昨日はあったかかったですね。何で昨日の話なんかしているかというと、今日は日曜日だったけど全く外に出なかったからだ。仕事だよ。ああ、何てことでしょう!唯一の息抜きのゴルフも断り、一日机にへばりついて、ふと気がつけば外は真っ暗。で、出来たのはこんだけかよ・・・ショッーク!!いま抗加齢医学会のアンチ・エイジング・クリニック申請書類を書いているのです。これが内科専門医受験なみの、かなり高度な症例報告を多数出さねばならず、それで楽しい日曜日も浪人生のように(しかもかなり切羽詰った)過ごしているわけですね。
昨日も午後5時まで法人本部の部屋にいてしこしこ書いていた。外に出ればなんとなく生暖かい。なんか初夏の夕方みたいだなーと思いながら車に乗る。甘い甘い夏の夕暮れ(ほんとはそんなわけないがなんとなく過去は美化される)・・・早く夏が来ないかなー。僕は真夏になれば暑いのに飽きて「早く寒くならんかなー」と思い、クリスマスソングを聴いたりする人間です。寒くなりそうだと、もう夏のけだるいあまーい夏の宵が恋しい。骨の髄まで無いものねだりです。もういい加減大人になろうね。
疲れたので車の中ではガンガンのブルース、ジョニー・ウインターの「ギター・スリンガー」を大音量でかける。気分はロウだぜー、イェーという曲の中で、なにか日本の演歌っぽい、なかなか泣かせる曲がかかる。「Kiss Tomorrow Good Bye」歌詞から察するに、昔の恋人が明日別の奴と結婚するらしい(べただなー)。曲もいいけどタイトルもいいですね。映画で「Long Kiss Good Night」なんてのも昔あったな。Kissとつくとなんとなくふーんとなるのは僕だけでしょうか。
まあともかく現実は「Kiss Tomorrow Welcome」といきたい。いくかなー、不安だ・・・
青年よ、再読せよ。
前にブログでも書いたが僕は注意欠陥多動症候群型か自閉症型かといえば間違いなくAD/HDの方であり、新しいものが好きで落ち着きが無く、そういうお調子者が世界を廻している(多くの場合)と信じている人間である。読書においても同じで、何かを知るにはできるだけ沢山読んだほうがいいと思い、再読は原則としてあまりせず読み飛ばす(学問的なことだけじゃなく)。質より量。
だけどこの頃変わってきたなぁ。他人事みたいだけど再読の重要性が身に沁みるようにわかってきました。1冊の本は1回読んだだけじゃわからん、多分。あまりにつまらんと思った本は再読しなくてもいいと思うけど、少しでも、ワン・フレーズでも心に残った本は再読の価値があり、残しておくべきだと思います。
結構熱心に読んだつもりの本でも、少し時間を置いて読んでみるとギャー!と思うぐらい覚えてない。「そうだったのか・・・」と愕然とするくらい新しいことがそこには書かれており、また間違って理解していたと気がつくのである。多くの本を読むより1冊の本を深く何度も読む方が真実に近づくようである。量より質なのだよ。
この世界に新しいものは無く、総てはもう君の持っているものの中に書かれている。新しいものを探すのではなく、今あるものの中から発見せよ。青い鳥は外にいるのではなく、君のすぐそばにいるのだ。それは本だけではないよ、きっと。
私の好きなもの
昔すごく好きだったので、ああ今もう一度聴きたいって歌があるでしょう?そういうのは結構CDで手に入るのですが、どうも無理かなーというのもある。僕は「世界は二人のために」という歌がヒットした佐良直美の「私の好きなもの」という歌を偏愛しています。何とかもう一度聴きたいと思っているのだが難しそう。これはオリジナルで、
有名なmy favorite thingsとは別の歌。「ボサノバのリズム、洗い立てのブルージーン、雨上がりの匂い、夜明けのエアポート・・・」とか好きなものを列挙していくのです。すっげえ、おっしゃれーだぞー。
で、僕も昔暇な時に好きなものを列挙して遊んでいたりしたのですが(こういうのは結構その人がどういう人間か判る)、その一つに「雲」があります。
いいなぁー、雲。ゴルフに行っても時々ボーゼンと雲を眺めていたりするのですが(ほとんどゲーム放棄)、昔と変わらないね、雲は。
いい大人になってからも朝から晩まで夏の浜辺に寝転んで雲を眺めていたことがあります。雲って突然できるのだよ。知ってる?真っ青の空に突然綿菓子のように小さな雲が渦巻き、みるみる大きくなっていく。それとは逆に薄くなっている雲が一息の間に消えてしまったりします。ああ、雲よ、変化する雲よ、同じ変化でも僕はどうしてこんなになってしまったのであろうか・・・何か意味なく反省したくなる。
クラフトエヴィング商會の本にも「クラウド・コレクター」というのがあります。好きな人は案外多いかもね。愛犬と散歩していたら夕暮れが壮厳な感じとなり、いかした雲があったので撮りました。僕もささやかなクラウドコレクターとしてこれから記録しましょう。
アケビ・マイ・ラブ
生まれて初めてアケビを食べた。山歩きが趣味の方が、取ってきたからと下さったのである。名前は知っているが、なんとなくイメージで形は知っているが、見たのは初めてだ。「口の開いているのから食べてください。開かないやつは米びつの米の中に入れるとすぐ開くよ」とのこと。風流だなぁ。
キウイより少し大きいくらいの赤茶色の鞘の中に、ソーセージのような大きさ、形の、種がいっぱい詰まった白いういろうのような実が入っている。種は出すのかな。見かけはよくないです。何か昆虫みたい。
齧るとうす甘い、上品な味がした。果物というより和菓子のようだ。半分ほど種も一緒に食べたのだが、後はスイカのようにぷっぷっと吐き出して食べた。淡白な甘さ。本当に和菓子である。餅のようだ。匂いもそんな感じである。
2つほど食べて、その後で梨とキウイがあったのでこれも食べる。二つとも結構すきなのだが、アケビの後ではかなり乱暴で無神経な味がした。十二単衣の前に腰みのをつけた原住民が現れたような感じです。洗練と無骨。こんなに印象が変わるとは思わなかった。アケビは淡い味なのですが記憶から消えないのです。
和の世界は深い。知らないものが沢山あるのだろうなぁ。これからは和の世界を知ることが僕の世界を広げるだろうと確信した。やるぞっ!(と無意味な意気込み。でも前から好きな日本画といい、この前学会で行った京都といい、うーん、ディープです。圧倒的に引き付けられるなぁ)
ペイン
今日も朝から快調だった。ライフラインである30分の午睡も取れない日々がしばらく続くが前向き前向き。いい調子で外来に行き、診察の合間にメールチェックして今週発表する学会での内容に関し某教授にお尋ねした事へのお返事メール(好意的な内容であった)を読んでいる最中に左肩に激痛が。
もともと僕の左肩と右股関節は昔スキーで痛めてから再三増悪している(この場所だからゴルフがうまくなるわけないじゃん)。開業して1年ぐらいしてからも左肩から肩甲骨にかけて異常に痛くなり、3ヶ月ほど整形外科に通った。最近でも時々鍼灸のお世話になっている。
一ヶ月以上持続する慢性的な腰痛は90%近くが心因性、ストレスが主因と言われているのを知っているかな?レントゲン所見と自覚症状はほとんど相関しない。日本人に多い肩こり、付随する眩暈、頭痛も精神的なファクターがかんでいる。
ストレスかな?うーん、と思いながら診察を続けるも痛みはますますひどくなり根気がなくなってくる。職業柄全く話し方も変化しないのが自分で分かるが集中できない。何とか午前診を済ますが昼の往診が5件あり、吐き気さえしてくる。最悪だ。
痛み止めを飲む。筋肉が痙攣しているかのようである。1時間たっても全く効いてこない。最悪の気分で夕方の外来へ。診察している様子は全く変わらないであろう。職業というものは恐ろしいものである。合間にメールチェックする。
高校時代の同級生から久しぶりにゴルフの誘いが来ていた。僕は昔のあだなで呼びかけられている。じーとその文字を見ていると懐かしい気持ちになり、左肩が暖かくなって、痛みが3分の1くらいに消えてしまった。
痛み止めを飲んだ時、ある時簡がたってから、まさに掛け声がかかったみたいにスーと痛みが消えていった経験がある。今回もそれだったのだろう・・・かな?
解決法
涼しくなりましたねー、朝の犬の散歩でその日のコンディションが決まる僕ですが、今朝は秋の美しい空気と陽射しにくるまれて頭が冴え、懸念だった問題がいくつかバチバチ解決した(主として学会や研究課題のこと、経営問題は依然ペンディング)。
問題解決は必ずしも時間を必要としないが、常にそのことを考えている必要がある。「問題があるときはそれに糸をつけて、虫のように頭の周りをぐるぐる飛ばしておきなさい」というスペインの諺があると開高健氏が書いていたが、何かいつも気にかけているとあるとき突然解決する。
「寝ている間に総ての問題は解決する」という説もあり(本もある)潜在意識に働きかけるということなのだが、それにも調子のいい時と悪い時があり、今日はビンゴ!の日だったようだ。
朝の通勤の車でもいくつか考えが浮かぶ。朝の散歩、朝の通勤の車内、まれに夜の眠りにつく前、というのが僕のゴールデンタイムです。
今月はこの調子で最後まで行こう(なにしろ今月、来月はかなり激しく忙しいことが確実だからだ)と思う。常に考えてるのでぶつかるかもしれないから気をつけるように。
バッド・シチュエーション
また暑い日がぶり返すが空気は明らかな秋の気配だ。雨上がりの晴天の下、ちんたら自転車でお昼に往診し、安倍総理が辞めようがいつもの仕事は続く。
安倍総理は最悪のタイミングで辞めた。これは誰にも分かるしご本人も百も承知だろう。それでも辞めざるを得なかった彼の孤独感を思う。続投しろと彼をたきつけた人、そして今は全く知らん顔をしている人、彼は政治家として有能ではなかったが、彼を票集めの道具として使い捨てたような日本の政治家達の顔を見ていると、政治なんぞをやっている奴に高潔なまともな奴なんぞ一人もいないという意見に組したくなる。伏魔殿である。まともないい子は近づかないようにしましょう。
この前のブログで書いた社会保険事務所はやはりわれらの城東区でした。厄介ごとを避けうまくごまかそうとした人たちは今はどうしているのであろうか?血税なんて意識は毛頭もないよね。公務員は最悪であるなんてことを言っても虚しいだけだが、政治家も含め公僕というのは、あーあ、うんざりだよな。
医療介護の世界は彼らの作るシステムのおかげで(加えて経団連のおかげで)最悪の状況に陥りつつある。怒りを表明することさえ虚しい。我々はどのようにして生き延びていくべきか?
社会保険庁の懲りない人々
ほかの話を書こうと思っていたのだが、ふと目に入ったNHKニュースで、例の社会保険庁職員の横領事件、退職したから処分しませんでしたというケースがあり(本当にあきれてものが言えん!)、それが城東区の社会保険事務所の2例だというではないか!?
確認しようとネットを調べたが分からない。城東区が日本中にどれだけあるのか判らないから間違っていると申し訳ないので(大阪とは言ってなかった)これ以上言っても仕方が無いけど、なんというかなぁ、この事件そのものは絶句です。
社会保険庁の件は本当にメッチャ怒ってるぞ。この人たちの精神構造はどうなっているのであろうか?有識者が言う、「国民はもっと怒るべきだ」。そのとおり。でもね、問題はどのようにして怒りをあらわすかだよ。その方法が分からないから怒ってないように見えるだけだ。選挙なんてなまっちょろいぞ。
なにかこの件に関わらず、ちょっと大事なところは緩衝物質でカバーされているようで、なんとなくウヤムヤで、本当に怒りをあらわすことが出来ないように操作されているような気がします。
ダイレクトに怒りはあらわすべきだ。どうする?
無事これ名馬
後1時間足らずで8月も終わり。今年も夏が終わってしまった。毎月最終日はレセプトという保険請求のための用紙をその月分打ち出すためスタッフは遅くまで残る。僕は少しお付き合いして「お先にー」と声をだして外に出た。夜の空気はもう秋っぽい。
どうも風邪を引いたようだ。夕方からやたら眠く、関節が痛く、もともと無い覇気がほとんどゼロに近い。他に症状は無いが「なんか変だな」と考えて、どうもこれは風邪らしいと結論が出た。免疫機構が働いている時は眠くなる。少し寒気もする。今日は早く寝よう。
今まで働き出して25年以上、病欠はゼロだ。開業してから10年になるがアキレス腱の手術をした時も翌日から外来をした。開業医は自転車操業だ。自分が倒れたらほとんどの業務が停止する。そう思うと自分の健康を守るためにもっと慎重になってもいいはずだと思う。でもそうは言ってもねー、自分を律することに苛立ちを覚える日もあるし。
無事これ名馬。能力よりもまず健康。泥臭い名馬になるのが僕の道と考えもう寝ます。
クラフト・エヴィング商會と三上氏
僕はほとんどの場合本を読まないと寝ない。眠れないことはないが、まあ習慣ですね。心が波立たない、積極的に癒してくれる本が寝る前には適しています。時々読むのがクラフト・エヴィング商會の本です。これは製作者のユニットの名前。ご夫婦です。本の装丁でも有名。ちょっと生真面目で清潔でクラシカルな、大人のファンタジーを出版し続けているユニットです。
初めて読んだのは「じつは、わたくしこういうものです」。いろいろな商売をしている方が写真入りで出てきてちょっとしたエピソードを話します。初めは実在の人かと思っていたのですが、だんだん商売がエキセントリックになってくる。白いシャツしか作らない仕立て屋なんかはありそうですが、思い出を保管する倉庫番とか月を見せる商売(水盤に水を満たして登場し、覗き込むと月が写っている)とかになってくるとこれはファンタジーだったのかと気がつく。登場人物も役者でなく他の本物の商売をしている人なので(末尾でちゃんと紹介される)リアリティがある。
この前の休みは「フィンガーボウルの話の続き」を読んだ。これはビートルズのホワイトアルバムがモチーフになっていて、ジャケットに通し番号が打たれているのはマニアなら知っていますが、そこから話が展開していく。いいです。
であるCDを聴いていたとき、これはクラフト・エヴィング商會の本のBGMにぴったりだなと思いました。ゴンザレス三上氏の「Green shadow, white door」です。Gontitiのリードギターで元ドイツ銀行員。生真面目でシャイでユーモアがあって世俗から離れている。ぴったりだ。
本でも音楽でもこういった作品はどんなに引越しをしても何時までも棚に残っていて、たまに手に取ると何時会っても心優しい友人のように大切にしたくなるのです。