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抗加齢医学の実際2009

「抗加齢医学の実際2009」に行ってきました。発表です。抗加齢医学会では春の学会、秋のこのセミナーが2大行事ということになっている。学会は演題募集ですがこのセミナーは講師依頼の形式で、今回初めて依頼されて当院の取り組みを紹介に行ってきました。

 

僕のテーマは「障害を持つ人々への抗加齢医学的アプローチ・Exercise for everybody !」というもので、パワーリハビリテーションの有効性を事例を交えてご紹介しました。連休にもかかわらず、安からぬ参加費用を払って日本の各地から集まって来られている勉強熱心の方々を前に話すのですからちょっと緊張した。いや、かなり。

 

結果はまあまあだったかなー。内容は十分自信のあるものなのですがプレゼン能力だよ、きみー。人前では結構話し慣れているつもりだったのですがまだまだです・・・

 

終わった後数人の方から質問とかコメントとか戴きました。面白いのはみんな関西の方で(紹介の時順天堂大学の青木先生は、必ず僕のことを大阪の、という接頭語をつけられます。コスト意識の高い大阪では抗加齢クリニックは大変難しいという話を前したことがあり、よくそれを覚えておられるのでしょうか)抗加齢医学不毛の地といえる関西では、みんな心細いねんなぁという気持ちがしました。心臓リハに情熱を燃やしている先生、僕のクリニックの行き方に共感を示してくれた先生達、有難う!頑張ろうね。

 

印象的だったのは、話が終わってやれやれおしっこでも行こうと僕が自分の席でもぞもぞしていた時にさっと歩み寄って名刺を差し出してきたちょっとご年配の女医さんでした。「面白かったわよ」とどすのきいた声でそれだけ言って去って行かれました。僕は初めて高座に上がり、ちょっと褒めていただいた新米落語家よろしく「有難う御座います」とだけ言ってしみじみと嬉しい気持ちになったのです。

 

抗加齢医学会は今では会員数7000人近い大所帯ですが、僕の会員番号は200番台で、思えば昔から関わってきたよなと愛着のわく学会であります。こういうのは他にありません。なんやかんや形になるのに78年かかるもんやなという感慨を少し抱きながら、これからよりパワーアップしていこうと少年は心に深く誓ったのであった。

 

スライドです。

 

 

 

 

プレゼンの達人

先週の土曜日、城東区、旭区、都島区、鶴見区という4区の開業医と、基幹病院との間の糖尿病を中心としたネットワーク DM net ONE (ONE = Osaka North East) の会がありました。今回は糖尿病と高血圧がテーマで、僕もクリニックで行った小さなスタディの結果を話させていただいたのですが、メインであった勝谷友宏先生(大阪大学・臨床遺伝子治療学・特任准教授)の講演がとても面白かった。

 

高血圧の治療について、基礎から臨床までカバーしてわかりやすくお話されたのですが、印象に残ったのは話の内容もさることながら、その話術、プレゼンテーションの技術です。「ムーブ!」に出ていたコメンテーター、ジャーナリストの勝谷誠彦氏(色つきレンズの眼鏡をかけた短髪でよく怒っている人)はお兄さんだそうで、血筋でしょうか。話のメリハリ、ジョーク、良く出来ていて全く退屈しない、もっと聞いていたいとさえ感じさせるような出来でありました。

 

医者のプレゼンというのは勿論内容が第1ですので(なんでもそうか)、話す技術、表現方法はあまりとやかく言われない。有名な教授でもびっくりするくらい退屈な人もいたりするのですが、やはり人に判っていただくのが目的なのでこれではいかん。ある程度エンターテインというか、ぐっとひきつける魅力を発揮するテクニックを考えるべきでしょう。

 

基本的に場慣れ、場数を踏むことが原則だとは思います。話慣れてるなぁというのは強い。しかし思うに、基本はその方のキャラか。プレゼンがうまい人がその場を降りて、実は退屈な人だったということはまずありえないわけで、まずは面白い人間になること、これが最低条件だと思います。そして発表の内容に関して圧倒的な知識と自信を持っていること。そこから出る余裕ね。

 

というと結構ハードル高いよなー。今週末に東京の抗加齢医学会のセミナーで話すことになっているのですが、急に人間、変われるわけないし。内容に関する十分な確認か、まず。面白い人間になることはぼちぼちね。

 

お兄さんの方です。

在宅医療

4時過ぎに枕元の携帯が鳴った。患者さんの家族からだとすぐ判った。「今呼吸が止まりました」と思いのほか冷静な奥さんの声がした。すぐ行きますと答えて車に乗る。

 

末期のがん患者さん。前日も夜往診し、あと23日も持たないかもしれないとご家族にはお話していた。早く寝とこ、と思いながら寝たのが1時過ぎだったのを思い切り悔やみながら高速を走る。思いのほか車が多い。朝の通勤時と変わらないな。

 

到着すると奥さんが一人で亡くなったご主人の手を握られていた。安らかな顔。死亡確認を済ませ他の親族の方が到着されるまでお話をした。ご主人のお人柄、ご夫婦の経緯、タバコを最後まで止められなかったこと(ホスピスにいたときも吸っていたのだ)。ご長男のご家族が到着し、少し手続きのことなどをお話して僕は帰る。エレベーターまでご家族が来てくださる。

「先生も大変ですね」「いえいえ、そんな・・・」

 

在宅で最期まで看取るのはご家族も医療スタッフも大変である。しかし、そこに地域医療を選んだ医者の本来の姿、純化した本質があると感じるのも確か。携帯を持って眠りにつくとき、ちょっと何かを呪いたくなるときもあるのだが、いざ現場に行くと勝手に心が身体が動くのである。「楽したい」と、「達成感」との間の揺れ動き。僻地医療の「ディア・ドクター」に激しく共感するのもそこだ。

 

映画の台詞にもある「あんな、弾が飛んでくるんや。打ち返しているとな、どんどんどんどん飛んでくる。ちょっと面白なったりする気もするけどな、もうだめや、止めよ思てもな、もう止められへんようになっとんのや。ほんでもう知らんうちに何年もたってもうた。使命感なんて大層なもんちゃう」

 

しみる。こうやって揺れ動いているうちに年をとるのか?いやいや、別の考え方があるはずだ。それを捜すことにする。

 

 

ホリディ

 今日は火曜日で仕事は休み。宿題が山積みで、朝いつも通り起きて愛犬と散歩し、その後机に向かう。

 

 休憩中に読んだ朝日新聞の記事。「脳卒中 病は気から」・・・人生に絶望する気持ちがあると頚動脈に病変が起き、脳卒中や心臓病を起こす危険が高いことが米ミネソタ大の研究でわかった。「ストローク」の最新号に掲載された。中高年女性559人が対象で、人生に最も前向きな集団と、最も絶望感が強い集団とでは頚動脈の厚みに有意の差があった。

 

 精神神経免疫学では病は気からというのは科学的に実証されている。うつ病の人に循環器系の疾患が多い。自律神経の破綻から内皮障害をきたす等の説あり。

 

 悲観はイカン。悩んでいるのはふりだけにしよう。どうしようもないことはほって置く。方針が見えているものは他人を気にせず実行あるのみ。

 

 午後に1時間ほどまた愛犬と散歩に出ただけで、1日パワーポイントを考える、学術雑誌を読む、昼寝する、コーヒーを飲む、を繰り返す。ずっと音楽が鳴っている。とても幸せ。脳卒中ははるか彼方。

 

1日は早い。

同級生

高校の同級生とゴルフに行く。2組集まったのだが、そこでびっくりする話を聞かされる。

 

ほんの数日前に同級生が亡くなったのだ。彼は優秀な精神科医で、ある事件に巻き込まれていて(新聞にも載るような)、そのことで僕もメールをしたのだが少なくとも返事の文面上は元気そうであった。だけど突然ちょっと複雑な亡くなりかたをした。

 

数年前の同窓会で本当に30年ぶりくらいに会って、その時中学1年の時の臨海学校で僕がよく足がつった話(その時よく一緒にいたのだった)を楽しそうにしてくれて、僕も嬉しかったのだ。その後も何回か会ったのだが、とても頭がよくてパワフルで、エキセントリックなところも少々あったのだが、心の優しい、その分少し生きづらそうな感じを受けた。 

 

全員絶句した後、

「死ぬ気やったら何でもできるやろー。何してんねん」

「ほんまや。おまえなんか何やっても絶対死ねへんな」

「そうや。俺ぜったい人のせいにするもん。すべて他人のせい。ゴルフやったらクラブの 

 せい」

 

などと言っていても元気はない。

 

その瞬間に何を考えていたのだろう。

 

夕方、風に吹かれて月を見る。「君が死んでも世界は変わらない。でも君が生き続けていると世界は変わるかもしれない」という言葉を思い出した。優秀な彼にふさわしい。でもこんなこと何の慰めにもならないなぁ。心の中は他人には判らない。

 

本当に残念。いろいろな意味で。

 

 

ランチ・トーク

 お昼休みの僅かの時間に外来スタッフのM嬢と昼飯を食いながら雑談をする。余はいかにして男性ジャズボーカルを好むようになりしか?

 

 「男性のジャズボーカルって聴いたことないです」

 「まっ、少ないからね。僕が何故男のジャズシンガーが好きかというと、この効率だけ  

  の世の中において彼らはそんなものと無縁な感じが濃厚にするからだ。いやな仕事だ 

  とか期限とか、そんなものとは無縁で、つれない女性とかうまくいった恋愛だとかラ

  ブソングだけを歌う。女性が歌ってもなんとなくそんなものかと思うが、男が歌うと

  一般世間とは次元が違う感じがするのだ。そこだ。そこが好きなの」

 「日本の人であまりいないですよね」

 

 とそこから話はどんな爺さんが好ましいかという話になる。彼女は俳優とかよりも一般の人のほうが年がいった場合素敵な人が多い気がするという卓見を述べる。確かにそうかもしれぬ。

 

 「おしゃれな人がいいですね。私帽子が似合うおじいさんが好きなんです」

 「(いろいろ好みがあるものだ)あのさ、そういうじょーひんな感じの爺さんと、ロッ

  ケンロール!と叫んでるような不良ジジイとどっちが好き?」

 「上品な方」

 「そうですか・・・」

 

 といいながら気がついたのだが、僕は不良ジジイの方が好きなのだ。髑髏のTシャツを着ているようなロックジジイ。そして僕が忌み嫌っているのは小市民的なもの、世間様がとか、みんなはそうしているとか、そういうやつであることがはっきり判ったのである。そしてそれは僕自身が小市民的だからだ、ということにも気がついたのだ。・・・・激しく反省した。

 

そんなことはどうでもいいよと空の雲

グッ・ジョブ!

朝、愛犬と散歩に出る。日曜日だがいつもと同じ。今日はパワーリハビリテーションのフォローアップ・セミナーを僕のクリニックで開催するのである。2ヶ月前にも前回のセミナーの話を書いたのだが、時のたつのは早い。少年老い易く学なり難し。しみじみ。空は秋であった。

 

 

セミナーは満杯。午前中はパワーリハビリ研究会大阪支部の理事である田中先生のところの三苫さんと、当院の佐藤くるり部長が講義。三苫さんはビジネス・マーケティングをデイサービス経営に持ち込む刺激的な内容であった。デイサービスの運営の仕方、内容にもアイデアが一杯あり、聴かれた方はラッキーである。くるり部長は病み上がりにもかかわらず堂々たる発表。お疲れ様でした!

 

午後は酒井医療の宮田さんが実際に患者さんにマシンを使っていただいての実習。片麻痺であるNさんが快く参加を承諾してくださった。このような試みはパワーリハが始まって20年近い歴史のうえで初めてとのこと。Nさんは非常に知的な方で、自分自身の感覚も的確に話してくださり、大変充実した会になった。本当に心より感謝します。有難う。

 

 

会が終了してからも皆さんいろいろ疑問を話し合ったり名刺交換とかなかなか去りがたい様子であった。このセミナーは自分でいうのもなんだけど、ファミリアな感じで雰囲気、内容がよく、自分が別施設から参加しても良かったと思うんじゃないかと思う。このままこの調子で続けたい。頑張ってくれたスタッフ、ポジティブライフ君、和田さん、村山さん、藤木君、そして酒井医療の皆さんにグッ・ジョブ!です。

 

 

 

きのうの神様

 「きのうの神様」を読む。「ディア・ドクター」の西川美和監督が書いた、今年の直木賞候補にもなった(残念ながら取れなかったけど)短編集。「ディア・ドクター」に出てくるキャラクターが登場するということで興味を惹かれて読んだ。

 

 うーん。なんて才能なんだろうと思う。彼女は自分でも、脚本とか撮ることより書くことに興味を覚えるとインタビューで語っていたが、本当にプロの仕事である。

 

 どの話も登場人物、シチュエーションが医療関係であるのだが、そのリアリティには驚嘆する。医者を主人公にしたドラマ、小説は多いのだが、どれを読んでもまあ作り物、脚色があるというのは暗黙の了解事項だが、ここに出てくる人たちの行動、感情に違和感を覚える医者はまずいないだろう。

 

 「ディア・ドクター」でも感じたが、ここには念入りに取材され理解された上での(いろいろな立場での)医療関係者の現実の気持ちがありのままにある。もうこんなことはないよなぁ、という細かいところも12箇所ないではないがノープロブレム。本当に共感してしまった。

 

 映画に続き医療関係者必読。ほろ苦く深みのある真実の味。

 

読むべし

 

 

 

  

甲子園の思い出

お盆である。僕のクリニックは来週に3日ほどお休みを戴くことにして、今週は平常どおり診察している。診察室の中はいつもと同じ、ビジネス・ゴーズオン・アズ・ユージョアルですが、外は人通りも少なく、リラックスした夏モードの人がちらほら。

 

木曜日は5時半には診療が終わり、用事もあって早めに帰宅する。車で甲子園球場の前を通ると(通り道なのです)、人がいっぱいいて、ああ高校野球なんだと思い出す。

 

もう20年以上も前だけれど、甲子園夏の大会中に、僕は夕方芦屋の浜を散歩していた。なぜそんなところにいたのか判らぬ。謎である。記憶に定かではないが、ともかく歩いていたわけよ。

 

すると野球のユニホーム姿の若者たちが10人以上浜辺のテトラポットのところにたむろしていた。マネ―ジャーらしき制服姿の女生徒もいたような気がする。胸の○○高校という文字を見て、今日のお昼に試合のあった高校だと気がついた。なんでこんなところにいるのだろう(甲子園浜と芦屋浜はほとんどつながっているが)、レギュラーじゃないのかな、という気もした。

 

するとその中の一人が大きな声で「あーあ、負けちゃったよ」と楽しげな感じで叫び、笑い声が起きた。みんな屈託なく冗談を言い、なんかとても楽しそうであった。彼らは草野球で負けたような感じで授業のこととか友達のこととかも話していて、よくある毎日の放課後のような感じであった。

 

実際彼らの高校は敗退したのを後で知ったのであるが、その当時高校野球は、全力投球、負ければ悲壮感漂うというのが僕のイメージであって、彼らの態度は心底意外だったのである。

 

でも全然いやな感じは無く、おお彼らは健全な、まともな高校生であると僕はとてもいい気持ちになったのである。まあ高校生は昔も今もこんなもんで、高校野球というマスコミによる違ったイメージが染み付いていたんだろうね。スポーツをする若者はこの方が自然だな。

 

試合は全力でも後はスマイル。高校野球を見ると、彼も試合後はこんなかな、と想像する。いいね。

 

夕暮れの球場と佇む人々

 

流れる雲を追いかけて

今日は久し振りに友人とゴルフに行く。大雨。午前中はほとんど台風であり、こんなときにする奴は気が狂っている。前後にパーティはいない。苦行です・・・といいながら昼ご飯を食べてからは日頃の善行が実り曇り時々小雨となる。「今日はこれぐらいにしといたるわ!」と言いながら雨雲は去っていった。

 

猛吹雪に襲われたスキーヤーがゴンドラに逃げ込むように、ずぶぬれ状態でゴルフカートに乗り込んで、なんとなくボソボソと共通の友人の近況について喋る。

 

最近同年輩の友人が死去することが多い。癌だったり突然死だったり。そんな話を聴いたとき、必ず出る台詞が「人間好きなこと、しとかなあかん」というやつである。

 

好きなことねぇ・・・・案外難しい。

 

毎日ゴルフをやってろと言われたらちょっと困るな。村上龍氏の言うように、趣味とは閉鎖した安全な世界であり、リスクをかけたヒリヒリするような緊張感と高揚感をもたらすのは仕事しかない、と僕も思う。人間は世界とつながっている必要があり、それの一番確かな手段は仕事をし続けることだ。仕事を通じてささやかでも他人を助けることができる(これは医者だけのことを言ってるのじゃないよ)こと、それを実感していたら「何のために生きてるのかしら」という疑問は出てこない・・・、多分。

 

受身ではなく、自分で生産、発信し続けること。それが一番面白いはずだ。

 

と、分かってはいるけど日々の接近戦はしんどいもんじゃ、とすごいスピードで流れる雲を見ながら思う。こういうことを考えさしてくれるのは遊びの効用だな。やはりこいつは必要ね。

 

 

come rain or come shine