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プレゼント

 まだ仕事始めから3日目だけど(というか、だからか)結構お疲れモードになってきた。これではいかん。抗加齢医学会の中心人物である慶応の眼科学教授である坪田先生は、年始のメールで彼個人の「2010年の10大ニュース」を予測して送ってこられた。これはつまり今年の目標ということである。僕もモチベーションをあげるため僕の10大ニュースを製作しようとするも5つで行き詰る。うーん。

 家に帰ると小包が届いていた。もう10年くらい会っていない、賀状交換をしているだけの僕の後輩S君からだ。僕は20代後半から30代前半まで(多分今までの人生で世俗的な意味で一番面白かった時期)いうのも恥ずかしいがウインド・サーフィンに人生のかなりを捧げていた。ごく僅かの時間でもあれば香枦園の海の潮風に吹かれて細胞の活性化を図っていたわけだが、S君は僕をそのウインド・サーフィンの世界に導いてくれた恩人なのである。

 彼とはいろんなとこに行ったなぁ。勿論聖地であるマウイ島にも一緒に何回か行って、今とはまったく別のライフスタイルがあるということも教えてもらった。彼は湘南ボーイであり、海とともにする生活が自然な人だったのである。

 小包には2枚のCDと手紙が入っていた。彼の中学、高校の同級生である益田ひろしという人のソロギターアルバム。「彼の曲にはヒーリング効果がありますので、ちょっとお疲れの時に聴いてみてください」とあった。こっちのコンディションを察知しているかのような絶妙のタイミングのプレゼント。

 彼が鎌倉・材木座でウエット・スーツを着てウインド・サーフィンをしている写真が添えてある。「相変わらず海で遊んでいます」とある。もう50前だったっけ。ソロギターは素朴で直球という感じの音楽で青春の香りが漂う。元気を出せってことだね。

 

O君の鍼灸院

 お昼休みにO君の鍼灸院に行った。http://www.osumi4649.com/

 彼は2年ほど前まで当院でいっしょに仕事をしていたのだが、独立の志に燃え自分の鍼灸院を立ち上げたのである。僕は彼の施術により鍼灸の効果を身をもって知った。そして今でもクリニックに鍼灸院を併設している。クリニックの原型を作った恩人ともいえる。久しぶりに会った彼はなんだか若返って見えた。

 「O君、若返ったんじゃない?」 「髪が長くなったせいじゃないですか(彼は以前は短髪だった。今はぼっちゃんのような髪型である)。2か月散髪に行ってないんです。2か月前に会った人から、別人か、と言われました」…相変わらずである。

 鍼灸院は彼の温厚な性格を反映して暖かみのある山小屋のようで、ベッドも落ち着けるように個室に置いてある。しかも2室だけ。彼が会計も何もかも全部一人でしているのである。レモングラスのいい香りが漂い、一緒に行った当院鍼灸士のK嬢がバリ島みたいですねといったように、東洋的だけど島のような風通しのいい波動がある。僕も通ってみたい雰囲気だった。

 温厚だが彼は大学時代、柔道と空手のクラブに入り、僕の診療所でも格闘技クラブを作っていた。このことからも彼の内に燃えたぎるものがあるというのがわかるであろう。数回の活動の後サンドバックを買うかどうか討議していたのだが、そのままクラブ自体が立ち消えになってしまったのは残念であった。

 彼とまたの再会を約束してクリニックに戻ったのだが、とてもいい気分だった。彼にはスタイルがあり、それを貫いている。流されていない。生きるのに大事なことは自分のスタイルを作るということなのだと僕は思う。勉強になりました。

満足顔で鍼灸院を出るうちのスタッフのM君

心は武闘派のO君

 

オン・アンド・オン

 今日は仕事始めです。 

 オフは終わりオンです。このオン、オフですが、「アエラ」に放送作家の鈴木おさむ氏がいいことを書いていました。

 「この業界で仕事のできる人は飲みにいっても面白い。仕事オフという意識は無く、常にその場その場で努力して面白くするよう考えるからだ。我が家もオフにする場だと考えない。仕事とは違う脳を使って、同居人とテンションを上げる場だと考える。仕事と家庭はオンとオフじゃない。オンとオンにできる人こそ両方ともうまくいっている気がする」

 オフは無く常にオン。すげぇ・・・。

 でもこうありたい気がする。大体何もしないでボーとしていても休息にはならない。別のことに集中してこそ仕事の疲れが取れる。睡眠時間さえ確保していりゃ、ずーとオンの方がいいわけだ。オン・アンド・オンといえばスティーブン・ビショップの名曲ですが、やり続ける、継続という意味です。オンをやり続ける。オンをオン・アンド・オン!

 これです。今年はこれに決まりね。

オン・アンド・オンに突入!

 

明珠在掌

 明日から仕事である。

 院長の着ぐるみを着た小学5年生は悲しみに打ちひしがれそうになりながらレセプトをチェックしたりしてそろそろと日常業務のリハビリに入る。健気だなぁ。

  休みの間何をしたかというと何もしていない。買い物なんかも全くしていない。新年からセールをやっていて去年は衝動買いで眼鏡を買った。今年は文庫本1冊。以前買った本、CDとかを整理していると、おお、なかなか!と思うものが結構出てきて新しく買う必要性がなくなってしまった。服もしかり。

 最近物欲はあまり無く、精神的、肉体的な快楽をいかに得るか、頭を使わなくてはいけないようなことにのみ興味が向いている。物質は今あるもので十分。さらば、マテリアル・ワールド。

 いい言葉がある。教えようか。「明珠在掌」。宝物は実はあなたの手のひらの中にある。青い鳥の話も一緒。幸福はあなたのすぐ傍にある。すでにあなたは今のあなたのままでいい、何の不足があろうか、キョロキョロせず周りを気にせず、いまのままの自分で、やりたいことに集中したまえ。

 悟ったか、小学5年生・・・なわけないが、今の自分の手持ちの駒を深く検討しなおした方が新しいものを求めるよりいい気がします。

 そう感じるときはそのように。そういう時期なのだ。今の世の中の風潮はエコにしてもなんにしても全部経済上作り出されたもののように感じるのでよけいに。新しいものはいりません。

 ウラウラと落ちる冬の夕陽

 

年賀状

 僕は年賀状を書くのが遅い。全く自慢にならないけど。

  実はほとんど今年はもう止めようと思っていたのである。昨年スタッフからスタッフ間の賀状のやり取りはもう止めにしようと思うのですが、という声があり、それはそれで結構、書きたい人だけ出せばいいよ(これは当たり前の事だ。わざわざ言ってきたのは同僚から賀状が来なくても気にしなくてもいいよというエクスキューズであり、無駄を省くという意味でもある)と答えたのですが、僕はスタッフには全部出した。スタッフには年賀の挨拶をしておきたいという気持ちからです。

  しかるにそういう気持ちで賀状を書く相手がどれくらいいるか?結構会う機会の多い友人だとわざわざ書く必要も無い気がする。気持ちが分ってるから。ご年配の方、仕事上の付き合いの方には礼儀から。ほとんど会わない方には生存確認に近い意味で。

 然るに僕はせっかく書くのだから深いことが書けないとしても一言添えるのは最低限のエチケットだと思う。印刷だけの葉書が届いてもこれは何の意味もないな。出す方もわかってるだろう、これは単なる挨拶であなたが気になる訳ではない、慣習上していますと。年々印刷の範囲が大きく書き添えるスペースが無くなっている賀状が増えている気もする。

 本当に年賀の挨拶をしたい人だけに出すようにしたら今の3分の1くらいになるんじゃないかなぁ。そのつもりで書くようにすると、今の義務感からじゃなく、いい気持ちで書き始められる気がする。

  今年からそうしよう。年賀状でなくスタイルを変えて別の形で。慣習だけでやっていることは止めよう。礼儀知らずと思われてもいいや、まぁ実際そうだし。

 

 

 

身近な変革

 皆様、明けましておめでとう御座います。

 

 もう新年が明けちゃいました。昨日元旦は20年ぶりくらいに初日の出を見に行き(曇って見えませんでした・・・)、諸々の雑事の間にポール・オースターの「幻影の書」に熱中していて気がつけば2日でした(こいつはビックリするくらい面白い本です。柴田元幸氏の訳が素晴らしいせいでもありますが)。

 

 テレビはあんまり下らなくて、そろそろ人類は今までのテレビジョンから離れ、別の通信組織(候補がいくつかありますが)に移行した方がいいんじゃないかと思う。素晴らしい番組も無いわけではないですが、本当にダラダラ受身で見ているのはやめたほうがいい。今年はますますテレビを見ないようにしないとな、と思う。

 

 初日の出を見に行くとき、少しでも睡眠時間を増やすため(午前1時くらいまで起きていたので)、起床後最短の時間で家を出るにはどうするか、少し工夫しました。単純なことで愛犬の散歩の時には完全に外出の格好で行くとか(いつもの朝は部屋着にコートで行って着替えていた)、洗面その他の順番を若干工夫するとかそんなことですが、結構短縮できることが分った。・・・そうかっ!いつもこうすればいいんだ。

 

 いつものルーチンの生活も一発点検を入れると結構改善点があるということである。足元から見直す。これが元旦の教訓でした。いつもやってることは変えにくいことですが変革は実はそこらへんを見直すことから始まり、しかも効果は大きいと思います。

 

 ボチボチ楽しみながらやっていこうと思います。

 

元旦の夕陽です。朝は曇ってたもん。

時間をとめる

 今年も今日でおしまいである。年々速く時間は過ぎ去っていくが、それを止めるすべはないのであろうか?

 

 毎日が速く過ぎ去ってしまうと感じるのは、同じことの繰り返しが続くからだと説明されている。繰り返していると記憶に残らない。感動がないと印象に残らない。

 

 ここらへんで繰り返しのマンネリの輪は断ち切らなくては。時間の流れが濃密に感じられるように、前日も書いたのだが頭を使って時間を過ごさないとな。感動は待っていてもやってこない。作り出すこと。

 

 

 目標を立て、それにむかって計画を立て、それが実現できたか検証し、そして変更していく。この実行こそ時間が上滑りしていくのを止めることが出来るのだと僕は思う。

 

 1年の計は元旦にあり。実行あるのみ。

 

皆さん、来年もよろしくお願いいたします。

 

季節物

 クリスマスも終わってしまった。毎年クリスマスらしくないよねーと言いながら過ぎていく。クリニックの1階に陣取るジミー君http://www.ikeoka.net/blogs/soulcherish/?p=1761#commentsも来年までしばしの別れだ。

 

 物心ついた頃のクリスマスの印象というのは梅田の阪急、阪神両百貨店のイルミネーションだった。子供心に「すっごい!はで」と思いながら、毎年の趣向が楽しみだった。大人になってからは景気を反映して「こんなに質素だったっけ」と思うことが多くなり、最近はこのシーズンに梅田に出ることもあまりない。

 

 うー、淋しいなぁ。こういう季節物というやつは、年を経るに従いだんだん疎遠になっていく。単なる商業的な理由から始まったものもあるが、それなりに定着しているものは結構気を入れてやった方が生活にメリハリがつくのでは。毎日毎日いつも同じでは面白みがない。人生はカラフルに。

 

 次は正月だが「初荷」なんてのをちゃんとやるのも風情があるかも。「初荷」と書いた旗を立てて。何を乗せる?僕は乗せたいものがあるのだがこれは秘密だ!

 

また来年ね

今日あった事

 インフルエンザは相変わらずの多さです。一時下火になったようですが今週になってから再び爆発。咳が強く咽喉はあまり赤くない。なんとなく顔が水っぽいというか涙目っぽくて、熱があるかどうかに関係なく熱っぽい感じがあれば、まず新型インフルエンザです。匂いがする。

 

 今日、3日後が結婚式ですという女性が来られました。インフル臭強し。まずいなぁーと思いながら迅速検査をすると、案の定インフルエンザA型がでました。気の毒なほどうなだれる女性。タミフルをすぐ内服してラッキーに明日解熱しているとすると、翌日も熱がなければ一応結婚式の日に感染性はかなり下がっていると考えられます。式は可能だと思いますとお話しました。

 

引き出物はタミフルにしては、とは言いませんでした。

 

いずれにしても大変です。うまく解熱されるように。これから結婚式を控えておられる方は、怪しいと思ったら予防内服を考えてもいいかも。

 

 

 

診察が終わってから僕の友人の明治国際医療大学の鍼灸学助教授S君が、教授のI先生、指導しているKさんを伴って来られました。彼は北野病院で呼吸器リハビリに鍼灸の効果があるか研究していて、僕が診療に鍼灸を取り入れていることを北野病院の先生に聞かれ、興味をもたれて食事をしたことがありました。今日はその縁で来られたのです。

 

彼は30代半ばですが恐ろしいくらい仕事をしていて3時間くらいしか寝ない。午後11時過ぎまで大学にいて最終バスで自宅に帰り、そこですぐ寝ずに30分ほどジョギングをする(「京都なんで若い人が多く、この時間でも結構走ってるので怖くないです」)。内も外も少年のようなスーパーマンです。

 

来られた3人はみんな大学人、研究者特有の、世間ずれのないピュアーな感じに溢れていました。この感じを私は愛するものであります。今何がしたいかと言うと、学生です。今の仕事とは全く無関係の、全く世間的には意味のない、ノン・プロダクティブな、高等遊民的な学問の徒となりたいと思っております。

 

実際になると不良学生になることは火をみるよりも明らかですが。

 

 

 

今日は年若い友人の誕生日でもありました。ささやかなお祝い。

君の目指している道は間違っていないよ、とオールド・フォックスは思う。

 

 

ふたご座流星群

 今日偶然知り合った人は大阪の卸売市場で働いている人だった。大阪には3つの大きな卸売市場があるのだが、このおっちゃんは40年以上福島の卸売市場で働いている。

 

 夜の9時から朝の6時くらいまで働き、そこから遊びにいく。大体睡眠時間は3,4時間。それを40年以上やっているので、7時間寝るなんて人をみると、ようそんだけ寝れるなぁと感慨を抱くそうである。頭が痛くなるらしい。関西で「ねぎとろ」を流行らしたんはワシやで、東京ではやってたけど大阪は誰も知らんかったんをいろいろ工夫してやったんや、とか、何とかいう魚の「若干し」(半生みたいに乾燥させたもの)という言葉はワシが考えた、とかアイデアマンです。

 

 ほとんど寝ないから人生を倍生きているみたいなもんや、そしたら俺はもう120やで、と笑う。で、彼が「昨日の流星群はきれいだった。流れ星って、つーと流れるだけやと思うやろ。違うで。ふっといのがざーと流れるんや、昨日のは」と言った。一晩中起きてるんだもんなぁ、星も見るやろ。

 

 僕が覚えている流れ星は、高校1年生の時にクラスの有志で兵庫県の高原(名前は忘れた)にキャンプに行き、そこの夜空で見たやつだ。初めて見たのでかなり感動した。来たやつ、喋った言葉もよく覚えている。キャンプファイヤー、今もう一度したいです。

 

 で、昨日のふたご座流星群を見たくなったのだ。ふっといやつ。こいつです。

http://www.youtube.com/watch?v=WtcsJZY_jLo 和歌山みたいね。こういうのがネットで見れるというのも奇跡のような気がする。今晩も見れるのか?おっちゃんも見るかな?