月別アーカイブ: 2007年6月

ゴールド・ラッシュ

 うひゃー、ここ4,5日はメチャクチャ忙しかった。相変わらずコマ鼠のような生活である。クルクル。

 で、パワーを出すため車で最近聴いているのがゴールド・ラッシュである。ゴールド・ラッシュ?ニール・ヤングのアフター・ザ・ゴールド・ラッシュですか?ロックファンなら普通そう来るが、違うんだな。えーちゃんである。矢沢永吉のゴールド・ラッシュ。

 矢沢永吉が好きなんていうのはなんとなく恥ずかしい・・・気がする。しかし昔の曲は結構いいのだ。何かの拍子に1枚レコードを聴いてええ曲が多いじゃんと10年前くらいに思った。それでベストアルバムを1枚コピーして持っていたのだが、最近聴いて特にゴールド・ラッシュが印象に残ったのだ。

 「あきらめた顔のまま老いぼれてしまうのかい!汗も流さずに」という歌詞にぐっと来る。あきらめた顔、っていうのがせまる。彼のコマーシャルの顔はガッツのあるいい顔をしている。何かを乗り越えた人間は共通のなにか静謐さをたたえているが、その静謐さはあきらめからは決して生まれない。過剰から生まれるのだ。

 まだまだ選別できるほど大人ではない。過剰を目指さないとゴールド・ラッシュは来ない。過剰な仕事、過剰な遊び・・・時間無いよなぁ。

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過剰な感じ

陽炎のように

 勝海舟の「氷川清話」をパラパラと読む。角川文庫で昭和47年発行とある。30年以上前に買ったのか・・・。僕は何度か引越しをしているが、そのたびに本を処分している。しかし数度のそのような大粛清を生き延び僕の手元に残っている何冊かは、間違いなく僕の心の奥の何かに深く触れた本である。

 この本も古本屋で見たら間違いなくスルーしそうな日焼け振りである。ページの周りが茶褐色に縁取られ、セピア色の過去そのものである。

 しかし内容は色あせない。

 勝海舟が75歳くらいの時に彼の弟子やファンの人が回顧談を引き出しそれを速記したもの。最初に刊行されたのが明治31年らしい。「外交について」だとか「人物評」だとかいくつかのパートに分かれているが、どこをとっても幕末、明治維新の大立者、肝の据わった意見が聞ける。

 その中で最近の世相について「金持ちの屋敷の周りに植えてある樹木なども、身代が左前になると、どんな大木でも勢いがなくなって見える。人間もそのとおりで、元気の盛んなときには、頭の上から陽炎のように炎が立っているものだ。然るに此の頃往来を歩いてみると、どうも人間に元気がなくて、みんな悄然としておるらしい。これは国家のためにも決して喜ぶべき現象ではないよ」と述べる。

 頭の上から陽炎のように炎が立っている、というのが好きだ。明治維新の頃はそんな奴がごろごろ歩いていたのだろう。

 頭の上から陽炎のように炎を立てたい。

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37歳咸臨丸艦長の時。陽炎立ってるねー。

The Zimmersを知ってるかい?

 うーむ。The Zimmersって知ってる?

 平均年齢78歳の40人編成のロックグループ「The Zimmers(歩行器の意)」であります。

 ザ・フーの「マイジェネレーション」をカバー、「老いる前に死にたい」というフレーズをシャウトしながら、ギターを叩き壊しドラムセットを蹴倒すパフォーマンス!リードボーカルは90歳、最高齢は101歳。イギリスシングルチャートでトップ30入りした。

 何で40人だ?これは自主的なバンドではなく、イギリスのドキュメンタリー作家Tim Samuelsによる、社会から孤立させられた人たちでまとまって何かをやり遂げるというシリーズのひとつらしい。集められたメンバーの中には、生活に疲れた年金受給者や、社会的に孤立していることに苦しんでいる人たちもいる。

 おお、ボーカルうめー、とか思いながらミュージッククリップを見ていたのだが、雑誌なんかで書かれていたロック・スピリットをもった老人達という感じはしない。微笑ましいが、やはり人為的に作られたものという感じがしてしまう。ロックの持つ止むに止まれぬ衝動はなく(まあ、当たり前かなぁ)、ロックを歌うこととロック・スピリットのあることは違うなぁと思いました。でもこのプロジェクトの趣旨には大賛成で、参加している方には文句なく大拍手!

 見たい?
 http://www.youtube.com/watch?v=zqfFrCUrEbY でどうぞ!

 植木等氏の葬儀で「スーダラ節」を歌った内田裕也氏には文句なくロック・スピリットを感じました。今まで嫌いだったけどあれはカッコよかったよ。

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「アビーロード」のパクリね。イギリスでしょー。

美しい雲

 今日はまたゴルフに行ってきました。大学病院時代の気の置けない仲間と一緒だったので本当に楽しかったのですが、僕のティーショット(第1打ね)は暗く長いトンネルに入ったままでした・・・。リカバリーショット、アプローチ、パットで何とか拾っていってたのですが、ついに耐え切れずOBも連発、悲惨な結果に。明日クラブも靴も全部捨てる予定です(今のところはな)。

 ひどい傾斜からパチーンとナイスリカバリーを打っていたら後輩が、
「先生の人生のようにナイスショット!ですね」(もちろんお世辞)
「そんなわけ無いだろー。でも言うならば人生はリカバリーショットだな」
「そうですねー。でも後ろへ打たなあかん時もありますしね。OBのほうがましとかね」
「打ち直ししたいって気持ちに時になる」
「そうそう」(自分の人生を振り返り深くうなずく後輩)

 人生はリカバリーショット。開業して10年になるが、今までのが第1打としたらまあ何とかフェアウェイにボールはある。しかしドッグレッグでグリーンは見えない。リカバリーではないが難しい第2打という局面か。最近仕事で新しい流れが明らかに僕を運んで行っているのが判る。どの方向に打てばいいか見当がついて、すでにスイングは開始されているのである。ゴルフのセオリーではこの段階ではもう何も考えず自分を信じて任すということになっている。後はボールをよく見て、力まないで、軸がぶれないように。

 帰りはいつものようにオープンで帰る。午後7時でも空は明るく芸術的に入道雲が浮かんでいる。「美しい雲」ってのはサガンだったけ。人生でも美しい雲が見れますように。あなたも僕も。

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I LOVE IT

昆虫標本

 今日は城東区保健センターで高齢者介護予防指導者養成講座の講師をする。テーマは「介護予防と生活習慣病」。例のメタボがらみのやつですね。持ち時間1時間ですがここら辺はしょっちゅう喋っている感じがするので少し前に作った資料をちらっと読み返して後はぶっつけ本番で行く。そのほうが面白い話が出来るのが自分で判っているのだ。清純な少年はこのようにすれっからしになっていく。

 後期高齢者はむしろ栄養状態が悪いことが問題とか、コレステロールは下げすぎると癌や欝が増えるとか、保健センターのご意向とは違う話をして質疑応答に移る。まあまあ盛り上がって、1番最後の質問は「先生の診療所はどこにあるのですか?」だった。自分ではアドリブが冴えず65点くらいだったのですが。

 こういった講義、講演はミュージシャンのギグと同じで、観客の乗りにその出来が大いに左右される。昔学生に講義をするとき、レスポンスがいいと本当に楽しく講義が出来た。「あのさ、コンサートと同じだから先生を乗せる感じで質問してみ。どんどんいい話しを言ってくれるから」今でもポリクリの学生と話をするときはよく言っている。今日の人たちは健康によく気を使っていて勉強熱心だが、やや上品でおとなしい。

 講義が始まるまでの時間、保健センターの事務室で少し待っていた。ふと気がつくと目の前に昆虫採集の標本が飾ってあった。昔作ったな。懐かしい気持ちになる。それは冷房もなく、湿った風が吹き込んでくる殺風景な、学校の教室のような場所のせいか。まるで40年前のようだ。時間の流れ方もその頃と変わってないような気がするぞ、保健センター。これでいいのかな。まあいいか。

追伸:グッドウィルグループの折口会長の会見を見た。語るに落ちる。反省なんかしている訳がない。利用者もそうだが一生懸命働いているスタッフの人を知っているだけに、どんな気持ちでいるのかなぁと気になる。

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変装して講義する僕

複雑な仕事と単純な僕

 パラパラと仕事に関係のありそうな医学雑誌の抄録を読む。ふーむ。Journal of Aging and health 19:397-415,2007 ”Complexity of Primary Lifetime Occupation and Congnition in Advanced Old Age”があった。「高齢者における今までの職業の複雑さと認知機能の関係」スウェーデンからの文献。

 386人が対象で今までの職業歴とミニメンタルテスト(これは日本でもよく使う)の成績との関係を調べたところ、単純作業でない複雑な仕事についていた人は認知機能がよく保たれていた。これは年齢、性別などを総てあわせた上での比較で、学歴や仕事の種類に関係なく、その仕事が複雑で頭を使うということがポイントである。

 抄録なのでどのような仕事を複雑な仕事としているのか分からない。しかしだいたい感じはわかる。いくつかの事を平行して行わなければならない、常に同じ結果でなく状況により柔軟にやり方を変えていかなくてはならない、新しいことがどんどん入ってくる、とかそんなことだろう。

 まあ多くの仕事が当てはまる。医者という仕事もまさにそうだが、ここで大事なことはいくつまでそれを続けていたかということだろう。年をとると複雑なことはあまりやらないでいいですよーとシステムがなっているし、億劫にもなる。しかしそこで嫌がらないでやり続ける。そうすると効果があるだろうな。

 複雑な仕事をやっていると性格も複雑になってきそうだ。そいつはいけない。複雑な仕事と単純な僕。こういかなくっちゃ。

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複雑!というイメージ

矯正の結果

 書かねばならない手紙を2通ほど書く。昔の人の日記なんかを読むと、仕事の前に5,6通手紙を書く、なんていうのがよくあって、日課みたいだな、よく書くなーと思っていたのだが、考えてみると今のメールみたいなもんだな。仕事前にチェックして返事を書かなあかんやつにカチャカチャと。で、もちろん僕の手紙の場合はメールのようにはいかない。サラサラなんてわけはなく、1通はワープロで下書きをして書いたぐらいだ。

 僕の場合は手紙を書く上において致命的、壊滅的、ハルマゲドンともいえる問題がある。つまりだなー、字が下手なのである。すごいよ。今は電子カルテだが、紙カルテに書いていた字は僕自身にも時に判読不能であった。で、丁寧に書くとこれがまた子供の字なのだなー。どうみても12歳以上の知能がある奴には見えない。まあ、正解なのでそれでいいわけですが。

 ぼくはもともと左利きである。それを幼稚園くらい(かな?)に無理やり直したものだからかなり長い間いくつかの数字やひらがなは鏡で写したように正反対に書いていた。脳の優位半球と利き腕は関係があり、矯正することで能力に問題が出る可能性があるので今は矯正しない。現在のぼくは矯正した例のいいモデルである。いいですかー、こうなっちゃうんですよ、昔はメチャクチャやってましたよね・・・もう遅い。

 少しでもましに書こうと思えば、自分にあった筆記用具が必須である。どういうわけかとてもましにかける場合がある。弘法は筆を選ばないが矯正した人間は(それだけが原因のワケないが)大いに選ばなくてはならないのだ。案外すごく安い景品で貰ったボールペンだったりする。

 しかしだなー、たまに手紙を書くといいぞ。自分が真っ当な思慮深い人間のような気がします。書き続けていると少しはそういうのも身につくのかもしれない。文章を考え、手を使って書く。手紙を書くことはボケ防止に最適だ。これから出来るだけ手紙を書ける相手をせっせと作るようにしようと決めた。どういう関係になるのかな?微妙だ。

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ラブレターってのもあったよな。死語か?

フランシス・アルバート・シナトラ

 おお、やっとここまでたどり着いたぜ。先週は夜の打ち合わせとかの仕事が軒並み並んでいて、眠くて書けなかったのでございます。ひーひー。で今日日曜は久しぶりに気分転換だー、やるぞ!ゴルフ!だったのですが・・・・結構悲惨でした。

 六甲国際東コースというのは結構難しく、今週から女子プロの公式試合も行われる(前の組は予選から出るプロが練習ラウンドをしていました。福嶋晃子に似ているなーと思ったら妹さんでした)くらいですが前はハーフで40台も出ていたのにな。今日は出るわ出るわOB、池ポチャ、ついにはシャンクという具合で精根尽きた。ゴルフが下手だと何か自分の全存在が否定されたような悲しい気分になってきます。まあたかが遊びに何言ってるの、という感じですが。

 しかし気分が悪い。こんな夜は何を聴くか?あるんだな、これが。「フランシス・アルバート・シナトラ・アンド・アントニオ・カルロス・ジョビン」というボサノバ・アルバムです。フランク・シナトラですが、このアルバムに限ってフルネームです。意味があるのかは判りません。シナトラは他にいっぱい有名なアルバムがあり、これはすごくマイナーですが、すごく素敵です。ジョビンは2曲ほどディエットしていますがあまり目立ちません。ポイントはアレンジャーがクラウス・オガーマンということで、僕は彼のストリングスアレンジ(弦楽ですね)を溺愛しています。何か彼の音はぼくをどこか遠くへ、空気の美しい、草の匂いのする、涼しい夢のあるところへ連れて行ってくれるのです。

 シナトラはいつも同じ。何を歌っても。でも彼の声はなごみます。僕は女性の声より渋い男性の声のほうに慰められ癒されるのです。ひょっとしてちょっとまずい性癖があるのでしょうか?ジャズボーカルは絶対男のほうがよくて、なにか人生つらくても何とかやっていけるよ、と言われているような気分になるのです、誰であろうと。やっぱりおかしいか。まあいいや。

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ジャケはパッとしないな、まあいいや。