ロックな人

 朝日新聞の土曜日版にフロントランナーという連載があって先週はスマッシュ社長の日高正博氏だった。高校を1週間で中退、放浪生活の後音楽興行会社スマッシュを起こし今では年間500本の公演を主催する。日本におけるロックフェスのパイオニアで外国のミュージシャンとのつながりも深く、2年前には英国名誉大英勲章OBEの叙勲をうけている。

 しかしそんな成功譚のことを言いたいのではない。何も無いところからのし上がってきて、何も変わらずロックの精神そのままなのだ。

 57歳、家庭:持たない。猫が自宅に7匹、会社に2匹。一緒に通勤する犬1匹。 家:持たない、テントとジープがあればいい。 課題:安定を考えたらだめ。過去の成功例だけで物事を判断するようになると自分たちの首を絞める。自分の感性を使って判断し、好きなことだけやって、分相応に飯が食えればいい。  

 人が安定を求めるのは死が怖いから。でも死ねばみんな同じ。仕方ないと思うしかない。

 無理だ、だめだって言われると、俺、顔がニヤーッとする。何しろ天邪鬼でわがまま。

 工員のようなスタイルで(お洒落なのかな…)不敵に笑う彼の写真を見ているとこうじゃなくっちゃねと思う。誤解しちゃいかんが外観かっこいいこと全然ないぞ。ありゃーという感じだがそこがよけいに凄みがあるなー。君がどんな仕事をしていようがこのようなスピリットは絶対なくしちゃいかんと思うぞ。

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僕の中でロックといえばこいつ

 

最近の若いもん:続編

 昨日臨床実習中のH医大5年生に若干の講義をした。僕は非常勤講師で時々この仕事がある。たまに大学病院に行くと懐かしい。若い医者が肩で風を切っているのは微笑ましいなぁ。そうそうこの世界は君のものだ、今のとこはな。すぐ変わるかもしれんが。

 大学を離れ難かった1つの理由は、若い医者や学生との交流がなくなるからだ。何というか未来とか可能性とかと話している感じがある。今でも手間だけど大学病院に行って学生さんと話していると気分がいい(むこうはどうか知らん)。エネルギーは高いほうから低いほうに流れる。普段ご高齢の患者さんと話す機会が多いので、吸い取られているエネルギーを今をチャンスとチャージしているのかもしれん。悪いね!

 僕が学生の頃と比べると教科書の分厚さは2倍となり、世の中も複雑となり、医者になることはなかなか大変なことだ。しかし天職とするにたる素晴らしい仕事と信じている。できうるならば母校に残り医学の発展のために尽くせよ!君たちの中から教授が出ても僕は驚かないよ、と最後の10分間熱弁するが、「先生、さっきの薬の相互作用の話ですが…」とあっさりかわされる。聞けよー。しかし期待しているよ。

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魅力的なK崎さん、K村さん。クールなA木君、S田君、S郷君。フォースが君たちとともにありますように。

最近の若いもん

今日K医大の5年生が二人、公衆衛生学実習の一環として訪問診療、通所介護の見学に来ました。何年か前から医師会の事業の一つとして学生さんを受け入れており、金髪(日本人だよ)がよく来ていたのですが、最近髪は黒です。金髪の時もそうでしたが大変まとも。医者を志しているのですからそうでなくては困るのですが、いい若者たちです。

 よく言われる最近の若いやつ…という言葉に僕は組しません。学力が下がろうが教養が無くなろうが(大体誰のせいなんだよ?)、僕は日本の最近の若いやつには期待してるのです。日本の10代の殺人率は世界で最低です。素晴らしいでしょう。活力がないからだという乱暴な意見がありますが、僕はやはりこれは日本の若者の自制心だと思います。ちなみに日本で一番殺人率が高いのは50代男性です。俺だよ俺、まっ、気持ちはわかる。

 今の若いやつは日本の伝統的な「和をもって尊しとなす」を胸に抱いて海外に飛び出していってほしいし、十分できると思います。何年も前ですがサッカー日本代表の小笠原選手がユースの時、英国の巨大な犀のような選手を相手に全くクールな顔をしてボールを奪っている写真を見たことがあって、その時日本も変わるなーと確信に近い感情を抱いた記憶があります。自信を持ってみんな世界を相手に仕事をしてください。ワクワクするなー。

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お疲れさんでした。Aさん、K君。

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感情の処方箋

 「アエラ」を読んでいると興味深い記事があった。『「病は気から」は本当だ-科学的に徹底検証』で、ジョージカプラン(これは確か生存曲線で有名な人だ)の古いデータから、自分が健康だと感じている主観的健康感も持たない人は持つ人と比べて10年間で3.6倍死亡率が高かった、というのを紹介。他の疫学調査からも主観的健康感のあるなしで大きく生存率が違うということで、結論として身体的健康状態以外にも精神的に健康か、人間関係はうまくいっているか、加齢を前向きにとらえているか、などのファクターが大切としている。

 これは別に画期的な結論ではない。これらのデータも原著に当たってみないと比較している対象が同条件かなどの疑問がないわけではないが、概ねほとんどの医者は結論にうなずくと思われる。「気持ち」が総てではないが、健康に与える影響はおそらく想像以上に大きく、免疫や内分泌に与える客観的な指標の変化も最近はとらえられている。

 感情を病気の予防や治療に積極的に取り入れることはこれから盛んになっていくだろう。笑うと免疫能が上がるということで癌患者さんを寄席に連れて行ったりすることは数年前から話題になっていたが、誰も馬鹿な試みだとは思わない。

 強い感情は人生を破壊することさえある。これをポジティブに使うこと、その方法論が出来ればサプリメントなんか目じゃないくらい効力を発揮するだろう。ただ感情は非常に個人的なもので一律に考えることは難しい。自分自身が主治医になって感情の処方を書くのが近道だ。前回書いた「触媒を捜せ」である。

「レオン」を目指せ!

大学院の時、毎日実験ばかりしていた。当時は循環器の生理学的実験では犬を使うのが一般的で、ビーグル犬で揃える事もあったが多くは保健所から払い下げの捨て犬だった。いろいろな犬がいた。多くは雑種だったがシェパードやコリー、チャウチャウとかもいた。何でこんなかわいい犬を捨てるんだろうとチラッと思った。

慢性的な実験ではなく急性実験では、1日でデータを取った後、犬は処分される。犬は麻酔をかけて挿管、人工呼吸器下で開胸され、心臓に処置をして様々なプロトコールで実験、データをとる。最後は塩化カリウムを静脈注射して心停止を起こす。

僕は実験が面白くてたまらない時期で、自分でデザインして学会で発表し、それなりの評価を得ることが生きがいだった。実験がうまくいかないときは2匹、3匹と成功するまで続けることもあった。真夜中になった。実験だけをする建物(動物舎)があり、そこで多くの科の先生が実験をしていた。100匹以上犬を使うと「名犬会」入りといわれ(もちろん冗談だが)尊敬を受けたが(もちろん冗談だが)、僕は最速で名犬会入りした部類で、独身だったから動物舎に住んでいたような時期もあった。動物舎の技師の人たちとよく遊びに行き、医局には行かずに入浴も洗濯もそこでしていた。なんというか狂ってたのかなぁ。

大学院の後輩を指導していたが、ある時どうしても犬を殺すのがいやで実験ができませんというやつが現れた。僕はあきれ、激怒した。何のために大学院に入ったのか。いったいどうするんだい?「でも出来ません。」彼はしばらく実験をしていたが、こんな残酷なことは出来ないと決心したのだ。彼の決心は固かった。別の形の実験をすることになり、ある日、彼は動物舎で実験に使えない雑種を、飼いたいからと貰って帰った。

それから20年たって今でもあの時の実験グループはボスを囲んで年に3,4回集まり飯を食う。昔話も出る。「あの時もって帰った犬はどうなったの?」「長生きしたんです。14歳ぐらいかなぁ、老衰みたいで割と弱ってたんです。ある時庭で花火をしたらその音に驚いて外に飛び出していって、それきり帰ってきませんでした。」「そうかぁ…」

僕は今では彼の気持ちがよくわかる。今実験をしろといわれても、犬を使う気持ちにはなれない。彼には犬の声が聞こえていたんだ。僕には聞こえなかった。でも聞こえるようになったと思う。なぜか? 前は区別していたんだ。人とそれ以外。人種差別みたいなもので、自分と違うものと思っていると声は聞こえない。今は人も犬も蚊も同じだと思っている。どの人種も同じだと思っている。それは犬を飼ってからのことだ。そうでないと僕にはわからなかった。

動物を飼おう。殺生は出来なくなる。本当です。そして次の目標は植物の声が聞こえることです。目指せ「レオン」!。診察室が火事になれば、植物の鉢を持って僕は外に駆け出す。スタッフはおいといて(ウソだぴょん)。

触媒を捜せ!

 今日はあまり疲れなかった。日によって大変疲れる感じが違う。考えてみると肉体的な仕事量はあまり変わらない。だのに、とてもやってられない位しんどい時もあれば、今から1日働けそうな気分の時もある。

 「脳は疲れない」。これを読んだ時、目からうろこが落ちた(古臭いたとえだなぁ)。糸井重里と池谷裕二の「海馬」である。いい本だ。この本から僕のマイ脳の本ブームが始まった。脳は疲れない。疲れているのは目なのだと若手の薬学博士は言う。脳研究の第1人者だ。

 目かぁ。そうかもしれない。でも自分の1日を振り返ってみると、目も含めて身体的には僕はタフだ。問題はエモーショナルな領域。精神的、感情的な疲れなのである。

 身体的にはまったく疲れてなくても、気分的によろしくないと疲労感は強い。肉体的な重労働はむしろ気分の高揚を呼ぶ。感情的にグッドな出来事があると、それまでの疲労感は一気に消える。化学反応のように。ドーパミンが爆発するのだ。

 身体的な疲労は睡眠でしか解決できない。しかし精神的な疲労は休んでもだめで、楽しい気持ちを触媒にして分解するに限る。触媒を捜せ!

 
 

言葉と響き

 今日は休養日で『2046』を見る。木村拓哉が出て、カンヌでどうたらと話題は多かったが映画評は芳しくなかった。敬愛する僕の元ボスが激賞していたのだが、正直なぜあれほどほめたのかよくわからん。ほめている人間と映画の種類がちょっとミスマッチなのだがなぁ・・・。しかし好きか嫌いかといえば好きな映画です。

 話題が大きすぎたからで、何も知らずこれを見たら拾い物だ。映像もいいが、印象に残ったのは音です。

 お昼に窓を開けて風の吹き込む部屋で見ていたのだが、広東語、北京語、日本語の響きが美しい音楽とミックスされて、本当にうっとりしました。風の香りとあいまって至福…です。

 言葉は響きだと思う。内容より喋り方、そして響きではないかな、実は一番他人に影響を与えるのは。

 ここらへんはちょっと意識したほうがいいな、と人と話す機会の多い開業医は思った。そして、これからアジアの映画を集中して見よう。いいよ。

仕事はキャッチャー

 今日は校医をしている中学校に行って健康相談をする。保健室の先生から前に登校拒否で気になっていた子の話を聞く。欝で大学病院に月1度通っているそう。その子の処遇について、母親が学校に希望しているクレイジーな誤字だらけの手紙を見る。入学してからずーと1日中保健室にいる子の話も聞く。ある時両親の離婚が決定し、鳥取に住む祖父のところに来週引っ越すと突然言われた。

 やれやれ・・・。

 子供たちが普通なら他人に話さないような家族のプライベートな事を話す、と言われる。僕も外来で、そこまで言わなくてもいいんですよ、なぜ僕に、と言いたくなるようなケースがよくあると話す。話すこと、聞いてもらえるだけで解放されるんですよ。指示はいいんです。話す人、場所がないのかな・・・

 「キャチャー・イン・ザ・ライ」のホールデンは言う。だだっ広いライ麦畑みたいなところに何千人もの子供たちがいる。子供たちは遊んでいて、崖とは知らないで全力で走ってくる。僕はその子を危ないところでさっとキャッチするんだ。ライ麦畑のキャッチャー、そういうのに僕はなりたいんだよ。

 話を何も言わないで共感をこめて聞いてあげるのは、ライ麦畑のキャッチャーだ。

 僕もなりたいのはそいつだよ。

読んでる方の「精度」はどうよ。

 昨日は休みだった。本を読んだ。実は僕は活字中毒である、相当。基本的にトイレも風呂も本を持って入る。最近さすがにこの暑さで長風呂をする気はなくなったが、冬から春にかけて浴槽で結構読破した。

 理事長になってから、こうすれば成功するとかいった類のビジネス書や、人生の幸せは、とかいった生ぬるい哲学書みたいなやつをたくさん読んだ。なにか求めていたのだ。しかし何も残っていない(2,3冊いいやつがあったけど)。小説を読むと心に残る影の濃さがぜんぜん違う。「人生はかぼちゃ!!」とハウツー物に書いてあっても「ふむ」と思うだけ。しかし小説に引き込まれて「人生はかぼちゃなのか…」と感じたらずーと残っている。

 で、最近は医学関係のもの以外は小説しか読まない。どんなジャンルの小説でも、結局は人間の生き方を描いている。できるだけ面白いものを読もう。

 昨日は気になっていた伊坂幸太郎の短編集「死神の精度」を読む。予感にたがわず面白かった。本好きな人は判ると思うけど、新聞の広告を見ただけでビビッとくる本があって、大概外れない。伊坂幸太郎は好きなタイプではないけど、こいつは面白そうだ。死神が主人公だけど、仕事は上から指定された人間が死ぬのに値するか1週間で評価すること。「可」もしくは「見送り」と評定。介護保険の調査員のようだ。

 音楽が何よりも好きで、ジャンルは問わない。人間の世界に仕事で来ると、暇を見つけてCDショップで試聴する。そこでよく同僚と会う。主人公が仕事をするときは常に雨…などなどディーテルが面白い。神は細部に宿りたもう。

 短編集はCDと同じで、話のならびが曲の順番と同じく重要。CDはキャッチーな曲が最初で、力の入った曲が最後か、最後から2番目というのが多いけど、短編集も似たようなもんだ。「死神の精度」も最後の話がものすごーく良いです。この話があるからかなり平均点が上がったと思う。採点は☆☆☆☆にしよう。

あなた無しでは生きられない

 敬愛する内田樹先生のブログにまたまた目の覚めるような卓見が載っていた。一部引用。

 I cannot live without you
というのはたいへん純度の高い愛の言葉である。
このyouの数をどれだけ増やすことが出来るか。
それが共同的に生きる人間の社会的成熟の指標であると私は思う。
幼児にとってこのyouはとりあえず母親ひとりである。
子どもがだんだん成熟するに従って、youの数は増えてゆく。
ほとんどの人は逆に考えているけれど、「その人がいなくては生きてゆけない人間」の数が増えることが「成熟」なのである。
「その人がいなくれば生きてゆけない」と思える人の数の増加と、当人の社会的能力と生存確率の向上はあきらかに正の相関をなしている。
それはI cannot live without you という言葉が相互的なものだからだ。
というか、その言葉が相互的に機能しないと思えるような相手に対して私たちは決してそんな誓言を口にしないからだ。

 俺は何でも出来る、一人で生きていける、といってるのは「自立」じゃない、「孤立」だ、とも。

 自立しようと頑張っている皆さん、こんな考え方もある。

 これとは別に「ワンピース」(知ってる?)という海賊漫画のルフィというリーダーが叫ぶ言葉、「俺は助けてもらわねぇと生きていけねぇ自信がある!!!」について、これはひとつのリーダーシップのあり方とグロービス経営大学院大学の嶋田毅氏が述べている。

 人間はきわめて社会的な生き物だ。あなた無しでは生きていけない、と強く自覚しよう。自覚するとしないじゃ大違いだと思う。