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流れる雲を追いかけて

今日は久し振りに友人とゴルフに行く。大雨。午前中はほとんど台風であり、こんなときにする奴は気が狂っている。前後にパーティはいない。苦行です・・・といいながら昼ご飯を食べてからは日頃の善行が実り曇り時々小雨となる。「今日はこれぐらいにしといたるわ!」と言いながら雨雲は去っていった。

 

猛吹雪に襲われたスキーヤーがゴンドラに逃げ込むように、ずぶぬれ状態でゴルフカートに乗り込んで、なんとなくボソボソと共通の友人の近況について喋る。

 

最近同年輩の友人が死去することが多い。癌だったり突然死だったり。そんな話を聴いたとき、必ず出る台詞が「人間好きなこと、しとかなあかん」というやつである。

 

好きなことねぇ・・・・案外難しい。

 

毎日ゴルフをやってろと言われたらちょっと困るな。村上龍氏の言うように、趣味とは閉鎖した安全な世界であり、リスクをかけたヒリヒリするような緊張感と高揚感をもたらすのは仕事しかない、と僕も思う。人間は世界とつながっている必要があり、それの一番確かな手段は仕事をし続けることだ。仕事を通じてささやかでも他人を助けることができる(これは医者だけのことを言ってるのじゃないよ)こと、それを実感していたら「何のために生きてるのかしら」という疑問は出てこない・・・、多分。

 

受身ではなく、自分で生産、発信し続けること。それが一番面白いはずだ。

 

と、分かってはいるけど日々の接近戦はしんどいもんじゃ、とすごいスピードで流れる雲を見ながら思う。こういうことを考えさしてくれるのは遊びの効用だな。やはりこいつは必要ね。

 

 

come rain or come shine

おお、夏だぜ。

日中はまるで梅雨明け、まるごと夏だった。きたねー。

 

「人は人生を十分楽しむこともなく時間を無駄に浪費してしまう。まるで行く夏を楽しまずに過ごしてしまうかのように。もっとも夏ならばまた巡り来もしようが。」

 

誰の台詞だったろう、夏になると不思議にこの台詞を思い出すのだ。

 

そしてもう一つ。

 

「夏は単なる季節ではない。それは心の状態なのだ。」・・・これは片岡義男氏。僕の感受性のかなりの部分を形作った日系3世の作家。

 

とりあえずこれからだよな。今までのことはスッキリ忘れてリセットです。

 

 

言うことなし

 

 

 

 

サボテンの夏

これは何か?

 

診察室に鎮座するサボテン様の先端である。先のほう、15cmばかりが薄緑なのがわかるかな?新芽である。新しい息吹が吹き出ているのである。

 

今は全長2m近く育ったサボテン様だが、4年ほど前には50cmほどの子供だった。

 

初めて知ったのだが、サボテンは先端部から元々の径の4分の1程度の細い新芽がオリジナルの大きさの1.5倍程度の長さにまで伸びていく。そこで大きくなるのは止まり、今度はゆっくりと径が太くなっていくのである。

 

元の径の半分程度にまで太くなって暫く活動が止まっていたのだが(冬のせいだな)、今度はその太さでゆっくりと長くなってきた。色がいかにも新鮮である。できれば天井を突き破って欲しい。

 

世話係である外来のI嬢が「大きくなれーと思って一杯水をやったんですが、よかったんでしょうか?」と言っている。サボテンやからあんまりええことないんちゃう??

 

この人的環境でよく育ったものである。植物は偉大だ。地球の支配者は植物という説があるが、僕は同意するね。ゴッド・ブレス・サボテン!

 

 

先端部を凝視するように!

夏のパヒューム

午後の診察が終わり、1件往診に行く。自転車に跨った時、夏の湿度の高い水の匂いがした。「日本の夏」の香り。梅雨時の匂いだ。

 

五感の中で嗅覚はもっとも原始的な感覚である。古来鼻で感じるシグナルは生存に欠かせない、危機の感知に必要なものであったのだろう。敵の匂い、危険な現象、物が焼ける匂いなど。その名残で匂いや香りは人間の奥深い感情をもっとも強く刺激するらしい。

 

僕にとって夏の匂いは今までプールの塩素のにおいであった。プールに行かなくてもどこからか漂ってきたような気がしたものだが、昨今ご無沙汰である。プールに行ってもそんな匂いはしない。過去の記憶の中の匂いか。

 

ココナッツの香り。こいつも夏だ。サンオイル、昔風の資生堂とかの香り。今はサンオイルは使わないで、サンスクリーンに変わってしまった。蚊取り線香の匂い。素晴らしい。でもこいつも出会うことが少なくなってしまった。線香花火やなんか、打ち上げじゃない花火。いいなぁ。でもやらなくなって久しい。こう考えるとすべて過去の香りである。潮の香り、森の草いきれ、これは幸いなことに今でも感じることができるが、都会の夏の香りではない。

 

2009年の都会の夏の香りは何か?

 

誰か素敵な女性のコロンだったりしたら楽しいけどねー。まあまだ夏は終わっていない。夏が終わるまでに決めておこう。

 

仕事が終わっても明るいのは嬉しいな。

真夏の夜の夢

 木曜日の午後診の受付は午後5時まで。で診察終了後はパワーリハビリテーションを3セットとウォーキングマシーンで時速5kmほどの歩行を30分、その後ポジティブライフ君にストレッチをやってもらってスッキリしてから帰るのが最近の習慣だ。

 

 車に乗ったら初夏の夕暮れが美しい。風も甘い。パワーリハのように、しんど過ぎない運動をすると脳内のβエンドルフィンがぐわーと増えているのが実感としてわかる。過度の激しい運動はむしろ身体を損なう。プロの競技じゃないのだからボディコンディショニングにはこの程度が最適だ。これを週3日、これからずーと続けていけば死なないんじゃないかと思う。

 

 こんな夕暮れ時は昔見た夢を思い出す。

 

 一時僕はあんまり楽しい甘美な夢が続くので毎晩眠るのが楽しみで楽しみで、という信じられない季節があった。いや実にたわいなく、ある夢はあまりにもおいしいケーキを食べて、あぁ幸せだと思って眼が覚めるという、こうやって書くも恥ずかしいような庶民的な幸せなのですが(しかも小学生の時じゃなくて立派な社会人のとき)、そのシリーズの一つが、夏の夕暮れの甘美な風の香りを感じると蘇ってくるのであります。

 

 僕は病院の研修医よりちょっと上というくらいのポジションなのですが、今から飲み会がある。夕暮れ時で爽やかで場所は中ノ島辺りかな。川が流れていてクラシカルな建物があって、緑が大阪にしては多い。サマードレスのきれいな会社帰りの女性が沢山歩いている。楽しそうなおっさん達もいる。今夜の飲み会はまだそれほど親しくないのだけど今夜辺りを契機にしてすごく親しくなるであろう予感を確信的にたたえた綺麗な女の子が来ることになっている。あっ、少し遅いな。急がなくっちゃ。風が心地よく甘い香りが漂っている。どこからかテナーサックスの物憂い音が聞こえてくる。

 

・・・というようなシチュエーションの夢なのです。あまりにリアルで眼が醒めた時、あっ、どうなったんだっけ、と夢であることがわからなかったのだが、身体がけだるいような、甘美な記憶だけが残っていたのである。

 

 いや、ささやかですね。でも脳みそがβエンドルフィン飽和状態になっている溶液に浮かんでいるような、強烈に甘美な感触があったのです。こういう夢はかなり久しく見てない。夢は記憶の再構築のとき見るという説もあり、現実の何かを反映していると僕は思うのですが、甘美な夢が見れるような甘美な現実をおくることは出来ないか。

 

 とりあえず今晩の夢は甘いものであるようお祈りして寝よう。

 

生なら明るく、死ならすばやく、そして人生は甘美に

 

 

 

nature on my mind

土曜日は仕事が終わってから、当院のIT関係を一手にお願いしているIさんのオフィスに向かう。今お願いしているスーパーコンピューターの出来具合をチェックしに・・・うそ、僕個人のプリンターが故障し、なおして頂いたので引き取りに行ったのだ。ささやかだなぁ。

 

土曜日の午後の本町あたりは緑が多くて気持ちがいい。空は薄ボンヤリと空色で、こんな空を見ると子供の頃を思い出してしまう。遊びつかれて汗だらけになってバヤリースオレンジなんかを貰って(ほとんど色つき砂糖水だったよね)飲みながら見上げた昼下がりの空の色。なんとなく楽しい時間も終わりで心細くなるような。けれどやはり未来に何の翳りもないような初夏の空。

 

思えば遠くへ来てしまったものである。

 

土曜日の患者さんで、長野に森林浴をしに行ったら取材に来ていた韓国のテレビにつかまって、ちょっとした実験に参加したという人がいた。

 

森林浴の効果を検証というテーマで、お友達の方と一緒に血圧や唾液中のコーチゾール(ストレスの指標である)なんかを測定して、6時間森林を散歩した後もう一度測定したとのこと。

 

「で、コーチゾールはどうだったんですか?」

「それがねー、本当に5分の1くらいに下がっていたんですよ。もうびっくり。やっぱり私は都会はダメなのかなーと思いましたよ」

 

彼女は本当にストレスが原因と思われる不整脈で悩んでいたのだが、旅行中は全然出なかった故。

 

森林浴は確かに効果があるだろう。しかしささやかでも都会にも緑はある。心の持ちようで自然を楽しみたいものだ。確かに環境は厳しいが。自分の心の中に大きな自然をもつ。周りに流されない。

 

まだ彼女も不整脈は出ていないようである。

 

月も愛でちゃおう。

チェンジ!

今日はお休みです。しかし校医をしている中学校へ検診に行かねばならぬのじゃ、トホホ。少し早く着いたので途中クリニックへ寄ってコーヒーを飲み、おしっこをしてから出かける。

 

中学2年生はまだおとなしい。連休前にした3年生の検診で欠席だった女子数人を先にしたが、まぁふてぶてしいでござる。初々しさは消失し大人のような計算がなんとなく透けて見える。おお、ゴッド・ブレス・デム。みんな素直に育ってね、とご両親に代わりお祈りをして学校を後にする。

 

今日は散髪だ。久し振りに武庫川の土手の道をチョイスし散髪屋に向かう。考えてみると同じ散髪屋に30年近くかよってるな。そしてこの道も10年前までは毎日通っていた。この下の川岸は数百回ランニングで行ったりきたりしているはずだ。ユーミンの「川景色」が頭の中で鳴る。

 

いずれにしても歴史が積み重なるのはとーぜんだが、マンネリはイカンな。年をとって記憶力が悪くなるのは、同じことの繰り返しにより脳への刻み込み方が弱くなるのも一因である。新しい経験はみんないくつになって経験しても忘れない。

 

繰り返しは安心だがボケるのである。いつものルーチンを意識的に変えること。これは大事なのだ。で、散髪もいつもお願いしてるご主人には遠慮していただいて違うお姉ちゃんにやっていただく。

 

まっ、こういうのは言いにくいので実は彼がお休みだったからなんだけどね。でも気に入ったので時々やってもらおうっと。習慣を変えるのは悪くないですよ。

 

 

川が写っとらん。すまぬ。

 

p.s. 民主党、小沢代表のチェンジは残念だなぁ。

 

スピードが必要

おお、もう5月やんけ・・・

 

月日のたつのははやい。光陰矢のごとし。少年老いやすく学成り難し。中年は無為に日々を送っているとあっという間に老人である。・・・これはいかん!惰眠を貪らず日々精進したいものである。

 

忌野清志郎氏が亡くなった。僕と4つ違い。そんなにファンというわけではないが「雨上がりの夜空に」は大好きな曲だ。シャイな人格を、意識したいわゆるロックな姿勢で隠して演じきった方だと思う。合掌。

 

ちょっと前にムッシュかまやつ氏のバースデイアルバムを聴いた。「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」をすごく若いアレンジで歌う。70歳。

 

今日のニュースで40歳のメジャーデビュウの高橋建投手、横浜の46歳工藤投手の活躍を知る。

 

太く短く生ききる人もいれば、年に負けずしぶとく頑張る人もいる。

 

ボンヤリしていてはどっちも不可能。スピードだな、意識すべきは。うーん。

 

新芽である。常にフレッシュ!

スピーチ・パワー

 

通勤するとき、多くはCDをかける。でも時々、時間帯が合えばテレビを受診する。ほとんどの場合がニュースだ。運転中は画像が出ない。音、声だけが聞こえるわけだが、最近のニュースで登場する多くの日本の政治家諸氏の声、喋り方はどうも全く魅力的でない。まあ勿論、内容もだが。

 

電話で話すと、実際に顔を合わせるよりニュアンスの違いを感じとりやすいのは、みんな気がついていると思う。声のもつ表現力はかなり深い。

 

政治家というのは自分の思想、考え方を他人にアピールすることが、仕事の大きな部分だと思う。欧米の政治家を見ていると、言葉、言い回しもそうであるが、やりすぎじゃないかと思うくらいスピーチする技術に重点を置いているのがわかる。これは言葉による説得が基本となっている国々においては全く基本的な学習項目なのだろう。

 

日本は基本的に「あ、うん」の国である。行間を読むのが大事で、弁舌爽やかというのはむしろ批判の対象となることもある。そういうのはわからないことも無いが、その活躍する場所によるな。政治は明らかに的確で魅力的な言語能力を発揮すべき場所であろう。

 

時々弔辞で、大変内容のある、そして見事な表現力の方を見ることがある。人の最後を送るという、そのある種緊迫した状況がそうさせるのだろう。政治の場においても、それくらい覚悟を持って毎回スピーチすべきじゃないのかね。

 

政治家諸氏に負けず、私もスピーチ能力を磨きたいものであります。

 

最近はやはりこの人ね。

コールド・チェリー

 

もう4月になってしまった。桜である。

 

桜に関して考えてみると、結構思い出があるなぁ。

勤務していた病院の近くを流れている川べりに有名でないのが信じられないくらい見事な桜並木があり、そこで寝転がって青空を見ていた日。雨上がりのライトアップされた桜並木を自転車で駆け抜けた夜。学会で行った、桜とピンクの照明で景色全部がピンクピンクしてた京都の夕方。

 

花見の頃はだいたい寒い。風邪も多い。今日も東京では満開とニュースが言っていたが、朝の気温は10℃をきっていた。最近チラチラ見るのだが、僕自身は車をオープンにする気にもならない。おいおい、どうした?

 

選抜も終わると、いつもそろそろ始まりだなーという気になっていた。新学期なのだ。もうそういう年ではないのだが、気持ちとしては変わらず新学期といきたいところだ。

 

そのためにはまずはオープンにすることだな。明日はジャケットを持って車に乗ろう。やるぞー(と気張るほどのことでもないか。でもな)。

 

夙川はまだ3分咲きです