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ジェネリック医者

最近外来でジェネリックはありますかと時々尋ねられる。僕の診療所は院外処方をしているので、患者さんが好きな薬局に行ってそこに置いてあればジェネリック医薬品を使用できるような形で処方箋を書きますと答える。新しい有効成分を含む医薬品を「先発医薬品」と呼ぶのに対し、先発医薬品の特許が切れた後に他の製薬会社が販売する「同一有効成分、同一投与方法、同一用法用量、同一効能効果」の製剤を「後発医薬品」又は通称として「ジェネリック医薬品」と呼ぶ。最近テレビでよく宣伝をしているので行き渡ってきたんなぁと思う。世界のほとんどがジェネリックを使っているんだ、成分も一緒だし安くなるんだったらこっちのほうがいいよなーと普通思うな。でも本当に全く同じなのだろうか?薬剤師の知り合いが結構1錠1錠にむらがあったりするとか言ってたな。

医事新報という雑誌に本田孔士(大阪赤十字病院院長)先生がジェネリックについて書かれていた。それに一部補足してここに書く。
健康保険未加人者が多く一流メーカーの薬が買えない人も多い、そしてジェネリックを扱う会社の規模が大きくてMR(薬の説明、販売をする人)を多く抱えている欧米と、ほとんどが健康保険に加入していて、ジェネリックを扱う会社のMR数は圧倒的に少なく医者に対して情報提供できる体制の整っていない日本の、社会的背景の違いを全く説明せずに、「欧米(実際は一部の国)では よく使われているから」という断片的情報のみで、あたかも先発品と全く同質の薬であるかのような誤解を容認している日本の現状には問題がある。各国のジェネリック薬品比率を調べてみると、ドイツ41%、米国40%、スウェーデン39%、デンマーク22-40%、イギリス22%、オランダ12%、フランス3-4%、イタリア <1%、スペイン<1%、ポルトガル<1% と、ジェネリック薬品比率が多い国というのはドイツ・米国・スウェーデン程度であった。
テレビのコマーシャルでも、「料金が半額で、しかも先発品と同じ効き目なんだってね」と患者さんに言わせているが、本当に「同じ効き目」が実証されたのだろうか。たとえ先発品と同じ主成分を含むとしても、同じ治療効果が正確な治験によって十分に証明された上でのことなのだろうか。 同じ成分、同じ溶出率だから同じ効果があると、一概に言い切れないのが薬である。先発の会社は主成分構成以外の、例えば「製造技術」で、後発メーカーに知らされてない何かを持っている場合がある。 医薬品にも、その成分はわかっても、例えば溶媒の質や作り方の手順に妙があったり、他者にはなかなか同じものが作れない製造技術が隠されている場合が、すべてとは言わないが、ある。 同じ器械を使い、同じ手順で手術をしても結果は必ずしも同じではなく、その過程に言葉では伝わらないノウハウがあるのと同じであ る。料理でも、同じレシピ、同じ手順で作っても、名人と素人で味は決して同じではない。
日本のジェネリックを扱う会社は、医療者に対して、先発品の会社のようなMRによる情報提供や副作川モニターシステムを持っていない会社が多い。少なくとも、日本では現在、そのような状態で流通している薬であるという情報を、ユーザーである患者さんに十分に知らせた上で、どうするかを尋ねるべきである。安全性情報努力を割愛・省略することにより、先発より3割ほど安くしているのである。

主な趣旨は「本当に全く同じ効果、安全性か?」「トラブルが起きた場合対応は十分考えられているのか?」ということだと思う。ここらへんは人間が使用する薬剤の要だが、厚生労働省は医療費を下げようという意図が先行してそのあたりを隠している。こういったことはよくやってはるみたいです。薬剤費を下げたければ新薬の値段を下げればいいのにと思うが(薬の値段は薬会社が決めるのではなく厚労省が決めるのである。これも自由競争の社会なのになんか変じゃない?)そこはあまり問題にされない。なぜだか僕にはわからぬ。

個人的に何種類か使ってみた感じでは効果はそんなに大きく変わらない感じがするが、薬局と相談して評判のいいのを選んでいるのですべてのジェネリックがそうだというわけではない。これはもうわからん世界だなー。少々高くても先発品を使うか、アドバイスを受けて、いいと思ったらジェネリックを使うか、それはあなたが決めること。人任せではなく自己責任、自分の健康は自分で守ってねという、小泉政権の思想そのままですね。僕に出来ることは正確に情報を伝えることだと思います。もうすぐ医者も選択制になったりしてね。ジェネリックだけど安いからいいやとか。いや、保険制度も危ういですから冗談ではございません。

セミナー

 2日間の抗加齢医学会のセミナーが終わりました。朝から晩までまじめに参加しましたが、行ってよかったです。知識が増えたということはもちろんですが、やろうとしている抗加齢クリニックのプランが、行く前と行った後で変化した。これは僕にとってかなり大きいことです。ずーとこんな感じで行こうと練っていたのが知識を得ることで変わってしまった。もちろんいくつかある選択肢の一つではあったのですが、確信を持って変更できたのはよかったと思います。

 会議をするなら必ず何か1つ結論を出せ!というのは斉藤孝氏だったと思います。意味なく話し合いをするのではなく、それだけ時間を使う以上はこれからの方針を決めることを何か出さなくてはもったいない。学会に参加するのも同じで、行ったなーという記憶だけで終わっていてはあまりにももったいない(実はそういうのもある)。やる以上は行く以上はなにか実質的に進歩しなくちゃね。そういう意味でも収穫のあったセミナーでした。

 抗加齢医学は予防医学であり、これから絶対に必要なものです。そして僕自身が元気で120歳まで生きる、90歳まで仕事するためにも、自分自身のために必要なものと感じているからやっていこうと思っています。抗加齢クリニックをやっている先生、興味を持っている先生はみんなやはりまず実践からやっているようで、それもわかってよかったな。

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勉強、勉強

バカに見えても

 研究会で東京に来ています。電車で前にいる人々の顔を見る。みんな苦節何10年、耐えてきました・・・か、何で私がそんなことしなくちゃいけないのよ、つまんない!っていう顔をしているように見える。

 他人と接していないときの顔は無防備だ。ベースラインの顔がこれだと寂しいな。僕もそんな顔をしているのだろうか。

 子供も無防備な顔をしているときがあるが、不幸には見えない。思春期を迎えて、自我が目覚めだす頃から哀愁が漂いだす。

 人生とは重き荷を背負って歩むが如しだったっけ、家康が言ったとかいう記憶がある。確かじゃないけど。家康もこんな顔をしていたのかもしれない。

 「人生の目的は何ですか?」
 「遊ぶことです。」
 「仕事をすることではないのですか?」
 「僕にはわかりませんけど、あの炭鉱で1日中真っ黒になって働いている鉱夫さんに聞いてください」
  これは確か伊丹十三だったっけ。

 僕の人生の目的は遊ぶことではない(伊丹十三も違ったと思うけどね)。でもボーとしている時の顔は微笑んでいたい。バカに見えてもね。 

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理想

ナイキ フリー

 僕はお金のかからない人間である。物欲は阪神淡路大震災に被災してから消えうせた、というのは嘘だが半年ぐらいはほんとでした。でもあまり今でも何も買わないなぁ。本代が一番であとゴルフ代ぐらいか。

 ところが最近これは欲しいなぁーと思っていたのがあって、それはナイキのフリーというシリーズのスニーカーです。少しでも足の調子をよくするため最近フィンソールというフィンランド製の足底板を試しています。これがなかなかよく、出来れば患者さんにもお勧めしたいなと思っているのですが一般に普及しておらず、代理店契約を結ばなければならない。といってもこれがなかなか大変で…。そっちは検討中です。

 で、フィンソールをあわせてくれた理学療法士の人が勧めてくれたのがナイキフリーです。これは裸足の感覚に近いスニーカーというコンセプトで作られたもので、非常に生理的である。裸足を1、靴を履いた状態を10として、フリーは5(間ですね)というネーミングで作れられ、今年4(より裸足)が出ました。

 僕が近くの本屋さんをぶらぶらしていたところ、靴屋さんにナイキフリーが飾ってあるではないか!しかも5がバーゲンとなっている!これは買え!ということではないか?

 9000円くらいだったのでお買い得だなー。で、今気に入って履いています。軽量化のためメッシュを多用してあり、靴底もぐんにゃりと曲がるので破損しやすいとかあるみたいですが、次もこれを買おうと思うくらいお気に入りです。

 やっぱりナイキか・・・何が違うんだろう?

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僕のはグレーで黄色のソールです

実感

 帰りの車で夜風に吹かれてサザンを聴いた。
 
 「ふーりむきもーせず、夏は行くーけど・・・」
 「さーよならーぼーくの、いとしのエーンジェル、この身は枯れーても、愛は死なないー」

 これって、去年だっけ。
 
 なんか夏は終わっちゃたなぁ。

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ラップと偏見

 昨日は勉強のため「ラップ療法の実際」というDVDを見た。今まで傷の治療は①消毒②ガーゼというのが一般的だったのだが、実はこの2つは治りにくくさせていた可能性がある。傷があると浸出液が出てくるが、この中に創傷治癒に大事な成分が含まれており、消毒とガーゼはそれを損なう。水道水(!)でできるだけ洗って後はラップを貼っているだけで湿潤環境が保持され治癒機転が促進されるという「ラップ療法」は、最近の医学領域における目からうろこの新説である。

 このような説は権威が言うと認められやすい。「ラップ療法」は学問的裏づけもあり非常に説得力があるのだが、食品用ラップというあまりにも一般的な素材を使っているということと、学会とは少し離れたプライマリケアを実地に行っている医師からの提言ということで、褥創にも非常に簡単で有益という素晴らしいエビデンスも集積しつつあるのに厚労省や学会は反応を示していない(薬品会社の関係とかいろいろ複雑なことがあるに違いない)。実際に困っている臨床医からはすばやく反応があったのだが。

 今は全く一般的な経食道エコー法というのがある。これも20年以上前に学会で発表している先生がいた。個人病院の先生だった。有用性は判っているのだがはかばかしい反応が得られない。「何でこんないい検査なのにわかってもらえないのかぁ」と発表の席上で本当に無念の表情で思わずもらしてしまったその発言を今でも覚えている。その後大学が取り上げ始め、その先生の名前は消えてしまった。

 本当にいいものを曇りなく見極めるのは難しい。素晴らしい発明だというものも、元をたどればもっと前に考えている人がいて、どういうわけか彼は認められず、ある人は賛辞を受ける。早すぎた?そういうのもあるかもしれない、しかし人間が権威とか肩書きに左右されやすいというのも大きな要素だ。あなたはパッケージにとらわれず純粋に中身を評価できる?

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こいつ

知識は人を救う

 昨日はある障害者施設でスタッフ対象の講義をしました。主たるテーマはエイズの感染予防について。利用者の1人がHIV陽性(エイズ感染者、発症はしていない)で、多くの施設で利用が断られているためその施設で引き受けようとしたところ、スタッフの半数が反対しているので安全性について勉強したいということでした。

 エイズはあなたたちに関係の無い病気ではありません。それどころかかなり一般的な病気となりつつあり、東京とか大阪では、リスクの高い年齢層(10代から40代)だと150人に1人がHIV陽性と考えられています。僕も2年ほど前、非典型的な間質性肺炎の患者さん(カリニ肺炎だった)を病院に送ったところエイズが判明し2週間ほどで亡くなられた経験があります。

 エイズウイルス自体の感染性は弱く、血液が入らない限り他の体液で感染する可能性は非常に少ない。e抗原陽性のB型肝炎キャリアーのほうがはるかに感染性は強く、そのB型肝炎キャリアーが10名いる800人が一緒に過ごす施設で10年にわたって観察された結果、1名の発症もなかったという報告がある。それから考えると普通の係わり合いをしてる限りHIV陽性の方から感染する可能性はとても少ない。血液がどこかについても手袋をしてハイターで清拭、その後30分ほどおいて水洗いするとまず問題ない・・・等など話しました。しかし質疑応答では不安感は消えない、理屈はわかったけど実際はねぇーという印象でした。

 正体のはっきりしないものに接する事は恐怖がある。B型肝炎キャリアーは受け入れているのにエイズだと不安になるのは、実は意外なところから感染するのだとかいう新しい事実が判明する可能性があるからでしょう。それは否定できない。医学的な知識が必ずしもあるわけではないから、というのもあるでしょう。反対される方の気持ちは十分判ります。しかし、現時点で感染の可能性は極めて少ないということがはっきりしているのに受け入れないのは福祉に携わる人間の精神として問題がある気がします。

 もっと事実を知ること。アメリカでは受け入れるのが普通ですが、今まででそのような施設で発症者がどれくらいあったのか、そのようなデータは調べた限りではわかりませんでした。そのような知識を深めること、それが患者さんを救うことになる。僕たちの施設でも同じような問題は必ず出てきます。勉強を急がなくてはならない。そう思いました。

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エイズウィルス

最長不倒距離の老女

 デイケア創立当時からの利用者さんで、9年間通われており現在92歳。認知症対応型のデイサービスに変わったが今でも週6日通われている。最近老衰が目立ってきた。どこと言ってデータ的には悪くは無いのだが(認知症は重度で依然わかった僕のことも全然認識できない)、姿勢の変化で血圧が大きく変化するし、若干昼夜逆転が出てきて、午前中のデイサービスでは眠っていることが多くお昼から少し元気になる。

 最近衰弱が進行しているし、送迎で帰って疲れさせているのではないか、がっくりとして眠っている姿を見ると家でいたほうが幸せなのではないか、とデイサービスのスタッフが悩んでいたので、ご家族と話し合いを持つことになった。

 「そんなご心配はなさらないで下さい。家では元気で時にはあったことを話してくれる事もあります。本当にここに来ているからまだ生きているんだなぁと今日も主人と話しました。いつどうなってもおかしくないのはわかっているし、ここで最期を看取っていただければ本当に幸せだと思います。」

 朝ウトウトしていても、○○クンが迎えに来るよ!と言えばカッと目を見開くそうである。彼女が生きているのは本当にデイサービスがあることが大きく、家でずっと過ごしていれば衰弱の進行はかなり早いと予想できる。

 なんと素晴らしいことか!生きる支えになっているのである。家族の方にも安心という大きな力を与えている。デイサービス冥利に尽きるよ。少し遠い離れで過ごしていただいてるつもりで、家族のようにこれからも彼女を支えような。

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ユーミン

 ごそごそCDの山を引っ掻き回していると「リインカーネーション」が出てきた。おぉ、ユーミンじゃないか。今日のドライブミュージックはこれにしよう。

 ユーミンはバッチシ僕と同世代である。彼女の登場はちゃぶ台(死語か?)のあるすすけた4畳半に突然カラーテレビが現れたようなもんで、新しい、素敵な、求めていたものが現れた喜びに、僕らの世代は完全にやられてしまった。あの貧乏くさくない「切なさ」は、経験したことない音楽世界だった。

 僕は目利きの友達がいたおかげで、あまり売れてなかった荒井由美の頃からよく聴いていて、関西初登場の大阪城野外音楽堂でのステージも見ている。へただった。彼女がビッグになってから神戸のインド料理屋で偶然見かけたことがあるが、その時もあまりオーラはなく地味な感じがした。もともと観察力の鋭い意地悪なお姉さんと言うだけだったかもしれんな。しかしあの素晴らしい楽曲の数々で松任谷由美となってからのステージの彼女は完璧なカリスマだ。「パールピアス」のコンサートで、彼女がグレーのスーツを着て同じ衣装のダンサーを数人従え踊りながら出てきた時のかっこよさは本当に震えがきた。フェスティバルホール全体が震えたような気がする。最初から最後まで総立ちだったもん。

 「リインカーネーション」はある種ピークの時のアルバムで、音の隅々まで、のってる感に満ちている。後、好きなのは勿論「パールピアス」、ちょっと地味な「ボイジャー」、切ない「悲しいほどお天気」、異色の「紅雀」、ミニアルバムの「水の中のアジアへ」も大好きだ。まあほとんどのアルバムが好きだな。

 しかしそんなユーミンも、最近はどう考えても魅力が薄れている。盛者必衰は世のならい。ユーミンとて例外ではない。ちょっと悲しい。

 いつかユーミンの訃報を聞くときがくるだろう。その時僕はどこで何をしているだろう。葬式には行かないだろうが、心をこめた黙祷は必ずすると思う。

(と言っても1歳しか違わないんだから、どっちが先かわかんないって)

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写真撮るとき注文うるさそうね

 

 

グッド レスポンス!

 診察待合室が少し模様替えした。といっても気に入っている絵を複数枚かけただけなのだが。だがスタッフがうまくかけてくれたおかげで久しぶりに来た患者さんが「きれいになったんですねー」と言ってくれた。わずかのことでも印象が変わる。おお良かったなー。甲斐があるよ。

 大学で学生さんを相手に話している時、何が一番いやって反応が希薄な時ほどやる気のなくなることは無い。今はポリクリといって臨床実習の小グループが相手なのであまりそういうことはないが、大学勤務時に100人に対して講義室で授業を行っていたときは、笛吹けど踊らない相手に無力感に襲われ講義の出来が大いに左右された。といっても必ず聞いている学生はいるのでいい加減にはできないのだが。

 コンサートと同じで聴衆がノルと演者も相乗効果で盛り上がる。単にうなずいてもらうだけでもいい。笑ってもらえれば1000人力だ。自分が聞いている立場の時は意識しないがやってるほうはナーバスなのである。

 だからほんの少しのことにでも反応することはとても大事なのだ。レスポンスすること、それで社会は成り立っている。愛情の反対語は嫌悪でなく無視なのである。必ず返答を返すこと、思っていることを伝えること、それができてこそ大人でござるよ。

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実物はもっとビューティフル