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ダイナー

 僕はブック・アディクトです。活字中毒。何でも好きですがやはり小説です。しかし何故我は小説を好むのか?

あまり考えたことない。好きだから、決まってるじゃん。

では小説の何が好きか?

 

 思うに話の面白い人を好きなように、その小説が語ってくれる話が僕の感情を楽しいにしろ切ないにしろ動かしてくれるから。その動くことが楽しい。日常生活のルーチンに変化をくれるから。時にその感情の動きは僕の生活態度を変えたり判断に影響を及ぼしたりする。

 

 「ダイナー」という本を読み見ました。殺し屋しか来ない妙なダイナーにウエイトレスとして勤めることになったオオバカナコさん(大馬鹿な娘、ね)は生き延びることが出来るのか?暗躍する組織の抗争、命がけの恋・・・というのが帯の台詞ですが、雑誌の書評でなんとなく感じるものがありネットで注文したのです。

 

 でだなー、これは本屋さんでパラパラしていたら絶対買わなかったな。凄惨すぎる。殺し屋は大体トラウマを抱えているからそういうことが出来るので、すっごい異常性格者オンパレードで、まあほとんどスプラッタです。好みじゃない。作者は平山夢明氏で、本谷有希子さんという人の推薦も帯に載っているのですが「平山さんの、人として間違ってるところが好きです」だもん。

 

 でも何冊か買って僕の好みの本もあったのですが、これを一番最初に読みました。なぜか引きつけられる。あまり好きじゃない強烈な性格の持ち主の話に何故か思わず聞き入っちゃうような。以前「神は銃弾」というアメリカのサスペンスがあってこれも非常に凄惨な話(カルト教団に娘をさらわれた父親の追跡劇)なのですが何故か全部読んでしまった。

 

 何故か?どうも思うに双方とも底辺には「愛」があるから、という気がする。説明すると長くなりそうなので省く。この「ダイナー」はクライマックスで、ぐっと来る台詞が出てきます(大体そういうのが無いと物語として成立しないか)。エピローグの、総てが終わって乾いた風がただ吹いているという、空虚だけどちょっと安心した感じも両方とも共通だ。

 

 「ダイナー」にはダイナーだけあって食べ物、特に売りはハンバーガー(究極の6倍、というやつ)、が登場するのですが、これはまあ信じられないくらいうまそうです。凄惨な、白、黒、グレー、血の色、という感じの話の中に食い物が出てくると、そこだけ突然カラフルで、暖かい湯気とおいしそうな香りが漂ってくる。素晴らしいです。作者はかなり食い物にうるさそうです。

 

 好みじゃないけどかなり僕の心をざわつかせた「ダイナー」でした。結論は「読んでよかった」。でも気の弱い人には全くお勧めしません。もうひとつの結論は「ネットでの本の注文はギャンブル、気をつけよう」だなー。 

 

 

バーガー、じゃなかった、ダイナー。

今年の「このミス」の7位くらいに入ってました。パチパチ。

ちなみに僕の愛する「ダブル・ジョーカー」は2位!ヒューヒュー!

 

タマリンドの木

 池澤夏樹氏「タマリンドの木」を読み返す。56年前だろうか、以前読んだ時にはあまり印象に残らなかった。書評の特集で恋愛小説の傑作との評があったのですごく期待して読んだのだが。

 

 なんとなく呼ぶものがあり読み返した。こんなはずじゃない、なにか間違えてるはずだ、という気があったんだろうな、きっと。で、ここ2日で読了した。すごく引き込まれた。

 

 池澤夏樹氏は僕の何人かのフェバリトの作家の一人である。

「真昼のプリニウス」は大好きな小説で、今年の夏にブログにも書いた。

http://www.ikeoka.net/blogs/soulcherish/?p=980

なぜ前に読んだとき、気に入らなかったかわかった。プリニウスと較べると、タマリンドはストーリーがかっちりし過ぎているのだ。起承転結があり、途中で先が読めるといえば読める。池澤夏樹氏の多くの作品は先が全く読めない。静謐な空気をたたえたまま美しくストーリーがすすむ。ある種、現代音楽のようともいえるのだが(全然退屈じゃないけど)、タマリンドは太いメロディのある民族音楽のようだ。そこに違和感があったんだな。

 

 NPOでカンボジア移民の世話をタイでやっている女性と日本で商社に勤める男性の話し。今読むと、この二人の感覚が本当によく判る。前は何を読んでいたんだろうと驚くくらいだ。

 

 障害は古典的恋愛小説において必須のものだが、その乗り越え方が現代的だ。素晴らしい。主人公の女性がやはり魅力的。好みはプリニウスの芳村頼子准教授だけどね。Too cool!!

 

 これだけ印象が変わると今まで何を読んでたんだろうという気になる。暫くは池澤夏樹氏の作品を読み返すことになりそうだ。まずは「マシアス・ギリの失脚」からか。

 

文春文庫です。読んでね。

 

 

ダブル・ジョーカー

東京から帰ってくると関西の蒸し暑いのに驚いた。うーむ、だいぶ違うぞ。

PCの前に座っていても、入ってくる風が違う。なんかエキゾチックな感じさえしてきた。

 

エキゾチックといえば「ダブル・ジョーカー」を最近読んだ。僕より10歳以上下の柳広司氏の書いた第2次大戦前、帝国陸軍の中に作られたスパイ組織「D機関」の物語。若い彼がこの時代を選ぶのが興味深い。前作の「ジョーカー・ゲーム」は本屋大賞2位に選ばれていたが面白いの何の、カッコいいのなんの。そしてこの続編も期待を裏切らない。

 

ジョーカーは悪い意味もあるが、異端でありながら負けることの無い最強という意味もある。D機関と創立者の結城中佐のことだね。その時代の常識を超えた感覚で選ばれたスパイたちが活躍するのだが、短編2冊で10話ほど、駄作無しである。

 

そして舞台が世界中であり、エキゾチックなのである。古い外国、背筋の伸びた端正な顔の日本人、鉄の意志、クレバーすぎる、そしてびっくりする展開。

 

カッコよすぎる。特に亡霊のように決め所に現れる結城中佐はなんとかせえよっ!って感じね。もし映画化されるとすると誰がいいかな。山崎努?もう少し若ければ。

 

ストーリーは言えない。是非お読みを。

 

テレビなんか止めてさ。

 

きのうの神様

 「きのうの神様」を読む。「ディア・ドクター」の西川美和監督が書いた、今年の直木賞候補にもなった(残念ながら取れなかったけど)短編集。「ディア・ドクター」に出てくるキャラクターが登場するということで興味を惹かれて読んだ。

 

 うーん。なんて才能なんだろうと思う。彼女は自分でも、脚本とか撮ることより書くことに興味を覚えるとインタビューで語っていたが、本当にプロの仕事である。

 

 どの話も登場人物、シチュエーションが医療関係であるのだが、そのリアリティには驚嘆する。医者を主人公にしたドラマ、小説は多いのだが、どれを読んでもまあ作り物、脚色があるというのは暗黙の了解事項だが、ここに出てくる人たちの行動、感情に違和感を覚える医者はまずいないだろう。

 

 「ディア・ドクター」でも感じたが、ここには念入りに取材され理解された上での(いろいろな立場での)医療関係者の現実の気持ちがありのままにある。もうこんなことはないよなぁ、という細かいところも12箇所ないではないがノープロブレム。本当に共感してしまった。

 

 映画に続き医療関係者必読。ほろ苦く深みのある真実の味。

 

読むべし

 

 

 

  

漢方、そしてプリニウス

 今日の日曜日は半日、漢方医学のセミナーにでる。漢方の著明な先生のお話を聞く機会が最近多いが、かなり個人により捉え方が違い、興味深い。共通していることは病気でなく個人を診るというオーダーメイド医療の観点か。これからの医療にも、僕個人としても極めたい必須の分野と思う。

 

 お昼にお弁当が席に配られた。あるドクターはずーと席をはずしていたが、あと午後の部開始まで5分というときに戻ってきて弁当がないのに気づき(いないと思って配られなかったのです)、間に合わない、なってないと激怒。関係者があやまるは、ちょっと小さな騒ぎとなる。しかしこれは君、えらそうに怒ることじゃないだろう。患者さんを治す前に君の性格をまず直すべき。

 

 帰ってきてから池澤夏樹氏の「真昼のプリニウス」を読む。この、僕が池澤氏の小説にのめり込むきっかけとなった小説を、しばらく前から再読しはじめていたのだ。芳村頼子という女性の火山学者(大学理学部助教授、今だったら准教授か、という設定)が主人公の、なんというのでしょう、僕の好みから数ミリもずれていない小説。4分の3残っていたが、レセプトのチェックがあるなぁーと気にしながらも読みきる。

 

 これは簡単にストーリーをなぞれる話ではない。この「世界」について、対し方について語る小説。前読んだときは少し判らないところがあったのだが、今日は得心して読む。素晴らしさのあまり絶句。そして小説はやっぱり主人公の魅力が大きい。プリニウスはローマ時代の博物学者で火山を調べにいき近づきすぎて死ぬ。芳村先生も世界の真実を確かめに・・・

 

 池澤氏の主人公はみんな理系でクールである。自立していて勇気がある。そしてやっぱりこの小説が一番好きかもしれないな。これからも何度も読み返すだろう。世界の感じ方が変わるのだ、僕の場合。下らん奴には読んで欲しくない。

 

 

 

35歳より上ね。

先週の日曜日にパワーリハビリテーションのセミナーをやったのだが、それからもう1週間がたってしまった。何をしていたんだろう?僕がブログを書くのは風呂上り、頭が乾くまでの間というのが多いのだが、帰ってきて夕食をとり、入浴したらすでに翌日でしたというときはさすがに書けない。そんな1週間だったのだろうか。予定表を見ても、漢方の勉強会に行った、友人の個展に行った、大学病院時代の実験グループ恒例飲み会があった、ぐらいなんだかなぁ。まぁ十分か。

 

覚えている確かな事実が一つ。Amazonから届いた本をその日ずっと読んでいたのだ。それは「マーシャル・マクルーハン広告代理店。ディスクガイド200枚。小西康陽。」である。後輩のalfesta、あっくんのブログhttp://brokenstones.blog68.fc2.com/blog-entry-19.htmlで知り、小躍りして注文した。期待にたがわずであった。

 

なんとカッコいいのだろう。僕は彼の文章もだが、作る本の装丁やレイアウト、全てつぼにはまっているのである。大体このタイトルの広告代理店ってなんだ?同じタイトルのディスクが紹介されているのだが全く言及なし。

 

「・・・そもそもディスクガイド本を買う人間に音楽がわかるはずがない。・・・本書はディスクガイドの形を借りて書いた自伝であり、未だ作られていないソロ・アルバムの企画書であり、理想の女性に向けて綴った求愛の書である。」というのが裏表紙のコピーね。「1974年以降の音楽に聴くべき価値などない。同じく1974年以降に生まれた女性にも興味を失った。」!!!?

 

セロニアス・モンクの音楽のイメージを「とても美しい顔をした少年が微笑むと、前歯が2本欠けている。」「・・・この人の曲を演奏するのが大編成であればあるほどユーモラスな部分も増幅されていく。」・・・するどいなぁ。

 

まぁ知っているのは半分もなかった。マッカートニーの「ラム」(意外!)、「パリのめぐり逢い」のサントラという、僕も偏愛するディスクがあげてあったのは嬉しかったけど。奥さんの長谷部社長もブログで書いているが、好きなアーティストは重なるがあげているディスクは違う、というのが僕も結構ありました。屈折してるんじゃなぃ・・・って感じますけど、この嗜好には興味があります。

 

「好きな本と音楽があれば人間は一人じゃない」そうですが、両方あわさっているこれは、今までの彼の本3冊に加えて僕の永遠のヘビーローテーションになりそうです。加えて実用的だし。

 

 

      

世界を開くパスワード

「痴呆老人は何を見ているか」を読む。東大教授であった大井玄先生の2008年刊行の新書なんですが、1年で12刷となっている。

 

確かにいい本である。学術的にすごい知見を示すという本ではなくて、認知症(この語句に大井先生は異議をとなえられていて、あえて使っておられません)のご老人の心の中をいろいろな観点から想像されていて説得力がある。何よりも感銘したのはその優しさである。

 

サイエンティストの眼でありながら、宗教者のハートである。所々にアメリカのブッシュ前大統領に対する批判が止むに止まれず出てくる、っていうのもあって、熱き心の人なんだなと思う。

 

単に認知症にとどまらず脳のメカニズムも考えさせてくれる(今平行して読んでいる池谷裕二先生の「単純な脳、複雑な私」にも重なるところがある。これもすごく、というか革命的に素晴らしい本だと思います)など、読んで損しません、関係者は是非ご一読を。

 

その中で印象に残った言葉に「世界を開くパスワード」というのがあります。コミュニケーションのとれないご老人でも、その方が大切にしてきた思い出に関係する一言、それが見つかれば一気に関係は改善する。その方の拠り所、それは誇らしい経歴かもしれないし、実は大好きだった俳句かもしれない、それを口にすることで今まで不機嫌で暴れていた方の動きがぴたりと止まる。介護スタッフなら経験のあることだと思います。

 

これは認知症のご老人に限らない、すべての人とのコミュニケーションにあてはまることだと思う。

 

あの人の悪口を言ってないで「世界を開くパスワード」を捜せ!

開け、ゴマ!

 

コストパフォーマンス高し

夜は短し、はやく本読めよ。

面白い本は案外少ない。そして本というのは案外すぐ手に入れられなくなるもので、いいなと思ったときにすぐ手に入れておかないと、そのまま探す手間を惜しんでいるうちに忘却の彼方に消えさってしまい、じつは人生を変えたかもしれない本を読むことは永遠に無くなってしまうのである。

 

というわけで読みたいと思った本は買うのだが、お約束の、時間が無い!というわけで読まれない本がどんどんたまっていくということになる。老後の楽しみ、とばかり言っていられない。最近は寸暇を惜しんで、とまではいかぬが割りとまめに「余生のためブックス」から抜き出して読む。

 

するとこいつはいいや、なぜ読まなかったのだろうという掘り出し物にあたる。この頃のヒットは森見 登美彦氏である。「夜は短し歩けよ乙女」。魅力的なタイトルだ。本屋大賞の2位なんかにも選ばれたりしている。

 

京都を舞台にした大学生のどたばたラブロマンスというか、青春活劇というか、かなりシュール。主役は京都という町そのものかもしれぬ。

 

文章は相当個性的で入り込みにくい人もいるかもしれないが、馴染めば非常によく考えられた文である。言い回しの面白さはなかなかのもので、そのまま拝借したいフレーズが随所にある。

 

しかしここに出てくる京都は本当にリアリティがあるなぁ。昔京都出身のガールフレンドがいたせいで結構よく京都に行っていた。その頃の僕と主人公の年齢が近いせいか舞台も何もかもほとんど同一視してしまいそうだ。夏の夜のむっとした風の匂いをありありと思い出す。祇園囃子のコンチキチンが響くのである(本にはそんなベタなシーンは出てきませんが)。

 

京都という街は面妖である。あの情緒、歴史の古さと学生の街という若さの共存・・・色気あるなぁ。そんな言葉を使いたくなる街は日本中で京都だけだ。是非一度住んでみたい街候補ナンバー1である。伝統の中にビンビンの生きのいいフレッシュがつまってる感じね。

 

この本は絶対に予想できない奇妙奇天烈なストーリー展開で、そんな京都の魔の部分を見せてくれる。これからのシーズン、必読であるね。

ステレオタイプの選択 

 

 

レディメイド

 長谷部千彩さんの本を2冊立て続けに読む。「有閑マドモワゼル」「レディメイド*はせべ社長のひみつダイアリー」。2冊とも中古で購入し、大半をバスルームで読破。

 

 誰ですか、それ?という人も多かろう。小西康陽氏(ピチカートファイブだよ)のマネージャーであり現夫人(多分まだ)で、レディメイドエンタテイメント代表取締役。ものすごーく美人そう(顔は知らない)、ものすごくおしゃれだが、日記を読む限りチャンバラ映画を愛し、人付き合いがめんどくさそうなオヤジっぽい女性。PCを自分で組み立ててしまうメカマニアというのもすごい。ミスマッチ。

 

 2冊ともすごく面白かった。僕が個人的には今一番文章がうまいと思っている小西康陽氏と共通するのだが、構えてない。小西氏なんて「僕はこれらの文章を金のために書いた」とか「容貌へのコンプレックスが僕を音楽に向かわせた」なんて平気で書く。でも自然体でセンスがいいのだ。この二人のセンスのよさは間違いなく他人に見せるためではなく(他人なんて意識してない、はなから。わかると思うけど)、自分のしたいことだけにフォーカスをきっちり合わせていることから出てくるように思う。医学論文で実にエレガントな実験で魅力的な結論を導き出しているような、すっと鼻筋の通った感じ。参りましたと僕のような過剰な不純物が多い人間は思う。

 

自分の嗜好をつなぎ合わせていくとこのようになった。なぜかなんてそんな説明は出来ない。こうだからこう。潔い。僕は理屈、理論の世界に生きているので(「ああだから、こうなります。だからそうしましょう」)気持ちがいい。

 

僕はもとよりピチカートマニアだが、彼女の作ったレディメイド・エンターテイメントのCDを聴きたくなった。夏木マリさんとかムッシュかまやつ氏とかあり。だいたいレディメイドって既製服ってことですが、この命名からしてやると思わない?

 

.. 彼女が社員を叱る台詞。「30過ぎたらもうおばちゃんでしょ、評価されることは仕事が出来るかどうかだけでしょ、ちょっとぐらい可愛くたって若い娘にはかなわないんだからさ、もうそういう次元のことはあきらめて本気でやってね」

・・・こういうことは言えません。だいたいうちの職場は30代の女子部がエンジンで動いとります。今日も外来が終わってから遅くまで若い身空で数人が頑張っていました。偉い、有難う・・・

 

うーむ。

養生訓!?

 インフルエンザ、年末進行で外来が忙しく、忘年会とかもあってブログを書く気力がでまへんでした。眠いんだもん。しかし本はよく読んだ。どういうわけか非常に読書熱が高まる時があり、アウトプットは出来ないがインプットはやたら入りやすい時期だったようだ。

 

 3日で1冊くらいのペースで読んでいたのだが、前に書いた「奇跡のリンゴ」とかなかなか印象に残る本が多かった。で、今は「養生訓」であります。貝原益軒だよ。どーしたん。

 

 江戸時代の本が有益か?という気がしたが、人間はそんなに変わっていなくて、むしろ変に修飾されない昔の方が注意深く人間を観察していたのではと考えて読むことにした。抗加齢医学関連でも「養生訓」は引用されていることも多いので。

 

 貝原益軒先生は84歳で亡くなった。長命である。これは83歳の時の書で、彼はその時でも虫歯が一本も無くバリバリ噛んでいたそうである。22歳年下の奥さんが亡くなってから翌年に後を追うように彼も。ロマンチストだな、益軒。

 

 彼は人間100歳までは生きれるのに、みんな身体の事はかまわず、欲望の赴くままに生きて食べ過ぎ、飲み過ぎ、悩みすぎで死ぬのじゃ!もっと身体のことを手入れせよ!養生術を学ばなアカンのじゃ!と看破している。病気になる前の予防が一番とも言っている。イヤー、何もかももっともで、やっぱり人間変わってないなと思う。それよりもこんな正論がなぜもっと普及しなかったのか、そのほうが不思議だ。いまだに分かってない人ばかりだもんね。

 

 元気になろうと思ってむやみに補剤ばかり飲むのはかえって身体に悪い、ちゃんと選べと書いてある。サプリじゃん、これーと思う。心は身体の主人であるとも書いてある。精神が身体をドライブすると、確か前、俺書いてなかったっけ、と思う。

 

 いや、恐ろしいくらい今と同じであります。①身体を動かせ、死ぬまで働け ②食べ過ぎ、飲み過ぎ、寝すぎはダメ ③悩むな、完璧主義者になるな ④寒さや暑さ、風邪など外的な因子は慎重に避けるべし ⑤心の楽しみを見つけるべし。

 

 いやー、どうよ。83歳の時に書いたというのも素晴らしい気力であります。伊能忠敬も70歳代で日本地図を作り始めたのだっけ。こういうスーパー高齢者が結構いたのだ。いや、今でも沢山いると思います。なにか高齢社会になると社会全体が落ち目になるようなことをマスコミは言うがそんなことは絶対ない。むしろ成熟した大人の社会を作るいいチャンスじゃないかね。インフルエンザにしても不況にしても煽ってどうすんだ!と怒りさえ感じます。

 

いずれにしろ温故知新、古典を訪ねるのは非常に有益であります。しばらくそっちでいってみたい。総ては書かれているのだ。

 

これで読んでいます(ウソ)