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世界から

 先日日本とフィリピンの自由貿易協定(FTA)が締結し、フィリピン人の介護士がいよいよ日本で働くことになりました。しかし日本政府は非常に厳しい条件(日本語が喋れることなど)をつけており、現地でそのトレーニングのため日本の業者が入って言葉や介護方法など勉強させている状況をニュースでやっていました。フィリピンは多くの人を各国に看護師や介護士として送り出しており、それなりの下地があるようですが、日本で働くつもりで頑張っている人たちは非常に優秀でした。

 「ふーん、こんなに優秀ならすぐ適応するに違いない。これらの人たちが介護士として僕のところで働くようになるくらい一般的になるのもそんなに遠い将来ではないかもね」と思っていたら、昨日新しくフィリピンから来る人たちと一緒に働くのに慣れておくため、またそれらの人を指導するため在日のフィピン人スタッフをご紹介しますというファックスが入っていました。うーむ、ビジネスの人たちは早い。

 ワールド・イズ・フラット。今や世界は同一平面状にあり、国や距離は問題ではなくなっています。ネットが一般的になってから加速していますよね。いいものは受け入れる、そのスピードの速いこと。

 僕はいろいろあるが一番問題のある資質は「頑固」だと思っています。この変化していく世界で、それを受け入れられない柔軟性の欠如は致命的だと。知らないものを否定してしまう臆病さ、不勉強は孤立を生んでしまう。

 人間は本来変化を好まないように、今のままでいいじゃないのと思うようにプログラミングされているのですが、それをぶち壊す柔軟さを常にもっていたいと思います。ベンチャー精神を忘れてはだめですね。

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ちいせぇ、ちいせぇ

仕事始め

 今日は仕事始めである。仕事モードに戻ろうと朝6時に起きて愛犬の散歩をしたが、外は真っ暗じゃないか!満月に近い月が煌々と西の空に見える。犬の白い体が暗闇に浮き出している。1月とは思えないくらい暖かい。

 阪神高速に乗って朝日に向かって車を走らせる。CDをかけるとビューティフルな、ストーンズの「友を待つ」が流れてきた。「Jump back」という中期ストーンズのベストアルバムは最近のベリー・ヘビー・ローテーションである。ミック・ジャガーに待たれていたりしたら俺なんて滅茶苦茶あせっちゃうな、とか考えて、まだ例のオービスの呼び出しが来ていないことを思い出す。もうすぐ3ヶ月である。あれは幻覚だったんでしょうか、皆さん。幻覚だと嬉しいんですけど。でも3ヶ月ちょうどで来たやつもいるしなー、これの結果で今年の運勢を占うことにする。おみくじより確かな気がする。

 外来は快調に1時過ぎに終わり、腹が減ったのを我慢してデイケア、デイサービス3ヶ所の利用者さんに新年のご挨拶をしに行く。皆さんいい感じで迎えてくれて、1つのデイサービスでは認知症の利用者さんに「院長先生、何しに来はった?」とニコニコして言われ、「お年玉もらいに来ましたー」と答えて笑いをとる。全く威厳というものがない。

 午後診が終わり、午後8時過ぎに今日の報告を法人本部で聞き、またちょっと疲れ(診療よりも何よりも人事が疲れる、総ての人が仲良くやっていくことは僕がマスターズに出るより難しい)、家路に就く。またも始まる仕事の日々。しかしな、今年は結構激動なのだ。トラブル・サーフィンに決まってる。でもね、楽しく頑張るよー。スタッフのみんなも頑張ろうな!

PS.今年の目標の一つは No TV at all !!です。あっ、except スポーツ中継ですね。

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この日をつかめ!

ワーカー・オブ・ザ・イヤー

 昨日、うちの法人での年次報告会と忘年会があった。医者が一人の医療法人で経営状況もスタッフに報告する年次報告会などをやっているところは少ないが、介護施設を複数併設してスタッフ数が60人近くおり、人により他のところでの状況を全く知らないことも多いので、法人全体を把握していただくために3年前より始めたのである。

 今年は新しい試みとして優秀なスタッフ、施設の表彰を行った。評価基準は難しいが、客観的な数値も含めての妥当な選択だったと思う。別のスタッフから「よく見てはるなと思って嬉しかった」という感想も貰った。ほっとした。

 表彰は頑張っている人への心よりの感謝である。有難う、これからもよろしく。ほかにも多くのスタッフ、施設を表彰したかったが、そんなことを言っていてはきりがない。また来年もある。

 ワーカー・オブ・ザ・イヤーが選ばれたのだが、僕はドクター・オブ・ザ・イヤーになれているのだろうか。自問しつつ眠りにつく。久しぶりに少しアルコールを飲んだせいか気分がすっきりしないな。

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これじゃなくて表彰状です

スマイル、プリーズ!

 相変わらずノロウイルスは強力である。吐き下しの人続出で、点滴、処方もワンパターンであるが(実際は個別で若干のバリエーションがあるものの)、診察室に入ってくる人の様子は千差万別である。

 立ってることができず青ざめながら待合室からベッドに運び込まれる人から、平然として3日間何も食べてませんという人までいろいろだ。まあノロウイルスに限らず、初診の方が診察室に入ってくる様子は個性にあふれているが。

 かたや身体的問題を抱えており、かたやそれを解決するのが仕事の人間が対するのだから、患者さんとしてはもだえ苦しんで入ってきてもなんら問題はない。しかしお互い大人で初対面の人間同士なのだから、それなりの礼儀はちょっとはあってもいいかなーなんていう場合もまれにある。そういった問題は多くは僕よりもスタッフが直面する。「ピリン系とかお薬でアレルギーはありませんね?」と訊いて「そんなこと知るわけないわよ!」と言われたとか。まあしんどい時に早く処置をしてもらいたかったのだろうし、訊きかたも悪かったのかも知れぬ。

 というわけで、混んでいるときの診察室処置室は結構野戦病院的ですが、今日来院した女性は感じが良かった。とてもニコニコしているのである。体温38.5℃である。今日だけで10回以上下痢していて今も吐きそうだそうである。でもニコニコして礼儀正しく答えてくれる。そう振舞おうとしているのがわかるのです。あんまりしんどくなかったんだよ。そりゃそうかもしれんね。でも微笑みというのがこんなにも気持ちを安らかにしてくれるのかというのが、また改めてわかりました。

 しんどい時こそ微笑を。これは患者さんに言ってんじゃないよ、当たり前だ。僕自身に言っているのである。

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笑ってなんぼ、笑わせてなんぼよ

ノロ!

 メッチャ忙しいです。ノロウイルスが猛威をふるっており、来る患者さん、来る患者さん、俺の顔を見るなり吐くか下痢です。整腸剤ももう1年分は出した気がする・・・。

 しかもこんな時に限って満杯の点滴室でブザーの誤作動が起こる、間抜けなどこかのケアマネさんが間違い電話を二度もかけてくる、俺のエルメスのシルクの白衣に(ウソ)吐物をぶっ掛けられる・・・酸素とともに生存の最低条件である15分の午睡もとれず、夜は夜で、帰ってすぐ飯を食って、生存の最低条件である長風呂から出てくるともう明日は目の前です。

 明日も吐物と下痢が俺を待っている・・・しかも産業医の仕事と20人以上の予防接種で生存の最低条件であるシェスタは風前の灯である。

 開業医は季節労働者。でも忙しく働けるって幸せですよね。感謝しましょう。善人だなー俺って。これで例のオービスの免停が来たらこの世に神はいないということが証明されたようなもんです。裏切るなよー。
 

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暇よりはなー

怒るよ!

 日本医師会雑誌の特集「在宅医療の現状と課題」を読む。厚生労働省の事務次官、辻哲夫氏も参加した座談会があり、行政が在宅を推進する一つの大きい理由として、日本では病院で死亡する人が大変多い(80%台) → 人口の増加とともに年々死亡する人が増加しており、特に団塊の世代が高齢化するとエライ数になる → すごくたくさんの人が亡くなる前に病院を占拠することになりこりゃ困る! というのがあるらしい。そのため亡くなる時はご家庭で、というのを推進したいようである。

 こういった問題を医療サイドだけに押し付けるのはかなり問題があるのではなかろうか?医者が頑張ってほしいというエールが出ていたが、国民の居住状況とか経済状況、家庭のあり方とか精神構造の在り方のような大きなものを考えていかないと動かないと思います。大体そこに個人の幸せを考えるという姿勢は無い。

 国のやり方というのは、非常にうそっぽい。高齢化で大変なことになるよ!というのも実際は国の成熟の課程として当然の経過で他の国で十分成功したモデルもあるし、また医療費がやたらかかるという宣伝も、実は他の国に比べれば日本は恐るべき低コストで大きな効果を上げているのであるが、そんなことは絶対に大きく発表しない。WHOによる医療の世界ランキングで日本は1位であるがそんなこと聞いたこともないでしょう。

 ともかく国の基本方針は予算を抑えることで、そのため最近あまり政治力の無い医師会はいじめられやすい子供のようになっているという気がします。どんどん厳しい状況を押し付けられしかも報われない。医者の平均勤務時間は12から15時間という統計がありますが、どうなっているのかなぁ。僕の知っている範囲では医者というのは結構使命感を感じている純なところがありますが、それでもさすがに最近みんな鬱積している感じがあるぞ。

 愚痴っぽくて申し訳ない。政治家、公務員のあまりの不祥事の続く中、怒りを感じて。

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tired…

 

 

フィットする社会

 竹内教授の「認知症のケア」を読む。新鮮な驚きを与えてくれる本であるが、その中に認知症は孤独、孤立から生み出されるという文章があった。若年性アルツハイマー病など例外はあるが、高齢者の認知症が定年後に増加することはよく知られた事実である。人間は極めて社会的な動物であり、社会から切り離されると弱い。

 最近の自殺予告に関して軽々しく論評することは出来ない。だけど学校が彼らの社会であり、そこで疎外されることの苦しさはリアルに感じることが出来る。「社会は唯ひとつだけではない」「そして君自身もいつまでも同じなのではなく時とともに変わり、それとともに社会も変わっていくのだ」「今、ここ、だけにとらわれるな」と言ってあげたい。届くかどうかは判らないが。

 日本の場合、仕事を止めることは社会から切り離されることとほぼ同義だ。別の社会を持っている人は別だが。僕に別の社会はない。「俺はリタイアしてヨットやゴルフ場のグリーンの上で死ぬ気はない。この仕事場の机の上で突っ伏して死ぬのだ」というアメリカのニュースキャスターの言葉にシンパシーを感じる僕にとって、仕事とゴルフは等価、つまり毎日仕事であり遊びであるということだ。両方とも100歳まで止めるつもりはない。

 この幸福を感謝して100歳まで続けられるように自分を鍛えていこうと思う。そして苦しんでいるティーンエイジャーがフィットした社会を見つけられるよう心から祈る。

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世界は君を待っているぞ、本当に

トラブル

 今日は出だしから阪神高速守口線整備のため通行止めで大渋滞、ここ数年でもっとも遅く9時前に外来へ滑り込む。予防注射、超音波検査など8時半から入っている予定がすべて順送りとなり、予約も混んでいたため強烈タイトな外来となる。しかも最近重症の方が在宅というケースが増え、外来で「僕、高血圧だけでーす」というストレートなかわいい方は新患で少なく、なんでこーなるの???と思わず考えちゃうような方が続き、渋滞は緩和されない。

 君たちが知ってるかどうか知らんが、僕は外来の間、目の前の患者さんだけを相手にしているわけではなく、諸方面から連絡が入り非常に忙しい。
 「デイケアの○○さんが下痢が止まりません」
 「デイサービスの○○さんのお尻から出血しています」
 「○○さんのご家族がもう面倒見れないから入院させてほしいといってます」
 「車が壊れました」
 「不渡り手形が出ています」
 「サルが木から落ちました」・・・などなど。

 こういうシチュエーションは何かに似ているな、と思うと僕の愛する村上龍「走れ高橋」第4話だ。主人公の男はやむを得ぬ事情でいろいろな人の要求を満たすため走り回らざるを得なくなる。彼はつぶやく。「今、私は、すべての人がうらやましい…」。

 足が痛いから鍼灸を受けようというささやかな目論見も来客のため吹っ飛び、夜の外来も30分遅れのまま進行し、最後の楽しみであるオープンで高速を飛ばして帰ることも、この前オービスが光ったなということを思い出し、アクセルを踏む右足が控えめになる。

 この前、朝のミーティングで僕は言った。「同じことが起こってもどう思うかで結果は変わる。トラブルが起こったら嫌がって避けようとするより、来た来たと楽しんで受けるほうがいい。トラブルを好きになるように。トラブル イズ ウエルカム!」

 思えないって!

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これでも聞いて

 

Think different

 今日は城東区の健康祭りがありました。医師会もブースを出しており(まるで他人事みたいですが僕が責任者です)「タバコと肥満をぶっ飛ばせ!」というスローガンのもと、喫煙有害物質である呼気1酸化炭素分析と、あなたの食べた1食分のカロリー、栄養素を分析してご指導いたしますというのをやりました。あっ、それと恒例の健康相談も。たくさんの方に訪れていただき本当に有難うございました。

 で、僕は人の流れを見て思ったのですが、みんな、本当に他人に影響されるのね。あの人が行くからとか、ここはみんなが来てないから行かないとか、あまり自主性がない。なんというか他人任せという気がしました。

 僕の尊敬する内田樹先生のブログに、日本の教育問題に関する卓越した意見が載っています。少し長いですが再録。

 それは「上からの斉一的な教育改革」という発想そのものが教育を破壊するという事実である。
考えてみればわかる。
「理想のたこ焼き」というものをつくり出したいとする。
あなたならどうします。
「理想的なたこ焼きレシピ」を衆知を集めて作成し、「理想的なたこ焼きマシン」を作成して、全国のたこ焼き屋に配布し、それ以外のたこ焼き作成を禁じ、全国津々浦々どこでも「同じ味のたこ焼き」が食べられるようになれば、それで日本の食文化の水準が上がったと誇らしげに言う人間がいるだろうか。
いるはずがない。
あらゆるところでレシピが違い、道具が違い、焼き加減が違い、トッピングが違い、値段が違い・・・という「でたらめさ」がたこ焼きの質的向上と不断のイノベーションを可能にしているということに誰でも気がつく。
どうして「たこ焼き」については「理想の単一のたこ焼き工程など存在しない」ということを国民のみなさんはにこやかにお認めになるのに、「人間」については、同じことをお認め頂けないのか?
私にはその理路がわからない。
人間もたこ焼きも一緒である。
「教育はどうすればもっとよくなるのか」という創意工夫を自分の責任において引き受ける人の数が増えれば増えるほど教育は「よくなる」。
当たり前のことである。
「ありうべき教育」がどのようなものであるかは「こちら」で決めるから、教師たちはそれに従うように、という教育行政のあり方そのものが教育をダメにするのである。

 他人任せは止めて自分で考えよということである。俺は俺の道を行く。日本においてはこれは困難な道を選ぶという意味合いになる。Think different.でもこれは正しいのだ、と思う。

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だよなー

ディズニーボーイ

 今日は最初から調子が悪かった。朝の高速で僕は普段はあまりとばさないのですが、少し遅れ気味だったのでちょっとスピード出てるかなぁと思ったところでオービスにガシャ!どう見てもあれはピンポイントで俺を狙ったに違いないという確信あるタイミングでした。免停が発生した際の日程の変更種々考えていると少しうんざりしてきましたが、元気を出して外来へ。
 
 外来終了直後の12時半から4軒、訪問診療でまわる。寝たきりでどう処置をしても難しいケースを家族と話し合いかなり疲れる。その後某先生に頼まれた仕事を片付けるため若干の肉体労働。飯も食わずに3時に本部へ帰ってくるとクレームが待っていました。

 しかもこのクレームはスタッフに対する理不尽かつ失礼なもので全く譲れず。1時間近く平行線のまま別れました。そのまま午後の外来へ。怒り冷めやらずどうも調子が乗れぬまま。最後の1時間になってやっと気分よくなってきました。お腹が減ったので本部にあったワッフルを食べていると、デイサービスに配った残りの賞味期限切れということが判明。そのまま全部食べる。

 帰りの車で「Hard Day’s Night]を聴く気にはなれず山下達郎を選ぶと「星に願いを」がかかりました。ピーターパンの、空に浮かんだ帆船が雲に隠れた月を横切るシーンが思い浮かびました。ピーターパン症候群っていうのもあったなぁー。しみじみディズニーが見たいです。

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現実をbeautifulに