有難う。

 

どこに設置するかは考慮中であります。結構見るとびっくりする人もいるかもしれない。ちょっと宗教っぽい感じもするし、かなり場所を選ぶ。しかし必ず相応しいところはあると思います。

 

もしクリニック内で見つけた方は胸に手を合わせ、眼をつぶって自分に正直に生きているかしばし反省するように。必ずいいことがおこります。多分。

 

迫力ねー。

早寝早起き、整理整頓、質実剛健、才色兼備・・・

ごく最近の(どれ位前からかは企業秘密である)マイブームは「整理整頓」である。もともと僕はきれい好きだったのだ。独身の頃は結構まめに掃除したり、靴を磨いたり、服もちゃんと畳んでいた。

 

30代、40代とだらしなくなり、著しい症状の増悪が認められたのは50を超えてからか。こう書くとひょっとすると認知症では?という疑いもわいてくるが、基本的には忙しくなってやってる暇がないからというのが客観的なところだと思う。でもちゃんとした人はどんなに忙しくても片付けるから、やっぱり基本的には整理整頓能力がやや欠如している?

 

以前医者のほとんどは自閉症かADHD(注意欠陥多動症候群)ですよという小児科の先生の意見を紹介したことがある。僕は典型的ADHDと思われる。片付けられない、すぐ別のものに注意が行く、ほりっ放し、やりっ放しで逃げる・・・とても反省している。で此の頃は意識して新しいものには手を出さず、整理して昔のものを大切に使用し、すべてのものきちんと整頓しようとしている。自閉症ちょっと入ってる?のです。

 

やってみるとかなり快感であります。なぜ早くしなかったんだろう。以前から持っているものはやはりそれなりの選択でもち続けたものなので、なかなか結構なものが多い気がする。本しかりCDしかり、文献やもろもろの小道具しかり。今までどれだけ無駄をしてきただろうと悲しくなってくる。今の手持ちのカードですべてまかなえるのでは・・・

 

で何でも仕舞い込まず活用、判るようにちゃんと並べる、まるで自分が無駄のないキチンとした人間になったような気がする。

 

作家の森博嗣氏のブログを読んでいると、彼は今年限りで休筆するのではなく、新しい仕事を受けないと決めたようであった。表にも出ない。しかし書く予定はすべてもう決めてあり、いろいろなシリーズ何冊と具体的で17冊分(しかし本になるのは16冊、このずれは謎かけらしい)。50歳からはもうロスタイムみたいなものだ、しかしこれだけ書くには何年かかるだろうと彼は書く。この計画性!

 

整理整頓をやっと始めたくらいで満足してはいけません。先の計画も綿密に。それでこそロスタイムが生きる(わかっちゃいるけどやめられない)。

 

やれやれ・・・

ツリーの思い出

家の近くの夙川駅前広場にクリスマスツリーが立った。こいつはかなり歴史のあるやつで、終戦直後(半世紀以上前だ)にアメリカ軍の将校が始めたのがそのまま続けられているらしい。この辺りは昔GM(今は大変なことになっているけど)の代理店だかがあり、アメリカ人の居住率は一時人口の30%近くだったこともあるそうで、今でもアメリカ大使館の出張所がある。例の911事件の時は大量の警察官がウロウロしていた。

 

こんな歴史のことを何で知っているかというと、中沢新一氏の「アース・ダイバー」を読んだからだ。この本は縄文時代の東京地質図から、その頃と現在の東京との関連を調べたもので、今なんとなく変なつくりになっている道や建物は、結構歴史から考えると当然の配置であることがわかるという謎解きのような本だ。なかなか面白く、自分の住んでいるところの歴史を知りたくなり、この夏の僕の自由研究のテーマは「すんでいるところのれきしをしらべましょう」だったのだよ。

 

クリニックの1階にもツリーを飾った。長い間自宅で埃を被っていたもので、ちょっとまだ飾りつけが手薄だが、もう少しパワーアップしよう。じつはクリスマス用の飾り付けでちょっと自慢の隠しだまがあるのだがこれはもう少ししてからのお楽しみ。

 

僕が始めてクリスマスツリーを意識したのは、子供時代に家族で旅行に行った雪の箱根で、本当の大きな樅の木にクリスマスの飾り付けがしてあったのを見た時だ。おお、平和な時代。それから沢山の水が橋の下を流れ、僕はこんなになってしまった・・・

 

風邪でクリニックに来た子供が大きくなって、あの医院でクリスマスの飾り付けをしていたな、と思い出してくれたらいいんだけどな。思い出に残るクリニック。まっ、ハードよりソフトだよな、大事なのは。

 

 

朝で頭も写真もボケています。

 

 

 

 

最後の講義

なんとかブログまでたどり着いたなぁ・・・ここしばらくなんやかんやで夜が遅く、書く時間がなかったというのもあるが、風邪かなぁ、気力がもたなかったのであった。身体が何よりも睡眠を要求していて、ただダルイ、先週はルーチンで精一杯という週だったのである。まあそんなこともあるさ。

 

日曜日もレセプトとかあったにしろボーとしていた。少し生産的だったのはYou Tubehttp://jp.youtube.com/watch?v=nrFMRuB2lbAを見たことである。

 

これはカーネギー・メロン大学のコンピューターサイエンスの教授、ランディ・パウシュ氏が行った最後の講義で、8つに分かれている。全部で1時間半以上あるが「子供の時の夢を実現するためには」というタイトルでユーモアたっぷりに話されるこの講義は全く退屈しない。

 

彼は末期癌に侵されており、文字通り最後の授業なのである。

 

まだ40代である。さぞ無念だろうし、とても表現できない苦悩があるに違いない。しかし彼はよく考えられた構成で楽しく、夢をどのように実現していくか、自分の経歴を織り交ぜながら快活に話していく。時にリアルな自分の状況をも笑いをとるねたにして。聴衆もよく判っているがちゃんと反応する。

 

すごいなぁ、この精神力。突き詰めて考えた末の結論に納得して行動している。こんな風に生きることも出来るのである。毎日生活していると、これぐらいという大まかな限界が世間で勝手に決まってくる気がするが、それをやすやすと突き破っている人もいる。そして表に出ないだけで、僕が知らないだけで、このような人は案外多いのかも知れぬ。

 

謙虚に頭をたれる。世の中は広い。学ぶことは多いのである。

 

 

DVDもあるようである。

バスタイム

久し振りに風呂読書をする。しばらくシャワーばかりだったのだが、今日はちゃんと風呂を入れてと・・・。

 

風呂での入浴はとてもリラックスする.大体小説なりなんなりの1章分を読むのだが、その間は完全に集中している。全く他のことが入り込む余地が無い。脳をウォシュしているのである。非常に快楽であります。

 

問題は僕が何かの問題を解決するとき、グッドアイデアが浮かぶときというのは結構シャワー、入浴中が多いということで、本を読むとそのチャンスが多いに減る。大体いいアイデアが閃くときは机の前で熟考しているということはまず無い。グッドアイデアが出るのはベッドの上、トイレ中、馬に乗っているときというのが中国の諺にあるのだが、僕の場合は愛犬との散歩中、運転中、そして風呂、シャワー中である。

 

これは続いている仕事感覚の流れが断ち切られる時であり、しかも一人で快適で脳内エンドルフィンが出てそうな行為中ということになる。一見何も考えて無さそうな、非生産的な時間であるが、実はゴールデンタイムなのであった。

 

この時間を読書に使うことはもったいない気もするが、この時は完全なリラックスタイムでありエンドルフィンは大噴出しているので、これはこれで脳の再生には有効なはずだ。

 

先週「欝」の講義を聴いてから、精神をいつもご機嫌な状態に持っていくことがいかに大切か、そしてどうすればいいか、ずっと考えているのだが、入浴は結構大事なポイントに違いない。全く雑念の入らない集中した快適な時間。こういう個人的な選択肢をいくつ持つことが出来るかは生存能力に関わってくると思う。まっ、入浴はお手軽だしお勧めだな。

 

 

誰の足?

リセット?

久し振りに友人から電話がかかる。彼女とは30年くらいの付き合いで今では子供もほぼ手を離れ、自分の趣味と実益を兼ねた(といっても収益はあまり無さそうだけど)アート関係のことをやっている。僕と同年齢である。共通の友人についての相談の後「最近どう?」という話になるが珍しくあまり元気が無い。

 

「なんかさぁ、このまま年をとって子供の世話になるしかないのかなんて思うともう早く死んじゃった方がいいのかなぁなんて思うわよ」

「そんなに楽しいことってあまり無いじゃない?なんだろう?あるかなぁー」

 

彼女の場合、どうもある友人との付き合いがしっくりいってないみたいでそれが主因であると鋭い臨床医である私は診断を下し、「くだくだ言ってないで早く風呂に入ってぐっすり寝てください」と高校生に対するかのような回答を言う。

 

勿論、実際はそう簡単なものではない。

 

 

「アエラ」を手に取る。「男50歳の危機、力まずリセット」との記事。「会社にも家庭にも恋愛にも居場所が無い50過ぎのダメ男。同世代の友人が立て続けに旅立ち、孤立感だけが募っていく」・・・ここもかよ!

 

昨年の日本における自殺者は50代が各年齢層で最大だそうである。凶悪犯罪も50歳代男が最大数である。つまり生きにくい世代というか年代なのだな。

 

それがどうした!?

 

この世代は元気が無い。迷えるミッド・エイジ・クライシスである。ということは元気であるということだけで存在価値があるということだ。こいつ元気で明るいなー、まあいつまでたっても楽しそうでしぶといわねー、何をやっても死なないな、こいつ、と他の世代に思わせるのが50代の役割なんじゃなかろうかね。枯れるのはまだ早いよ!

 

と僕は信じている。でもこの真っ暗な闇にそぼ降る雨の音を聞いていると心がシンシンとしてくるのを否定はしないけどね。でも明日になれば僕は再び蘇るのである。懲りずに。

 

 

 

 

 So what ?

 

 

What is that ?

これは何か?朝の京橋の空に浮遊する飛行船 「僕のへこんだグリーンのバランスボール」 である、なっ訳無い!

じつはねー、車のウインドウに張り付いた青虫である。西宮から大阪まで出勤である。途中で気が付いたのだが、振り落とすのもなんだし(だいたいどうやって?)そのまま来た。

以前と違ったこと、数年前と比べて変わった僕、というのは何単元かあるのですが(食事中によく噛むように心がけている、前のようにほとんど丸呑みしない、など。つまらねー、ほっといて)、殺生しない!何でも!というのがその一つです。

蚊とかゴキブリとか、まあそこまで考えんでもというのも殺生しない。朝出る蜘蛛なんかは勿論である。すべてのものの命は意味があり、自分の都合で考えてはいかん。なんかのひょうしで捕まえてもキャッチ アンド リリースの原則を守る。

いつ頃からそうなったのかはっきりしない。でも強くそう感じるように心の流れが変わっていったのだ。今までの懺悔?まさか。何に転生するかわからないから?ぼくはそういうのは全く信じないのだ。ひょっとすると間違っているかもしれないがいわゆるスピリチュアルは全く信じないのです。

でも殺生は駄目、これはブラインド・フェイスです。スピリチュアルは信じないのですが、この地球上のものはすべて自分と同一ではないか。色即是空 空即是色。これがベースのような気がします。

この飛行船はお昼にはどこかに消えていました。無事を祈る。

モーニング

昨日休みだったんだけどやることがあって早く出かけた。少し早く着いたのでどうしようかなー、コーヒー飲みたいなと思っていると「モーニング」と看板を出している喫茶店があるではないか。

「モーニング」!20年以上いただいたことが無い。研修医だった頃に同期生の部屋に泊まって出勤前に食べたとかそんな程度だ。しかもその時点でファミレスだったような気がするので、由緒正しいモーニングは多分学生の時、30年以上前ではなかろうか。

少し覗くと定年後のおじさんがスポーツ新聞を読みながらトーストを食べている。これこれ。王道です。入ると決めてドアを開けると、少しくたびれた感じのオバサンが「いらっしゃい」と言いながらメニューを持って来た。何種類かあって一番シンプルなやつをチョイスする。

コーヒーがやってきたのだが、一口飲んで衝撃を受けた。30年前とおんなじ味がする!こういう喫茶店のコーヒーの味は何故同じなのであろうか。コクよりというよりも単に苦く濃い感じ、昔初めて喫茶店に入って飲んだコーヒーの味そのままである。なにか決まった業務用があるのかな。

一瞬激しくタイム・トリップするが、また意識を店内に戻すとこれまたレトロなんだなー。ジョージベンソンの「マスカレード」がかかっている。びっくり。一人で入ってきたお姉さんも髪型が激しくタイム・トリップしている。自分が学生のような気になってきた。何人かいるビジネス・マンも、どっちか言うとサラリー・マンというほうがぴったり来る野暮さで、全員スポーツ新聞、煙草であった。

結構楽しんで出てきたのだが(僕は長居したのでコーヒーを2杯飲んだ。こういうのはモーニング界においては邪道と思われる)、こういった店が存続しているのはかなり素敵なことである。馴染み客のようなおじさんが「新井組が倒産したてほんまか?」と言いながら入ってきたが、この商売の存続が難しい時代に、スタイルを変えないで(微調整はしているに違いない)着慣れたジーンズのように身体にぴったり合った感触を気に入っている贔屓を相手に着実な商売をする。ロウ・リスク、ロウ・リターンだが歴史を作っているのは間違いない。

僕はしないだろうが個人的には実は結構好きなのだ。

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案外おいしかったりするのだな、これが

秋深し 隣は何をする人ぞ

開業医というのは患者さんを診断し、治療し、フォローするというシンプルなものだと考えていた。それだけじゃ詰まんないなと思って介護とか予防医学とか、患者さんのためでもあるし、僕自身の興味のある領域(本来目新しいものが好きなのである。でもそういった人間が世の中を進歩させてきたのはほんとらしい)を自分の仕事として発展させて今までやってきたのだが、時にトゥーマッチかいなぁと思ったりするときもある。

移転を来週に控えて法人本部の忙しさも強烈である。本当に一時に2本も3本も電話が数人に掛かってくる状況が何ヶ月も続いているのである。外来を終えてライフラインの午睡をとろうと思ってもとてもそんな気にはなれない。わるいなぁー、ごめんねと思い、朦朧とした頭で自分の仕事をしても能率は上がらんなぁー。

今日は休みであるが、まっ、仕事を抱えてウジウジと過ごす。外に出ると夏のような青空が広がっている。一句詠む。

「正面に ただ澄み渡る 秋と空」・・・冴えんなぁ。

ジョン・コルトレーンを聴く。昔コルトレーンは好きじゃなかった。生真面目すぎると感じていて、豪放なソニー・ロリンズとか、お茶目なデクスター・ゴードンとかが贔屓だった。しかし!此の頃コルトレーンはずばり心の中に食い込んでくるのである。「至上の愛」のジャケットに写る、あの生真面目な表情で。

年齢を経ると音楽も映画も、昔とは違ったものが見えてくることがある。感動のポイントが変わってくるのである。それを単に成長と言い切っていいのか、それはわからん。

しかし、昔より、生真面目さ、ひたむきさ、誠実さ、といったものに重きを置くようになったのは、たとえそれが退屈で融通が利かないように思えたとしても、絶対確かだな。・・・まぁやっと人並みか。

「思いやる 心の薄さ 気づく秋」・・・すいません。

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10万越えてロック魂

昨日夜中の1時過ぎにパワーポイントが出来上がった。今週末、東京である遺伝子検査のメーカー主催の講演会でしゃべるのである。45分ねー、それだけかけて今までの経験と今後の展開を言うのは正直つらいぞ。経験あんまり無いんだもん。何とか無い知恵を絞り、やっと締め切りに間に合わせる。

ここ1週間は完全にそれで忙殺されてとてもブログを書く余裕が無かった。ふと気が付くとホームページのカウンターも10万ヒットを超えているではないか。結構長かったな、と思う。少し前から僕の愛車のトリップメーターも10万km近くなっていて、どっちが早いかなと思っていたが少しばかり車のほうが早かった。

さすがは日産、10万キロ超えても昔の車と違ってヨレた感じが全然しない。パッと見は数ヶ月前に買ったといっても問題なしだ。乗った感じもへたっていない。後数年間は十分乗れるし、20万キロを超えるといい具合に古びてくるかもしれない。その方がかっこいいな。

「いつかはクラウン」という名コピーがあって上手だとは思うが共感はしない。年齢を経るとゴージャスに、安楽に、というのが普通の人間の傾向かもしれないが、当たり前すぎて詰まんないぞ。歳をとってもROCK ! Wow !! というのが目下のところの僕の願いである。60歳を過ぎて石原裕次郎みたいになりたいか、キース・リチャーズがいいかといわれれば、迷うことなく僕は後者である。酒やけして貫禄つけてカラオケマイクを握っているより、痩せたままでジーンズとブーツで、休暇中に椰子の木に登って転落、入院しているほうが素敵だと思うのである。

眠たい目をこすりながら運転していると流れてきたのは「Char」だった。ギンギンのロック・ギター。日本にもいたよな、しかももっとギターのうまいやつが、と思い気持ちが明るくなった。

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心眼で見てね!