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奇跡の人間

本を1冊読了。「奇跡の林檎」・・・一部では結構有名な本で9版となっている。NHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」で無農薬の林檎を作り出した木村明則氏の放送が大変評判になり、このまま消えてしまうのはあまりにも惜しいということで本となった。

 

数時間で読めてしまうが、僕に取って非常に示唆に富む本となった。

 

彼の人間業とは思えない努力・・・なんせ30年もかかっているのだ、しかもその間の自己、家族の犠牲はすごい・・・人間バカになってひとつのことをやり続ければ必ず実るというのがテーマの一つではあるのだがもっと多くの内容を含む。

 

僕に取って大変印象に残ったのは、自然はそれ自体でバランスを取っており、害虫、病気が出たら農薬、じゃなく、本来の元気があればそれを防ぐことが出来る、その本来の活力をどのように取り戻すというのがキモであったというところである。

 

これは人間相手の僕の診療にもつながることである。僕は内科医であり薬を出すことがメインの仕事であることは間違いないのだが、時々この人はここまで飲まなくてもいいんじゃないかと思う患者さんにあうことがある。薬を極力減らすが症状の増悪が見られることはあまりない。

 

化学製品である薬じゃなくて自然のサプリ、そして規則正しく運動すること、食生活を改善すること、良い睡眠を取ること、禁煙など改善方法はいくらでもある。特にメンタルな領域を変えていくことが、林檎でいうと太く長い根っこを作ることになるんじゃないかと思う。

 

奇跡の林檎じゃなく奇跡の人間を作る手助けをすること、その方法について一杯アイデアが涌いてきた。僕に取って本当に有益な本だったのである。

 

本と関係ないけど今日の空。視界良好。

自分のスタイル

 この忙しいのに、土曜日の午後2時から7時、日曜日の朝9時から午後6時まで座りっぱなしで講義を受けた。「健康スポーツ医」(そういうのがあるのである)の資格取得のため仕方ないのである。休憩はお昼の40分だけで、全くエコノミークラス症候群になりそうだったわい・・・ブツブツ。

 

 大阪府医師会館の小さなシートに座り、出前のお弁当を食べながら持っていった伊丹十三氏の「ヨーロッパ退屈日記」を読む。僕のティーンエイジの時の人生の教科書は彼の「女たちよ!」であった。そこで僕はスパゲッティを食べるとき、フォークに巻くのにスプーンを使う場合もあるが南部(北部だったっけ)イタリアではやらないとか、イギリス人の正統的な歩き方は膝を曲げないとか、得がたい知識を学んだのである。すごく好きなガールフレンドと電話で話すときはどのような姿勢で話すかという素晴らしい知恵も学んだ。・・・優雅だなぁ。

 

 まぁ言ってみればどうでもいいような、ある種の人々には全く意味のない本であろう。でも僕は人生のスタイルを学んだのである。今の僕の奥深いところにあるセンスはかなりこの本によるところが大きい。

 

 「ヨーロッパ退屈日記」は彼の処女作であり、「女たちよ!」より評価が高い。が、僕はあんまりピンと来なかったので1度読んだきりであった。「女たちよ!」は100回位読んでるけど。で、僕も年を重ね、今読むと印象が違うかなとこの前文庫本を買ったのである。

 

 面白い。「女たちよ!」にあったと勘違いしている文章もあったな。基本的にこの2冊は兄弟である。底に流れるクラシカルな優雅さ、頑固なスタイルは以前のように手放しで感心しないが(かなり嫌味でもある、無理してる感じもある)、でもある種のスタイル(これは人生に対する態度のことである)を得たいと学習している著者は、なんでも事たれりとだらけている、そこらへんに居るおっちゃんたちとはだいぶ違う。

 

 彼がこれを書いたときは20代後半だったのである!その事実に愕然とする。文庫本になるときに付け加えた後書きで、「青臭さに恥ずかしさが先に立つと」書いているが、そのときでも41歳である。大人である、今の僕よりもはるかに。

 

 人生の目的は自分のスタイルを持つことである、とタキ(知らないでしょう?)が書いていた。あまりさえない医者たちが沢山たむろしているロビーを見ながら「スタイルが無い」と僕は呟く。「勿論僕も。これではいかん・・・」

 

 

 

Try it !

 

 

リアル

 

引越しでクリニックの整理をしていると、「リアル」の第4巻が出てきた。ここにあったのかい・・・。捜してたんだよ。でもよかった。

 

「リアル」は「スラムダンク」の井上雄彦氏が描く車椅子バスケットがテーマのコミックである。週刊誌に不定期連載されていて、かなり間隔を置いてまとめて1巻として出版される。いままで7巻まで出ているのかな。見つけるとすぐ買う。

 

僕はあまり漫画を読まない。しかしすごく好きなコミックスは今まで何冊かあった。高校生の時、真崎守氏の「ジロがゆく」、そして宮谷一彦氏の「俺たちの季節」「ジャンピンジャックフラッシュ」は何度読み返したか判らない。二人ともすごく才能のあった人だがいつの間にか書かなくなってしまった。宮谷一彦氏は海外在住でネットで作品を送られているそうだが僕はそこまでコアなファンではない。

 

今の僕にとって最高は「スラムダンク」。そしてこの「リアル」である。

井上雄彦氏は絵もすばらしいが(「バガボンド」は毛筆で描いていて、今彼以上に描ける日本画家は現在日本にいないとさる大家が述べられているのを読んだことがある)、その台詞は傑出している。

 

20歳で死ぬと判っている難病(筋萎縮性側索硬化症?)に罹患している少年に車椅子バスケットを誘われた主人公(彼は100m走の選手で全日本的に早い中学生だったのだが骨肉腫のため足を切断し生きる目的が判らなくなっている)は、彼に何故死ぬとわかっているのにそんなに強いのだと、こんなことを訊いてもいいのかと自問しながらも尋ねる。

 

戸川君、ジェットコースーターに乗ったことある?

あれって実際乗ってる時間はほんの何分かでしょう?だからってあれに乗っている最中に、後何分しかない、後何秒で終わっちゃうってそんなことばかり考えていたら何のために乗ったかわかんないよね。

何のために生まれてきたかわかんないじゃん。

そんなヒマないよ。

 

主人公、戸川清春がはじめて車椅子バスケ用のチューンされた車椅子に乗るシーン、心の中で「僕は また スポーツができるかな」と静かに思うシーンで不覚にも眼が潤むのである。自分でも驚く。僕の涙腺を弛ませる文学作品はあんまりあったことない。

 

「スラムダンク」も何回読んでもうっ、とくるのである。老化とは思いたくねぇ。むしろこれは僕の感受性の測定器みたいなものだ。  

ジジイになっても読むぞ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                          

 

 

 

 

酔郷譚

引越しで夜遅くなり、早く寝ようと思いながらもつい倉橋由美子氏の遺作「酔郷譚」を手に取ると、つい最後まで読んでしまう。短編集だが、最後の2編くらいになると時計を気にしながら「ああ、もういいや」と。

独特だ・・・なんでこんなことが考えられるのだろう。これは酒会社が広報として出している雑誌に連載されたもので、お酒がテーマになっているが、桂子さん、入江氏、九鬼さん、そして慧君とオールスター戦みたいなものである。いずれも他の作品に何度も登場している、彼女の読者であればご存知のグッド・キャラクターばかりだ。

彼女の本を読んだのは「交歓」が最初であった。びっくり!こんな本があったのか。桂子さんが主人公であるが(いわゆる桂子さんシリーズである)、あまりの教養の高さについていけず。しかも上品に艶かしく、今まで僕が読んだことの無い異次元の感覚であった。

それからはよく読んでいるぞー。ともかく微妙にエロチック、イマジネイティブ。高度に教養主義、高貴。基本的に「酔郷譚」もそうだが生と死の世界を平気でいったりきたりしている人たちなのだ。

「酔郷譚」のなかの「黒い雨の夜」では男も女も無くなってしまうぞ。なんなんだこれ、と思うも、想像力にニコニコしてしまう。これがこの本では一番好きだな、今のところ。

酒を飲むよりずっといい気持ちにさせてくれる。みんなにお勧めは出来ないが、好きな人はマニアになってしまう、そんな人です。貴重だ。お亡くなりになられて本当に残念。もっと老年になられるともっともっと凄みのある世界を表現されたのではないだろうか。

 この絵のイメージね

タオ、アイ ラブ。

病院勤めの時、一番いやだったのが外来の日だった。これは実は勤務医がみんな思っていることじゃないかと思う。なぜかと言うと疲れるからだ。

あまりご機嫌とはいえない人が次から次へと現れる。しかもその内何パーセントかは確実に難題を持ってくる。何であろうとともかく一応の解決策を示さなければならない。しかも円満なコミュニケーションを図りながら。自分の能力に時にうんざりしながらも。

開業して10年、週に5日は外来をしているからさすがに習熟が見られるが、それでもね、あるよ。特に午睡も取れなかった午後診のポテンシャルは低下が著しい。頭の回転は16回転のLP(絶対分からんな、この比喩は)さながらで、苦労して回すから疲労困憊である。

今日の外来は冬モードでやたら混み、午後2時に終わって往診、来客がありそのまま午後診へ。8時に終わって業務連絡をし、9時過ぎに本部を出るとシャワーを浴びて寝たいという気持ちだけだが、勿論そういうわけにはいかない。

そんな時、僕は「タオ」を読む。この加島祥造氏が大胆に口語訳された老子全81章は、引越し数回の洗礼を受けても生き残った数冊の本の中の1冊である。

「まっ、そう肩に力入れんなよ、気楽に気楽に」2500年前の賢者が僕にそう語りかける。僕は何も言えず眠りにつこうと横たわるのだ。

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read it !

僕の穏やかでもなくラジカルでもない日常

忙しいのに結構本を読んでいる。ということは当然何かが犠牲になっているはずで、どうもそれはつまるところ僕がしなくてはならない大嫌いな書類関係のルーティンワークである。僕が嫌いでもそれを必要としている人はいるはずで、そのような方々にご迷惑をかけていると思うと恐縮するあまり狭心症が起こりそうになるのだが、それでも平然と手をつけないのは二重人格かもしれない。

こらまた地味な本を読んでしまったなぁ。
「クン氏のおだやかでラジカルな日常」松本東洋氏著。河出文庫。1997年初版。買ったのは何年位前かなぁ。10年は経っている気がするから、出版されてから結構すぐに買ったのだろう。その頃はネットよりもちゃんと本屋さんに行って、パラパラと内容を見て買っていたから、それなりに外れの本は少ない。でも全部読まなかった。気になるんだけど進むだけの魅力が感じられず、他の本がもっと面白かったのだろう。

最近、昔買って読んでいなかった本は実はアタリのことが多いというのがわかり(理屈を考えれば当たり前だ、気になって買ったんだから。読まなかったのは色々な事情によるだろう)本棚からアト・ランダムに抜き出して読んでいる。

この本は今でもよく出版されている、ちょっと哲学かかった、フツーの人にやさしく人生を考え直すきっかけを与えるという感じの本であります。クン氏(ひょっとしたら君子なのか?)というフリーターみたいなおっちゃんがいて、そこを訪ねる様々な悩み多き人とのちょっとした会話が収録されているのですが、今読んでみるとなかなか鋭いことを言っとると感心しました。

ものすごく単純に言うと、自分は自分、人は人。比較が諸悪の根源であり、そもそも「自分」と「世界」は実は一緒のものなのだよ、ということです。色即是空 空即是色だったのです。

けっこうすっきりするものがありました。僕が感じたり考えたりしていることの流れが綺麗になったと思います。よかった。

だから本を読むのは止められない。しかしそろそろやらんとなぁー。追い込まれないとルーチンに手がつけられない(わざとそこへ持っていっているところもある)この性格は何を読めば治るのでしょうか?

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しかし冴えんな

スカイ・クロラ

うーん、思わず呻るなぁ。

最近読んでいたのが「スカイ・クロラ」です。押井守監督がこの夏映画化して、ベネチア映画祭にも出品されていたので一部では話題になっていた。僕はこの森博嗣氏の原作をどういうわけか(全く動機が思い出せない)アマゾンの中古でかなり前に買っていて、読みかけたのですがイメージと違っていた感が少しあってそのまま積読になっていました。

これまたなんでかよく判らないのですが、突然読み出して(まさに神の啓示であろうか)、本日読了。眠る前に30分くらいずつ読んでいたのですが、文章を読むことの至福感を感じ、すごいいい気持ちになって眠ることが出来ました。

ストーリーを書くのはちょっと面倒。ジャンルはSFですが、フレッシュ、流線型の銀色のメタル、ドライ、草の甘い匂い、青空の圧倒的な透明感、妥協のない言葉、なんてイメージです。

読んでいてすごい飛行機マニアだなと思ったのですが、後で森博嗣氏のプロフィールが気になってちょっと調べてみました。マニアックな人(特に動くものに関して)であるというのは間違いなかったのですが、その独特の個性は次の記述からも明らかでしょう。

12年前に国立大学の工学部助教授として「粘塑性流体の数値解析手法」の研究を続ける傍ら、小説執筆を開始。常に執筆活動を「ビジネスとしてやっているだけにすぎない」というスタンスをとっており、数年後に小説執筆をやめる、と自身のブログで発言している。2008年12月には、自身のブログであるMORI LOG ACADEMY終了時に自らの作家としての進退について何らかの発表をする可能性を示唆している。「今確実なことは、いつまでも続けるつもりではないこと、今後は少しずつ表に出る機会を減らし、人知れず地味に静かに消えたいと願っている」

彼はいろんな分野において多作であり、僕のイメージはエネルギッシュな流行作家だったのですが意外・・・。「スカイ・クロラ」の登場人物はそろって無口ですが、ご本人もそうなのかなーと思わせます。かなり興味深い人物であることは間違いなく、そのこだわりの深さは例えば・・・
英語のカタカナ表記において長音の省略が見られるが、これは工学分野ではJIS規格(Z 8301)にのっとり三文字以上の言葉の長音記号は省略するのが慣習的である為であり、その慣習を知らない層がファッション的な意図と見なしているのは正しくない。コンピュータ等一部の語のみ長音記号を省略する小説家よりは整合的ともいえるが、この慣習を徹底して小説に持ち込んだ先例は見られないため、ファッションうんぬんはともかく強い意志にもとづいているとは言い得る。また、森独自のルールとして子音+yで終わる言葉には「ィ」を用いている。(例 mystery→ミステリィ)
どう?確かに伸ばさないほうが英語の本来の語感に近い。語感にはかなり敏感なようで、登場人物の名前は日本語のような、そうじゃないような、独特の感覚。また食事は1日1食だそうです。そんな彼が自分自身の代表作として上げているのが、この「スカイ・クロラ」シリーズです。

僕がこの「スカイ・クロラ」でうけた一番大きな衝撃は、主人公たちが死なない人間であり、そのことに苦しんでいることでした。これは医学に関係するものとしてとても関心のある大切なテーマです。どう生きるかということにつながってくるのですが、みんなも考えてみてね。

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あっ、散花がとんでる(ウソ)!プラモ欲しい(重症)。

パプリカ

 あぁ、えらい小説を読んでしまった。筒井康隆氏の「パプリカ」です。文庫本の480ページ、終わるのが惜しい。ものすごーく好みです。大好きコレクションが増えて嬉しい。

 実は筒井康隆氏は高校生時代すごくファンだった。彼の代表作というのでもないのだが「俗物図鑑」というのがすごく好きで(俗物評論家が集まって梁山泊みたいなプロダクションを作って…とかいう、後半はお得意の大スラップスティックになる)、相当彼の本を読んだ。ヤクザ(奇妙な)の世界を描いた「男たちのかいた絵」とか、スターウォーズの原型みたいな、遥か昔の銀河系世界の物語「旅のラゴス」とか、大傑作!!という感じで興奮したのを今でも覚えている。

 一時休筆宣言をした(パプリカを書いた直後だったようだ)とかあって、すっかり彼の本からはご無沙汰であった。でも偶然「パプリカ」いいんじゃないというのをどこかでチラッと読んで、なんとなく嗅覚が働き何年ぶりかで読んだ。

 夢は精神分析で使われるが、主人公の女性は精神科のドクターで、同僚と夢をビジュアルに他人が見ることのできる機械を開発して、それを用い治療に使っている。実はそれを用いると、他人の夢の中に入っていくことが出来るのだ…というのが前ふりですが、この女性がすごくいいです。まいりました。

 解説は斉藤美奈子氏が書いているが、さすがである。そこで彼女は主人公を「おじさんの妄想の産物?」みたいなことを書いていて(もっと複雑なのだが)、そうだったのか・・・と言い当てられたような気がしました。確かに男性は全員アウト!な感じだと思います。

 昔、庄司薫氏の「さよなら怪傑黒頭巾」という小説に出てくるアコという女の子に僕も含め僕の回りの友人全員やられたのを思い出しました。

 ま、話はそう簡単ではなく、かなり複雑といえば複雑で(総てダブルバインド)、独特のイメージの世界満載。終盤スラップスティック、大ホラーですが、エンディング、かなり静謐です。傑作です。美しい音楽のようです。

 アニメとして2年前公開されており(知ってた?)DVDもあるようです。かなり悪くないが原作には及ばん、というのが大方の評価みたいです。見たいような、見たくないような。あるく君、見た?

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うーむ(ほとんど見る気に…)

 

 
  

ウエン・アイム・95

 藤田田という経営者がいました。日本マクドナルドの創設者で、一部にカリスマ的な人気のある人ですが、彼は経営のきもは「清潔!綺麗でなかったら人もお金もけえへんで!」だそうです。マクドナルドのことを言ってるのではありません。身だしなみとか話し方とか、生活総てにおいて。

 個人的に大いに共感し、本が散乱している部屋を片付ける。と、渡部昇一氏の「95歳へ!」という本が出てくる。前読んだな、と思ってパラパラすると、あら不思議、全く記憶になかったのですが、すごくいいことが書いてあるじゃあーりませんか。

 渡部昇一氏は77歳ですが、なぜ95歳かというと、95歳くらいになるとまさに枯れ木がゆっくりと倒れていくように、死の時も苦しむことが非常に少ないからだと言っています。

 うん、そうかもしれない。

 渡部昇一氏は非常に著名な学者ですが、95歳まで生きるためにどのような生活をおくればいいか、自分で納得して実践している話を書かれていて僕にはとっても説得力がありました。いろいろこういう系統の本を読んでいるとほほ現在のところ確かなところはこれだろうと思っていることがありますが、彼の話はドン・ピシャ!でした。

 そのひとつ。大人になると真剣に多量のものを記憶する、という機会がまず無くなります。しかし実は記憶力を鍛えることは脳の活性化に非常に大切なことで、しかもこれはかなり高齢になっても十分可能なのです。

 渡部氏はラテン語を勉強しようと例文(新英和大辞典の巻末に付録についてるやつ250句から、というのが泣かせる)を覚えることをされています。それからどんどん量を増やしていき、時間が無いからと大学に通うのにわざわざタクシーにしてその中で覚える(家庭教師を雇うことを考えたら安い、との事)という熱心さです。

 そして出来るだけ音読する。これも脳のメカニズムから非常に合理的です。ラテン語を覚えてから、全然関係のない漢詩とか、若い時に覚えられなかったのが簡単に覚えられるようになって記憶力が増しているのが実感できたとの事。うーん、勉強になるなぁ。

 学生の時は20年くらい先の自分の人生を考えた。今でも20年くらい先を考えよ!だそうです・・・

 やはり「清潔にすること」は役に立ったな、と実感しますた。

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簡単に読め有益である

サウスバウンド

 連休も後半だそうである。こうはーん!?どこが前半だよ!?と毒づきたくもなる、暦どおりの生活ですが、それでも今日から4日休みだと思うと、なにか急に予期せぬ臨時収入が入ったような、突然予期せぬ人から好きだといわれたような(学園もんか!)心温まる日々でございます。

 さーてと、と言いながら実は宿題山積みで、このままホンワカしていると前日に大慌てになるんだなぁー、これが、と大人の分別はあるのですが全然実行できない。普段読もうと思っていた本を片っ端から読もう、とりあえず今日は。

 で、さっき読み終わったのが奥田英朗氏の「サウスバウンド」です。評判大変良く森田芳光監督で映画化もされるようで(豊川悦治君主演ですが期待できそうな気がします)、いや予想より遥かに素晴らしい本でした。ストーリも何も、とにかく読むべし、と思います。この本は僕の本棚の「相当お気に入り」の段にランク入りが決定しました。

 この前ひろさちや氏(仏教学者です)の「狂いのススメ」という本を読み、これもまたランク入りしたのですが、何か共通点がある。

 ひとことで言うと既成概念にしがみついていることの馬鹿らしさ、でしょうか。よく考えると気がつくことなのですが、日常生活に流されていると、ほとんど何も考えない。そのまま引き返すことがかなり難しい地点まで来てしまう。

 他人の、世間の考えで生きてないかな?本当に自分のしたいことかな?属している集団が基準じゃなくて、自分自身が唯一の基準だぞ・・・

 自分を知るのが一番難しいという説もありますが、いやなに、シンプルに素直になればいいのよ。余計なこと考えないで。

 実行できるでしょうか?

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パイパティローマ!(読んでね)