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女性の男性化と寿命について

世界的に女性の方が男性より寿命が長い。

生物学的に女性の方が安定していると考えられていて、これはチンパンジーでも同じである(オスの平均寿命は45歳、メスは59歳)ことからも想像できる。ゆえに神様は考えられていて出生数は男子の方が多いのであるが、小学校に上がるころにはもう逆転してしまう。男は弱いのであった。

それに加えて社会的に外に出ていて危険が多いこと、煙草、酒とか身体に悪いことが止められない、なんてことも男性の寿命が短いことの1因子であった。

ところが最近この差が縮まりつつあり、イギリスのサンデータイムズ紙では「男性が女性よりも長生きになる」という記事を載せた。発表したのは国立統計局のアドバイザーでシティ・ユニバーシティ・ロンドンのレスリー・メイヒュー統計学教授で、2030年にはイギリス男女の平均余命は等しくなり、その後は逆転するという予測がたてられている。

米国、カナダ、スウェーデン、フランスでも同様の傾向は報告されている。そして、な、な、なんと日本でも!男女の寿命の差は2003年に6.97年と最大に開いたのだが、その後は縮まってきており2010年は6.75年だそうです。

 

何故か?

メイヒュー教授によれば女性がマッチョ化したのが一因らしい。社会的に男性と同じ行動をとる人が増え、喫煙やアルコール消費量も増大。それに比して男性はむしろ健康に留意する傾向にある。日本でも喫煙率は全体に減少しているのに若年女性では増えとるな、確かに。アルコールをかなり飲む女性も以前と比べると増えている印象が僕もある。

 

逆転するのかどうかはわからないな。でも男女の差がなくなってきている印象はあるので差は確かに縮まっていくのかもしれない。寿命はともかく男女の差がなくなっていくのって、しかしつまらなくない?全然違うところがあることこそ存在意義だろ?

しかしこんなこと言ってる間に女性はどんどん男性化し、男性の分も全部引き受けちゃって、最終的に男性は消滅するという説がある。 男性固有のY染色体にのっている遺伝子情報はどんどん数が減ってきていてこのままでは男性は生物学的に存在価値なく消滅するという予測が立てられているのだ。なぜなら生物学的生存が厳しい時代が終わり社会が安定すると、戦争をし、獲物を稼いでくる男性の出番はなくなるからである。

女性は心優しく男性とあわせるために寿命を短縮してくれているのかもしれないな・・・・(絶対そんなことはないけどな)。

 

・・・・・・・・。

 

 

 

ファックス・フロム・リビアとコーチングの日

リビアのシュルキ博士からファックスが来た。

なになに・・・「リビアは戦火の中にあり、我々の同胞は新しい革命政府により投獄の憂き目に遭っている。我々は出来るだけ早く財産を国外に運び出さなくてはならない。」

フンフン・・・「私は君に1550万USドルを出来るだけ国外に運び出すことを手伝ってほしい。手伝ってくれたらその25%を君に進呈することに同意する。緊急事態なのだ。すぐ下記にメイルを!」

 

15億円の25%ね。約4億円か。ちょっと少ないけどオッケー・・・とすぐメイルしかけた私であったが考えてみるとシュルキ博士なんか知らない。何なんだ?今の東電、関電くらい怪しいぞ。

この手の話にどれくらいの人間が引っかかると思っとるのだ、シュルキ君は。

考察:遥か彼方の日本の医療機関のファックス番号が売買されている?発信先は番号のみで判らず。電話番号国別で考えると最初の1しか当てはまらず、それは数国あり。やっぱりアメリカかなー。案外日本、すぐ近くだったりしてね。

メイルするとどんな返事が来るかすごく興味があったが、いずれすごく楽しくないことに遭遇しそうだったので自制心を働かせ、ファックスはゴミ箱へ移動した。

興味ある方はメールを。

 

シュルキ博士の不幸のファックスを受け取った日は日曜日で院内研修をしていた。昨年に引き続き東京からKコーチをお招きし、スタッフとともに1日、リーダーシップや毎日楽しく仕事をしていくことについて集中して考える(これで2週間以上全く休みがないのだが、それ以上というスタッフもいた)。

 

非常に有益であった。昨年は他の医療機関からも参加していただく形をとったのだが、今年は院内スタッフのみにした。この方が問題に集中できてよかったと思う。いろいろ気づいたことがあったが、印象的だったのを2つ。

 

コミュニケーションは質より量。まずそいつといっぱい話す。

②自分で思ってるよりスマイル出来てない。普通は仏頂面がデフォルト。練習すること。

 

・・・・・思い当たるなぁ。

 

 

 

 

抗加齢=抗介護

抗加齢医学、アンチエイジングって言葉はどうもなー、と思っている。

年を取ることは誰にでもおこることで悪いことじゃない。アンチの姿勢をとらなくてもいいじゃないの、別に。

と感じている人が結構多いせいか、昨今 Well Aging とか Healthy Aging (アンドリュー・ワイル大先生の著作も、当院もこれを使っている)とか、いい感じに健康的に年を取るという本来の意味の言葉をつかう場合が多くなってきた。

が、認知度はまだまだです。


「アンチ・アンチエイジング」というか、抗加齢という言葉には偏見を持つ人もいて、「見かけだけ良くしてどうするの」とか「不自然!」とか、病的な老化を避け(普通に老化すると120歳くらいまで生きられる)健康で楽しく寿命を全うするという理念が誤解されている訳だ。

その結果として長寿で若くと見えるとしたらそれはそれで結構じゃないの、と僕は思っているのだが、こういった偏見をスパッと説明出来るフレーズがないかなーと考えていた。


あった。


「抗加齢は抗介護」  どうでしょう?


出来たらみんな介護は受けたくないと思っておられるのではと思う。自分のことが自分で出来なくなり他人に助けていただかなくては生活出来ない状態。不幸にしてそうならざるを得なくなった方々には本当にお気の毒だと思う。

でも幸運にもそうなっていない我々は、介護をする立場にはなっても受けるようには絶対ならないでいようではないか。強い意志を持って。国の予算の節約にもなるし、とかそういうことじゃなく、自分自身のために。

そのために抗加齢医学は Very,very useful  な医学なのである。一歩進化した予防医学。すべての人が興味を持つべきだと思う。

実際テレビなんかの健康知識は学会なんかでとうの昔に議論が終わって自明なものなんかが「びっくり!」という感じで取り上げられていることが多い。昨年のNHK スペッシャル「寿命は延ばせる」なんてカロリーリストリクションとレスベラトロールの古い話題だし、糖質制限なんかもかなり前に取り上げられていた。メラトニンは当初からスタンダードだったが、実際の医薬品として近いものが保険適応となったり。


すべてはいつか自分が消えてしまう日まで、自立して、楽しく、笑いながら生活を送るための知識なのです。抗加齢は抗介護。どう? わかってもらえる?


うわっ、アメリカっぽい。こういうイメージでも内容の根本は「抗介護」ね。


 

ハッピーピープル・リブ・ロンガー!

 第12回日本抗加齢医学会総会@横浜に行ってきた。その用意でブログも久しく更新できず。ホラーK嬢が2題発表してきました。一般オーラルと、抗加齢指導士向けのシンポジウムと。ほとんどが大学や総合病院が発表している中でなかなか健闘したと言えよう。まぁまぁ評判も良かったみたいだし。

 学会自体は前回と比べかなり面白かった。旬のネタ、旬の先生が多く発表され、7000人以上いる会員数ですが、3500人が参加したというのもその一つの証明じゃなかろうか。また医学会は勿論患者さんを治すためというのがベースにあるのだが、抗加齢医学会は自分のために、という要素が結構あるからじゃないかなという気もする。

 旬(でももう遅いか、一般化しつつある)の一つは「カロリーリストリクション」です。摂取カロリーを3割がた減らすと哺乳類も含め多くの種で本当に寿命が伸びるというのはここ数年のトピックでメカニズムも解明されつつある。今回そのやり方を間歇的断食と比較したりとかいろいろ話題があったらしい(僕は別のシンポジウムに行っていた)。スタッフが聴いていたのだが、

「でもこの中でカロリーリストリクションやってられる方はどれくらいおられますかと司会者が尋ねたら7割くらいが手を挙げたのでびっくりした!」 「ほんとー?みんな痩せてた?」 「・・・それほどでも」 「それってちょっとダイエットしてるだけじゃないの」 「確かに。でも老人性難聴の予防とか、本当にいい効果があるんだなぁ」

 素晴らしい!カロリーリストリクションは!と言いながら中華街に行ってたらふく食ってしまう我々であった。シンポジウム意味なし!聴いていたスタッフが今まとめを作っているから出来たらここでアップしたい。是非皆様実行を。

 特別講演は101歳の日野原重明先生であった。もう後光が差している。僕も外来をしていて100歳以上の方をいままで4,5人拝見しているが、全員車いすで、ご家族が丁寧に介護されている方々であった。日野原先生は30分以上立ったままで、しかも結構動きながらお話しされた。本当にすごい。登場された時はハリウッドスターなみの、スマホカメラ、フラッシュの嵐であった。僕も載せとこう。

 招待講演ではミシガン大学のクリストファー・ピーターソン先生がポジティブサイコロジーについてお話しされた。これも旬の話で、精神がいかに健康に影響を及ぼすかという話題である。フロー状態も非常にいいようである。そしてハッピーな精神状態でいることががいかに大事か。

 前日行われた立錐の余地もない学会全体の懇親会で、ピーターソン先生を招聘された慶應大学眼科の坪田教授(ポジティブが服を着て手術をしているような方)が乾杯の音頭をされた。

 「かんぱーーい!」

 じゃなく、「ハッピーピープル・リブ・(皆さんご一緒に)ロンガーーーー!」だったのであった。

 

 

鍼灸修行

 鍼灸をやったことがあるかな?患者さんに訊くと案外若い人がスポーツ外傷で受けていたりして結構興味を持っている場合が多い。ご年配はみんなOKかと思いきや「こわいわー」と言う人が案外多かったりして。

 10年以上前は僕も、鍼灸って気休めじゃないの、安全なのかな(勤務医時代に中国針で気胸を起こして入院してきた人の主治医になったことがあったりして)と割と信用していなかったのね。

 ところがだなー・・・・・・

 きったない足の写真で恐縮だが、これは僕が自分で自分の足に鍼をうった証拠写真でござる。

 僕は鍼灸の有効性に関して今や何の疑いも持っていない。これは経験上である。間違いなく効く。効かない場合、それは術者の問題と思う。

 科学的な探究もよく行われていて、最近うちの鍼灸院のホラーK先生(可愛い女性なのにホラー映画が好き)の指導医であった明治国際医療大学鍼灸学部の鈴木雅雄准教授(何度かお会いしたがワーカホリック、向上心の強い、まぎれもなく突出した人の持つオーラを持った、けれど可愛い人)が、インパクトファクターの高いArchive Internal Medicineというアメリカの医学雑誌に鍼灸のペーパーを載せて結構話題になった。

 僕は運動した翌日、結構足が痛むときがあるのでホラーK先生によく鍼をうってもらう。下半身がすごく軽くなる。ある日、鍼をうっていただいたことを全く忘れていて、なんか今日は足が楽だな、と思って突然施術していただいたことを思い出したくらいだからプラセボ効果ではない。

 で、自分で好きな時にうてたらいいなと前から思っていたのだ。日本では法律上、鍼灸ができるのは鍼灸師と医者だけだからね。かなり以前、医療に鍼灸を使おうという試みをされている先生方のワークショップに泊まり込みで行った事もあるのだが、自分でうつ踏ん切りはどういうわけかなかなかつかなかった。

 ところが、急に力が抜けてすーと出来てしまった。嬉しい。

 で、今いろいろ工夫してやっている。ツボにうつのは難しいのでトリガーポイントをねらってるけど、うまくいくこともそうでない時もある。練習だなぁ。でもいずれうまくなると思うので希望者は予約しといてね!

 

 

 

 

流線形2012

 今年はユーミンのデビュー40周年らしい。でめったに聴かない数枚をレンタルする。朝通勤時に車の中で、20年以上聴いてないような気がする「流線形 ‘ 80」をかけた。

 

 きょーがく。

 すんごいんだ、やっぱり、ユーミンは。1曲目の「ロッジで待つクリスマス」から、ちょっと肌寒い早朝の夏が、歌われている12月の空気に変わっていくのである。いつのまにかバケーションにいる。この説得力。このアルバムってこんなに良かったかなぁ。

 歌詞の切れがすごい。 ♪見上げる雲のバレーは、永遠のスローモーション♪ とか、♪思わず微笑むと前歯が凍るの♪(冬の海にいるわけだ)とか、実際の体験だろうけど、さりげなく真実。

 1曲に短編を読んでいるような物語性があるし(ユーミンはすごく情景を浮かべせる。桑田圭祐、山下達郎両氏の歌はほとんど浮かんでこない)、そのバラエティもすごいよな。アルバムはよく出来た短編集であります。

 どうみても天才のユーミンにして最近のアルバムはさびしい。若さの感受性が書かせる歌もあるだろうが、経験から生み出される珠玉の歌もある。「徹子の部屋」最終回のゲストとして出たいなんて言ってないで、50代の心を鷲掴みにするような、大人のアルバムを出してね、心より待ってるよ。個人的には「サーフ・アンド・スノー Vol.2」も欲しいところだ。

 

アルバム曲中で大好きな「コルベット1954」。

僕は次の世代の通称コルベット・スティングレーのほうが車として好きですが。

哲学者とオオカミ

今までいろいろなものを飼ったけれどオオカミは飼ったことがない。イギリスの哲学者、マーク・ローランズはオオカミを飼っていて本を書いた。それが「哲学者とオオカミ」だ。

彼がアラバマ大学に独身で赴任した時、犬を飼おうと思っていたが、広告で「96%のオオカミの子供売ります」を見つけ買ってしまうのである(アメリカの法律では100%純粋のオオカミはだめだが、犬との混血はOKだったらしい)。しかも売主は「じつはねー、これは100%なんだよー」と言うのである。ローランズ先生は喜んで買ってしまう。

でかい!オオカミは本当にでかい!これは大きくなったブレニン(オオカミの名前)の写真だが、子供の時はグリズリー(アメリカヒグマ)に似ていたらしい。

ローランズ先生は結構変わった人のようだ。ブレニンを大学の授業にもジョギングにも連れて行くのである。もっともこれは好きでいくのでなく家に置いておくとブレニンが退屈して家中を破壊するかららしい。彼はラグビーをし、サーフィンを愛し、酒が大好きで、賭けボクシングにも選手として出場したりする(なんて素敵だな人だろう)。

自分について語っている一番面白かったところ。「ガールフレンドは何人か出来たが、私の暮らしに入り込んでは去ることが時計のように正確に繰り返された。彼女たちが私の暮らしに入り込んできたのは、おそらく私が都会的でウイットに富んでいたし(少なくともそうする気になった時は)、いまだに並はずれてハンサムだったからだ。少なくとも大学教師にしてはハンサムだった。長年にわたる飲酒でも顔は崩れなかった。彼女たちが去ったのは、私が彼女らに対して愛情を感じず、便利な性欲のはけ口としか見ていないことをすぐに見て取ったからだ。私は他人と生活を共にできる状態ではなかった。私には別の関心ごとがあったのだ。」

いいんですか、ローランズ先生。こんなこと書いて。

しかしこんな感じでブレニンとの生活が、オオカミの野生と人間を対比した哲学的な考察と交互に語られる。僕にはとっては非常に示唆に富む、素晴らしい内容だった。印象的だった一つ。

「積極的な意志というより意志の無さからくるのがこの世の邪悪のほとんどである。けれど邪悪にはもう一つの構成要素があり、これなしでは邪悪には至らない。それは犠牲者の無力である。(中略)出来る限り見習うのは私の義務、道徳的な義務だ。せめて生後2か月の子オオカミぐらいに強くなれさえすれば、私の中に道徳的な邪悪は育たないだろう。」・・・優しいだけでなく強くなければならない。邪悪を撲滅するために。

オオカミは悪さしているところを見つかると「しまった!」という顔をしてそっと逃げ出すとか、とてもかわいい。哲学的なパートとともにブレニンの本当に可愛いところが満載で、犬を飼っている人にはたまらない。

もっといろいろ言いたいことがあるが長くなりすぎる。Good book です。推薦。

自分のことを喋るのは快感ね!

 内科の病気の70%は問診で診断がつくといわれる。もっと多かったかな。

 そして診断が誤るのは、知識がないというよりもうまく聞き出せないことが主因なのだ。具合が悪くて来ているからそのことを話すだろうになぜわからない?と思われるかもしれない。主たる症状は勿論話していただけるが、そこから病気を絞り込むのに必要ないくつかのファクターを訊きだすのは案外難しい。質問の仕方が悪いのかもしれないし、患者さんが案外忘れていることも多い。診察室から出るときに、思い出したように振り返って言われた一言で判断が逆転するという経験は多くの臨床医がしていると思う。

 「人間は自分のことを喋るのが大好き!」というのが脳科学的に証明されたという記事が米国科学アカデミー紀要(PNAS)に掲載された。

 

 自分について話すことが、食べ物やお金で感じるのと同じ「喜びの感覚」を脳のなかに呼び起こすことが明らかになった。個人的な会話であっても、フェイスブックやツイッターといったソーシャルメディアでの発信であっても、それは変わらない。

 日常会話の約40%は、自分が何を感じ、どう考えたかを他人に話すことで占められている。米ハーバード大学の神経科学者らが脳画像診断と行動に関する5つの実験を行い、その理由を解明した。脳細胞とシナプスがかなり満足感を得るため、自分の考えを話すことを止められないのだ。

 「セルフディスクロージャー(自己開示)は特に満足度が高い」と同大学の神経科学者、ダイアナ・タミール氏は話す。タミール氏は同僚のジェイソン・ミッチェル氏と実験を行った。研究者が呼ぶところの「セルフディスクロージャー」への傾倒度合いを測るために、人は自分の考えや感情を話す機会に対し、通常より高い価値を置くかどうかを検証するテストが実験室で行われた。また、自分のことを他の人に話している間、脳のどの部分が最も興奮しているのかを検証するために、参加者の脳の活動がモニターされた。実験に参加した数十人の志願者のほとんどが大学近くに住む米国人だった。

 いくつかのテストで研究者は、自分のことではなく、例えばオバマ大統領など他人に関する質問に答えることを志願者が選んだ場合、上限の4セントまで段階的に設けられた基準に応じて、志願者にお金を支払った。質問は例えば、その人物はスノーボードをするのが好きか、またピザにはマッシュルームをのせるのが好きかといったカジュアルなものもあれば、知性や好奇心、攻撃性といった個人的な特質を問うものもある。

 ところが金銭的な動機づけにも関わらず、参加者は自分について話すことを好むことが多かった。本来得られるであろう金額の17~25%を進んであきらめ、自分について話すことを選んだ。

 関連した実験で、科学者らはfMRI(機能的磁気共鳴画像法)を使用した。これは精神活動と結びついているニューロン間の血流の変化を追跡するもので、他の人について思考を巡らすのではなく、自分自身の信念や選択肢などについて話す際に、脳のどの部分が最も強く反応するかを見ることができる。

 一般的に、セルフディスクロージャーを行うと中脳辺縁系ドーパミン経路に関わる脳の領域の活動が高くなる。ここは食べ物やお金、セックスなどで得られる満足感や快感と関係している部分だ。


 だそうです。かなり根源的なもののようね。とすると自分について話していただくことはさして困難なことではないと思われる。病気について話すことは楽しいことではないから時に問診は難しい。これを応用して、自分の話したいことをいっぱい喋って弾みをつけていただくと、訊きたいことが出やすくなる可能性はあるな。

 定期的に来られている方には、疾病と関係のない話から始める方がうまくいくことは経験則としてある。これをどれだけの患者さんに広げることができるかという話だけど、ただでさえ待ち時間はBig problem となってるからなー、会話能力を高めるしかないけどどうする?でもきっと一番怖いのは、話し出すと止まらなくなる場合だろうねぇ。

肉体は神殿

 連休もあと1日である。「あと1日しかない」と思うか「まだ1日もある」と思うかであなたの人生は違ってくるよ、というのはポジティブシンキングの定番だが、そういうのとは関係なく気持ちはフラットである。「休みもいいが仕事もね!」というとこか。

 何をしたわけでもないが結構退屈もせず楽しかった。抗加齢医学の講習会や、友人やそのご家族と会ったのも楽しかったしゴルフもまぁまぁだったしな。本も10冊近く読んだが、なんといっても「1Q84」book 1,2 が印象的でした。あんまり気に入ったのでいろいろ書評も検索して読んだのだが、まっいろいろな感じ方があるもんだ。意味づけ以前に、全く退屈させないサスペンス映画を見ているような気持ちにさせるだけでも凡百の本は全く及ばない。Never a dull morment.

 あとは抗加齢医学的な介入方法についてまとめを作る。「運動、栄養、参加(慶應の坪田教授によればここが”ゴキゲン”になる。つまり社会的関係を切らさないメンタルのことだ)」がキーワードというのは決まっているが、その具体策について、個々の問題に対して学問的なエビデンスを検証しながら細かく調べる。面白い。

 

 そこで出てきた記事。5月3日に欧州心臓病学会で発表。「ジョギングは寿命を延ばす」。

研究を行ったのは、デンマークの心臓病学者Peter Schnohr博士らのグループ。定期的にジョギングをする人と、まったくしない人を対象に20歳から93歳まで2万人に35年にわたる追跡調査を行った。期間中に、ジョギングする人では122人が死亡、ジョギングしない人では1万158人が亡くなった。ジョギングによって死亡率が44%も減少。寿命についても、男性で6.2年、女性では5.6年ののびが見られた。
この健康効果を得るには、必死に走る必要はない。少し息が切れる、あるいは息切れしない、と感じる程度のゆっくりとしたペースで、週に1~2時間半程度ジョギングするのがもっとも効果的だった。
こういったジョギングによって、酸素摂取量、インスリン感受性、コレステロール値、心臓機能、骨密度、免疫機能心理学的な機能などが改善する。

 

 当たり前といえば当たり前だが、すごい死亡率の違いである。ポイントは「しんどくない程度の運動」であるということ。1日大体20分くらいの、かるーく息切れするくらい、誰かと一緒に走れば話ができるくらいのペースで、出来れば毎日。嫌にならない、終われば爽快感を覚える程度。大事なのは持続。強度ではない。毎日歯を磨かないと気持ちが悪い。同じように習慣化すること。それがコツであるが、まっ、簡単に出来れば苦労はしない。

 と書きながら、グレン・グールド氏のピアノでバッハを聴いている。この連休でバッハに目覚めたのである。本当に美しい。この変化は「1Q84]の影響かと考えればあまりにも軽薄か。

 「1Q84]では”肉体こそが人間にとっての神殿である”という言葉も出てくる。うむむむ・・・。何を祀るにしろきれいに丈夫にしておくのが基本ですが言うは易し行うは難し。どうすれば夢中でやめられなくなるか、その工夫を残りの時間で考えよう。

僕の神殿はかなり古びて痛んでるなぁ・・・

 

 

下り坂では…

 本をネットで購入する。「下り坂では後ろ向きに」。首都大学東京の教授でドイツ文学者、丘沢静也氏の本。書評を読んで(実はあまりちゃんと読まなかった)高齢者の運動についてのメソッドが書かれてあると思っていたのである。到着した本をパラパラして、これはかなり哲学的な内容であると気がついたのだが、なかなか興味深い文章が並んでいるので、結局1時間ほどで読了した。

 30代の後半から全く運動に縁のなかった丘沢氏はジョギングと水泳を始め、今では立派な「運動習慣病」患者である。今66歳であられるが、年代にふさわしく無理をしないスローなエクセサイズを実践されており、その考え方は実際的になかなか有効である。筋トレはやはり高齢者に必要であることや、何回やるか決めるより、何分と時間を規定してその範囲でゆっくりやればよいなど、うなずけるアドバイス多し。

 しかしこの本で一番印象的なのは、そのような運動姿勢を裏付ける賢人たちの言葉の引用です。タイトルもヴィトゲンシュタインが述べている哲学する姿勢、いつも同じでなく違ったやり方を用いることの、運動における彼自身の(人生に対する姿勢もかねて)応用を表わしたもの。

 

「腰を下ろしていることは極力少なくせよ。戸外で自由に運動しながら生まれたのではないような思想は信用するな。筋肉もお祭りに参加していないような思想は信用するな。すべての偏見は内臓に由来する」(ニーチェ)

身体は大きな理性だ。一つの意味を持った多様体だ。(中略)「私は」と君は言ってその言葉を自慢に思う。「私は」より大きなものを君は信じようとしないがー「私は」より大きなものが君の身体であり、その大きな理性なのだ。大きな理性は、「私は」とは言わず、「私は」を実行する。(ニーチェ)

神はお急ぎでない (ガウディ)

人間の身体は、人間の魂の最上の姿である (ヴィトゲンシュタイン)

自分の中に「自分」を求めようとすると、迷路に迷い込むだけだ。自分の中に「自分」を探すのではなく、自分の外に「自分」を求めなさい。自分の外に「自分」を探しなさい。外からの課題に身をゆだねることによって、あなたは自分に出会うだろう。(ルドルフ・シュタイナー)

 

 どう?いいでしょう。運動は万薬に勝る。「気晴らし」(もともとのスポーツの語源)としての、しんどくないスローな運動を、地道に続けましょう。言うは易く・・・なんて言ってないでね。

久々の岩波書店