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「裏神戸リーグ」と買い物

 昨晩は関西学院MBAの方々の飲み会「裏神戸リーグ」(裏千家みたいなものでしょうか?)に参加させていただきました。いや、とても楽しかったです。向学心のある「できる」人達はとても個性的で柔軟性があり、僕のような関係の無い人間でもなんら違和感を感じさせないで(僕がそう思っているだけかもしれないが)、遊んでいただきました。どうも有り難うございました。また機会があったら呼んでくださいね。

 集合場所の三宮に少し早く着いたのでぶらぶら散策。こんな時間(といっても夕方6時くらいですが)に神戸に来たのは本当に久しぶりです。Adidasのshopがあったのでなんとなくふらふらと入ったのですが、飾ってあったブルゾンが異常にかっこよく、関西には数枚しか入ってないというセールストークにのせられて買ってしまいました。服がとても好きというのが端々に感じられるお兄さんで、そういう人の情熱には負けたげようという気になりますね。仕事が本当に好きという人を雇わなくてはいけないなと思います。

 最近日中は結構暑くても朝晩はかなり冷え込みます。今日もオープンにして夜帰ろうと思ったら少し寒い。19℃でした。出番じゃないの、と昨晩購入したブルゾンを着込み(そんなことだろうと車に積んでいた)、気持ちよく帰ってきました。最近は金木犀の匂いがいたるところでします。夜、開けて帰れるのは10月いっぱいかなーと思いながら、坂本龍一のピアノを流して帰りました。本当に単なる日記ですいません。

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私です

 

黄金の雲

 今日、帰りの夕方に、車で高速を走りながらボブ・ディランを聞いていて、小雨なのに日が射して黄金色になっている空を見ていると、20代の頃を思い出した。

 僕が死んで(勿論)天国に行ったときに、むこうの手違いで「ごめーん、間違って10年はよ来てもうた!いつの時代でも10年分戻したるから言うてみ」と言われたら、僕は多分研修医がスタートした24歳からを選ぶと思う。

 過去を悔やむでなく、未来を憂うでなく、その時だけに張り付いて生きていた時期です。この時に医者は僕の天職という感覚が培われた。何をしても面白かった信じられない時期で、僕はラッキーだったと思います。

 小雨の降る黄金色の空を見ながら、今から楽しいことが待ってる、ワクワク・・・と思いながら運転していた頃は、ひょっとすると再現可能じゃないのかしらね。

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おめでたい人ね、と言われるのはわかってるって

ディープ

 ディープ・インパクトは残念であった。トップに立ったのに抜き去られた時は気が抜けたなぁ。僕はファンでもなんでもないが、日本最強の馬と騎手が出場するのだ。勝ってほしかった。ヨーロッパのやつは違った人種と戦い慣れているからな。ディープ・インパクトは日本人じゃないが異人種と戦うアウェーでのメンタリティは日本人ぽいのかも知れぬ。

 それにしても日本人の観客が多かったが、気になる報道があった。出走馬とかを書いた競馬場でただでもらえるパンフレットのようなものが出走時間前からヤフーオークションに出ていて、それを知ってか知らずか日本人の間で奪い合いになり怒号さえ飛び交った。出走数時間前には一部もなくなり、それを見ていたフランス人は首をすくめていた云々。

 うーむ、どうもみっともないぞ。なんで我も我もとなるのかぃ。日本に貴族はおらず一般大衆しかいない。「大衆とは、自分が『みんなと同じ』だと感ずることに、いっこうに苦痛を覚えず、他人と自分が同一であると感じてかえっていい気持ちになる、そのような人々全部である。」とオルテガも言っておる。MacのThink Differentと真逆の精神だ。

 みんなと違う自分でいよう、あいつは変わっていると言われよう、マジョリティとは離れていよう、自分が自分でいればそうなるはずだ。

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この日は宮里藍も3着だった

池に写る月

 最近あまり疲れなくなった。以前は夜の外来が終わるとぐったりして、その後とても仕事のディスカッションなんかする気になれなかったが、この頃は不思議なくらい疲労感が無い。

 理由はわかっている。腹を立てなくなったからだ。立たなくなったのではない。自主的に、能動的に立てなくなったのだ。感情の揺れ動きほど疲れさせるものは無い。カテコラミン・ストームは人間を消耗させる。慢性疲労症候群の患者さんの尿中カテコラミン量は増加している。

 もちろん僕は神ではない。一瞬激怒の兆しがはしることもあるが、それをなだめる方法を身につけてしまった。感情はコントロールできないなんてよく言うがそんなことは無い。あなたが生理的に絶対だめ!と広言している禿の脂ぎったおじさんが、実は亡くなったお父さんを最後まで援助し励ましていた人だったというのを知った時、全く違った感情が湧き起こるはずだ。感情なんて実はもろいものなのである。

 人の気持ちを推し量ろうともせず、自分の権利だけを声高に主張する人々と会っても以前のように疲労することは無い(患者さんのことではないよ、念のため)。月が揺れもせず静かに写る池の水面を眺めているように、自分の気持ちを見つめているだけである。

 衰弱?進歩?お悟りになった?まさか。技術です。・・・しかし楽になったのは確かだな。

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タオの読みすぎか

1955

 安倍晋三氏が自民党総裁になった。おお、同年輩でないか。そういえばこんなやつはクラスにいたよなー。目立たなくてなんというか72点くらいで、育ちがよさそうでなんとなく気弱に笑っていた顔が印象的で・・・えっ、そんなすごい家の人だったの、やっぱり上品やしーという感じ。彼は血筋のよさと敵を作りにくい温厚さで昇ってきたのだろうが、DNAには昭和の妖怪と呼ばれたおじいちゃん岸信介氏が濃厚に入っているようで結構困ったチャンかもしれないぞ。

 1955年生まれは結構有名人が多くて黄金の世代らしい。僕は関係ないが個性的な人が多いぞ。ビル・ゲイツ、スティーブ・ジョブスの2大ITの帝王やケビン・コスナー、ブルース・ウィルスなんてのもそうだ。郷ひろみ、明石屋さんま、松山千春とかね。暦年齢、精神年齢、生物学的年齢はすべて別というのが常識だが、バックグラウンドは同じなので同じ年齢の人間は理解しやすいのは確か。

 バリバリだったり、すでに盛りを過ぎたりいろいろだが、今まで自分が生きてきた道とは大きく違う生き方を選ぼうとしている、少なくても考えている時期の世代のように感じます。

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憲法は変えんでも…

バカに見えても

 研究会で東京に来ています。電車で前にいる人々の顔を見る。みんな苦節何10年、耐えてきました・・・か、何で私がそんなことしなくちゃいけないのよ、つまんない!っていう顔をしているように見える。

 他人と接していないときの顔は無防備だ。ベースラインの顔がこれだと寂しいな。僕もそんな顔をしているのだろうか。

 子供も無防備な顔をしているときがあるが、不幸には見えない。思春期を迎えて、自我が目覚めだす頃から哀愁が漂いだす。

 人生とは重き荷を背負って歩むが如しだったっけ、家康が言ったとかいう記憶がある。確かじゃないけど。家康もこんな顔をしていたのかもしれない。

 「人生の目的は何ですか?」
 「遊ぶことです。」
 「仕事をすることではないのですか?」
 「僕にはわかりませんけど、あの炭鉱で1日中真っ黒になって働いている鉱夫さんに聞いてください」
  これは確か伊丹十三だったっけ。

 僕の人生の目的は遊ぶことではない(伊丹十三も違ったと思うけどね)。でもボーとしている時の顔は微笑んでいたい。バカに見えてもね。 

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理想

ナイキ フリー

 僕はお金のかからない人間である。物欲は阪神淡路大震災に被災してから消えうせた、というのは嘘だが半年ぐらいはほんとでした。でもあまり今でも何も買わないなぁ。本代が一番であとゴルフ代ぐらいか。

 ところが最近これは欲しいなぁーと思っていたのがあって、それはナイキのフリーというシリーズのスニーカーです。少しでも足の調子をよくするため最近フィンソールというフィンランド製の足底板を試しています。これがなかなかよく、出来れば患者さんにもお勧めしたいなと思っているのですが一般に普及しておらず、代理店契約を結ばなければならない。といってもこれがなかなか大変で…。そっちは検討中です。

 で、フィンソールをあわせてくれた理学療法士の人が勧めてくれたのがナイキフリーです。これは裸足の感覚に近いスニーカーというコンセプトで作られたもので、非常に生理的である。裸足を1、靴を履いた状態を10として、フリーは5(間ですね)というネーミングで作れられ、今年4(より裸足)が出ました。

 僕が近くの本屋さんをぶらぶらしていたところ、靴屋さんにナイキフリーが飾ってあるではないか!しかも5がバーゲンとなっている!これは買え!ということではないか?

 9000円くらいだったのでお買い得だなー。で、今気に入って履いています。軽量化のためメッシュを多用してあり、靴底もぐんにゃりと曲がるので破損しやすいとかあるみたいですが、次もこれを買おうと思うくらいお気に入りです。

 やっぱりナイキか・・・何が違うんだろう?

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僕のはグレーで黄色のソールです

グッド レスポンス!

 診察待合室が少し模様替えした。といっても気に入っている絵を複数枚かけただけなのだが。だがスタッフがうまくかけてくれたおかげで久しぶりに来た患者さんが「きれいになったんですねー」と言ってくれた。わずかのことでも印象が変わる。おお良かったなー。甲斐があるよ。

 大学で学生さんを相手に話している時、何が一番いやって反応が希薄な時ほどやる気のなくなることは無い。今はポリクリといって臨床実習の小グループが相手なのであまりそういうことはないが、大学勤務時に100人に対して講義室で授業を行っていたときは、笛吹けど踊らない相手に無力感に襲われ講義の出来が大いに左右された。といっても必ず聞いている学生はいるのでいい加減にはできないのだが。

 コンサートと同じで聴衆がノルと演者も相乗効果で盛り上がる。単にうなずいてもらうだけでもいい。笑ってもらえれば1000人力だ。自分が聞いている立場の時は意識しないがやってるほうはナーバスなのである。

 だからほんの少しのことにでも反応することはとても大事なのだ。レスポンスすること、それで社会は成り立っている。愛情の反対語は嫌悪でなく無視なのである。必ず返答を返すこと、思っていることを伝えること、それができてこそ大人でござるよ。

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実物はもっとビューティフル

泣く男

 どうも僕は高校生を主人公にした話がかなり好きらしいということに最近気がつきました。考えてみると昔から「キャチャー・イン・ザ・ライ」「赤頭巾ちゃん気をつけて」はフェバリトでしたが、この頃は「青春デンデケデケデケ」「ゴー」「翼よいつまでも」「800」「僕は勉強ができない」「放課後のラプソディ」「69」などなど(忘れてた、おぉ最高の「スラムダンク」!)、好きな本は結構高校ちっくです。なんでや?
 
 僕の高校時代が楽しくて戻りたいわけでは全然なく、むしろ恥ずかしさのあまり消してしまいたいこともいっぱいの時代だったのですが、でもやはりティーンエイジ独特の甘酸っぱいところがあったような気もする。最近高校時代の友人と会う機会が増えたのもみんな同じように感じているせいかもしれません。

 で、普段テレビを見ない僕も「高校生クイズ大会」を見てしまったのですが、驚いたのはみんなよく泣く!女の子はともかく男が泣く泣く。嬉しさで泣き、悔しくて泣き、男は泣いたらいかんという教育を受けた僕には新鮮でした。こんなもんなん、最近?そういえば「アエラ」にも男がよく泣くという記事があったなー、読まなかったけど。

 泣くのは感情を開放するのに大変よろしい。ストレスの開放度は怒ったり笑ったりするより上というデータがあります。みんな屈託無く感情を開放しているのだな。いいことです。日本の10代の殺人率は世界で最低ですが、50代のおっさんの殺人率は日本の中では一番高い。泣けへんからか?泣きたいこと1番多いはずですけど。

 人目を気にせず泣きましょう。「キモイ!」とか言われるのは容易に想像がつきますが平気平気。どんどん泣いて板につけば様になってきます。涙の似合う男になろーぜ。

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何で毎日こんな目に・・・

 

遊び人になりたい

 今日はお休み。やっほー!前日から嬉しくて眠れない、なんてことはすれっからしの中年男にはありません。しかしすれっからしであろうが、うぶであろうが、休みの日というのは何もしないでもやたら早く過ぎていくもんです。もう11時か・・・

 僕は昔から、1日中ごろごろしてたよーというのがないタイプで、何やかや出かけてしまう、なんというか貧乏性なんですね。でも思うんですが、遊びというのは難しい。植草甚一というモダンなカリスマみたいな爺さんがいましたが、彼は「遊びというのは頭を使わないと面白くないよ」と言ってました。

 仕事というのはある程度フレームワークが出来ている。問題が出されてそれに答えを書き込んでいくみたいなもので、ある意味簡単であります。しかし遊びは自分で問題を出していかなくてはならない。いかに魅力的な回答を引き出すか、問題の立て方に能力が問われるというもんです。

 ボーとしてても疲れは取れないもんで、疲れのほとんどは肉体的なものじゃなく精神的なものです。違ったことをすると休んでるより元気になる。中和しないといけない。仕事と違う頭を使う。これが遊びの正体ですね。だから遊びの上手な人は仕事も出来るのだと思います。めざせ!遊び人。

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こういう本もあるらしい