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朱夏

 インフルエンザが爆発しています。

 

 月、水と11時間くらい外来をする。今日木曜も午後5時終了予定の午後診が終わってクリニックを出たのは7時前だった。

 

 用事があって車で出かける。今日は夏みたいな陽気だった。夜、この時間でも車外の温度は22℃となっている。この季節には皮のライダーズ・ジャケットを車に積んでいて、オープンにするときはそれを着ていたのだが今日は必要ない。Tシャツに長袖の軽いトレーナーを重ねて着て全然寒くない。

 

 オープンで高速を走っていると海の匂いが漂ってきた。気温が高いせいだな。冬に向かう時期に夏を連想するのも妙な話だが、潮の香りは否が応でも夏である。暴走する青春、波打ち際での抱擁、唇に塩と砂の感触、である(よくわからんが)。なんとなく眉を寄せて運転していた気がするのだが、顔の筋肉がほぐれていく。愁眉を開く、という感じね。

 

 心はいつも夏の真っ只中。こういきたい。青春は過ぎましたが朱夏です、今は。

 

グラチェ!

 今日は日曜日である。しかし、な、な、なんと、当院が主催する「第6回運動器の機能向上サービスに関連する実務者研修会」があったのである。いつもと同じ時間、6時半におき、愛犬と散歩し、ビートルズのアルバム「Let it be」(やっぱりいいね!)を聴きながら、「あ、あ、あ、み、み、ん、まいん!」と絶叫しながら会場の新大阪、大阪保健福祉専門学校に着く。78名の参加者で開場の8時半よりかなり前から人が群れています。

 

 9時半から僕が簡単なご挨拶とパワーリハビリテーションに関するレクチャーを30分強おこなう。20枚程度のパワーポイントだけど、去年作ったやつに若干の追加をして昨日結構時間がかかったのであります。相変わらずへたくそであるとガックリしながら終わる。後はパワーリハビリテーション研究会大阪支部の理事であり大阪保健福祉専門学校のえらいさんであるN先生にお任せする。

 

 実技をやっている夕方まで別室で仕事をしようと肩が抜けるくらいカバンに資料を詰め込んできたのだが、午前中はS医療のFさん、Hさんと、午後はT外科の切り込み隊長Mさんとずーと喋ってしまう。まあ予想できたことではある。しかし事務仕事を片付けているよりはるかに有益な時間であった。

 

 研修会は当院のポジティブライフ君と協力してくれた皆様方のおかげでつつがなく終了。前回より見ていてかなりスムーズだったと思う。サンキュー・ベリー・マッチ!皆さん!

 

 今日も含めてこれから3週連続で日曜日出勤である。とほほ。しかしMさんの「仕事が一番面白い!」という力強い言葉を支えに乗り切っていきます。グラチェ!

 

教室にたむろする不良、じゃなかった打ち合わせ中の善良な人々

サーキットの娘

 24時間子供化計画を遂行しつつある。それは、①早寝早起き ②時間割どおり行動する ③酒は飲まない ④デートは公園でアイスクリームを一緒に食べるに留める、などである。で、今日は朝5時に起きる。忘れていた算数の宿題、じゃなかった介護保険意見書やその他書類を仕上げる。こんな頭の働くときはもうちょっとクリエイティブなことをしたほうがいいな、と時間割の悪さを悔やみながら。

 

 阪神高速が一部通行止めになっているから、いつもより早めに家を出る。案の定、驚異の渋滞に巻き込まれ、しかも考え事をしていて、ここがポイント!の出口を通り過ぎてしまう。ここ78年したことの無かった遅刻確定である。朝に入っている検査や予防接種変更の連絡をしながら、なんでこの時期に、大掛かりな工事をするかなぁーとウンザリする。あと1週間かよ。

 

 加藤和彦氏が亡くなった。とても信じられない。もっともそんなことから遠い人だと思っていたのに。一時かなり好きだった。物の選択眼、そして生き方にポリシーがある、当然おしゃれである、当然才能がある、なんて僕のお手本だなぁと思っていた人たち、伊丹十三氏、景山民夫氏なんかもみんな不自然な形で死んでしまった。なんでかなぁ、こういうタイプは生きにくいのだろうか。

 

 その他もろもろ、些細なことも一杯重なって、まあなんとなく心が晴れない。カーステレオをガチャガチャさせていると奥田民夫君がかかった。「サーキットの娘」。♪笑って、笑って、笑って、黙って、誘って、あしらって。スマイル、スマイル、スマイル、しびれる、あきれる、スタイル♪ ガンガンのギターと調子っぱずれの叫ぶような歌声、おお、これだっ!と少し元気が出る。

 

 スマイル、スマイル、スマイル、この言葉ほど元気が出る言葉は無い。しかめっ面はなにも産み出さない。大笑いする小学生で行こう!と子供化計画を思い出した。明日からこれに専念よ。

 

イエーッ!

1周年

 今日14日はクリニック移転1周年記念日であった。僕は全く忘れていたのだがスタッフはちゃんと覚えていて、ささやかにケーキでお祝いした。

 

 もう1年なのか・・・移転はすごく大きな決定だったのだが、動いてしまうとその波に乗って知らぬ間に時の流れに運ばれてしまう。問題は後から後からわいてくる。あれを片付け、これを押し込み・・・人生とはクレーム処理の連続であるという言葉もあるが、それだけでは終わりたくない。確かで美しいものを残したいと思う。

 

 実は今でも残りつつあるものがある。

 

それは優秀でやる気のあるスタッフ達。移転して得た一番大きいものは彼らなのです。

 

亀もラッキーシンボル

希望のアフリカ

連休に元々休みの火曜日が加わり、僕は3連休でした。といってもどこかに出かけるわけでもなく引きこもり状態だったのですが、おお、さすがに休みでがあったぜ!と思います。

 

大体昔は休みの時に出かけないと人生を無駄にしているような気がしたのですが、此の頃は家で本を読んだり音楽を聴いたりしているのが至上の快楽です。外はいい天気、小鳥の声や金木犀の香りをほんわりと含む風に吹かれたりしながら本を読むこと以上の快楽が他にあるのでしょうか。

 

で、結構読みました。カズオ・イシグロ「夜想曲集:音楽と夕暮れをめぐる五つの物語」、奥田英朗「オリンピックの身代金」、斉藤孝「全身発想法」、蛯名玲子「心に響く保健医療者のコミュニケーション術」などなど。読みきったのもあり途中なのもありですが。

 

単行本の間に雑誌も読む。久し振りの「GQ」「Brutus」とかいったとこですが、「GOETHE」というのも買いました。24時間仕事バカへ、というのがメインテーマの雑誌です。24時間仕事バカねー、もう古いんちゃうん、とか思いながらも結構売れてるみたいだし、今も昔もワーカホリックは一杯いるし、内容もなかなか共感できるところも多く、幻冬舎は目の付け所が違うなぁ、面白かったです。

 

仕事の、人における位置づけというのは各々でかなり違うと思います。僕は仕事はゲームや趣味で得られる興奮を人生というスケールで感じられる点で最も面白く、まあ24時間仕事バカでいいや、と思ってるような人間ですが、こんなことを考えていると少し思い出すことがありました。

 

父親が今の僕くらいの年齢だったとき、父の友人から1枚の葉書が届きました。大学生だった僕もその方は存じ上げていたのですが、こんなのが来たと父親は僕に葉書を見せてくれました。

 

今でも覚えているのですが、「開業医として20年近くやってきましたが、思うことあり、廃業してアフリカに行くことにいたしました。向こうで仕事をするわけではありませんが、今までの人生で出来なかったこと、やりたかったことを実現しようと思います。苦労も多いかと思いますが楽しみにしています」といった意味のことが書かれてありました。

 

おお、僕は仕事バカでも、希望のアフリカがないのは淋しいと感じます。僕にとってのアフリカはどこか?それを考えながら仕事をするのがこれからのテーマだな、と思いながらこれを書きました。

 

台風がやってくる

台風がやってくる。

 

この10年、上陸した中では最強という頼もしいやつらしいが、ビジネス・ゴーズオン・アズ・ユージョアル、いつもと同じに(といってもかなり早めに)出勤である。

 

昔読んだ片岡義男氏の小説の中に、台風の最中、わざわざ車を出して(でっかいアメ車だ)町や海の様子を見に行くというのがあった。台風ウォッチである。若かった僕はどういうわけかそれがとても気に入り、実際に敢行したことがあった。勿論ひとりではなくガールフレンドとである。

 

風の音だけがやたら大きく響く、人っ子一人いない夜の町は、看板がひっくり返っていたりいっぱい紙くずが飛んできたり、それはそれで異次元の世界であった。結構楽しめた。

 

今はそんなことをやろうともあまり思わないし、付き合ってくれる人もあまりいないだろう。そう思うとちょっと寂しい。年齢を感じるのはこういうときだ。

 

Macの創始者であるスティーブ・ジョブス(僕と同年齢だ)は病気から再起したときの演説で、Stay hungry, stay crazy! と言った。彼の言ったクレイジーは勿論台風ウォッチをするようなことではないが、でもちょっと繋がってるな。

 

いくつになろうと、飢え、気が狂っていたまえ! 君たち、そして僕よ。

 

 

 

 

 

開業って・・・

今日は一日家にいて(except犬の散歩)レセプトのチェックやらなんやら雑用を片付ける。その合間にチェックした医療関係のニュースで、勤務医の厳しい勤務実態が明らかになる一方開業医はどうなのか、日本医師会がごく最近実施したアンケートの結果があったのでそれを一部転載。なかなか興味深い。

 

開業動機については「自らの理想の医療を追求するため」が42.4%で最も多く、次いで「勤務医または研究者としての将来に限界を感じた」が35.1%、「経営も含めてやり甲斐を感じた」26.3%、「精神的ストレスに疲弊」21.0%、「過重労働に疲弊」18.6%、「家族の事情」が17.7%だった。

 

開業後の業務負担の変化について、労働時間が「過重になった」とする回答は41.6%。「同じくらい」は17.5% 、「軽減した」は35.6%だった。また、精神的ストレスについては54.4%が「強くなった」と回答し、「同じくらい」は17.8% 、「軽減した」は22.2%だった。なお、勤務医時代より開業後に負担が増した業務の内訳としては、診療面ではレセプトの作成・チェック(52.2%)、自身の医療水準維持(49.5%)、レセプト以外の書類作成(38.3%)、管理面ではスタッフの採用(65.1%)、機器等のメンテナンス(48.5%)、スタッフの教育・育成(48.3%)が上がった。

 

開業後の達成感・満足度について、診療における達成感は「高い」が48.1%、業務全般については53.3%とおおむね半数程度だった。また、自身の今後への不安について、経営全般に対しては「不安」とする回答が66.5%だった。「休業時の収入確保」については83.1%、「引退後の収入確保」については72.8%が「不安」と回答した。経営状態については、診療所の56.9%が「患者数が減少した」とし、また院長給与も個人診療所の57.8%、医療法人診療所の47.9%が「減少した」と回答している。

 

日本医師会の中川氏は、「回答結果や自由記述欄から、開業医が勤務医にはない経営責任を負い、過重労働、精神的ストレスにさいなまれており、経営状態の悪化がこれに追い討ちをかけていることが明らかになった」と指摘。

 

僕も常々思うのだが、全く経営や人事ど素人で開業、古田でも無理だったプレイング・マネージャー(監督と選手と同様、経営と臨床を一手にする)なんてできるわけが無い。非常にストレス。僕も開業して数年間(特にデイケアをはじめてから)のうち、仕事に行くのがいやでいやで仕方が無かった時期が何回かあったのを思い出す。今から思うとあれは完全に軽いうつ状態だな。

 

 勤務医も大変だが、開業医が楽なわけが無い。忙しい勤務医と開業医、比較的楽な勤務医、開業医が当然いるわけで、保険報酬が勤務医の保護に回るとかどうも片手落ち、一方的であります。

 

今は優秀はスタッフがいるおかげで仕事をするのが楽しくて仕方が無い。心より感謝。

 

さっき中川元大臣の死去が伝えられたが(合掌)、最近50代の男性が僕の周りでもばたばた倒れる。今は昔より10年若くなっているので厄年が遅れてきているのかもしれない。我が儘と言われようが勝手といわれようがストレスフリーでいくぞ。みんなあきらめてね。

 

 

鍼灸礼賛

「緩和ケア研修会」は無事終わった。いろいろ得ることが多く、参加してよかったと素直に思えるのだが、1つの収穫は、鍼灸が呼吸器リハビリテーションに使用されているということを知ったということである。

 

 グループミーティングの時、癌末期の患者さんの痛みをとる手段として鍼灸はどうでしょうかと僕が話していたら、「鍼灸ね、それはいい。うちでもCOPD(慢性閉塞性肺疾患。タバコが主たる原因で年月が経つと呼吸困難が出てくる。これから患者さんが大変多くなると予想されている)の患者さんにやってもらっていて、すごーく良くなるよ」と呼吸器センターのF先生がおっしゃったのである。

「それは呼吸筋がリラックスするからですか?」

「多分ね。本当にすごく良くなるのでもっと(鍼灸師さんに)来て欲しいんだけど」

「!!!」

 

 僕がアキレス腱を切って、それに伴う股関節の障害等でちゃんと歩くのもしんどい、となってから久しいが、最近目覚しく改善してきたのは、それはひとえに鍼灸のおかげであると断言できる。いろいろ人のやりそうなことは試してきたのだが、うちの鍼灸院のH先生の施術を一度受けてこれに賭けようと思い、週に3回は施術していただくという贅沢な、しかし切実な絨緞爆撃作戦の結果、間違いなくADLが向上したのである。来年からジョギングを再開するという目標に手が届きそうな感じまで来たと思う。

 

 おまけに実験的に顔針(顔の周辺にひまわりのように刺す。針が細いので全く痛くない)もしているのだが、どうも白髪まで少なくなったような気がする。ぼくが30年近くお世話になっている散髪屋で「白髪減ってない?」と言うと「いやー、やっぱりそうやね。少なくなったなと思っててん。一時多かったけどね」という返答であった。リップサービスかもしれないが本人の印象もそうなんだな。

 

 鍼灸は副交感神経刺激作用があり、刺入部位のみならず四肢末梢の血流量も増加することが証明されている。筋肉の弛緩効果もあいまって毛根部の血流増加がおこってそうなったのか。そういえば最近あまり疲れないけど、交感神経過緊張があまり起こらないせいかもしれないな。

 

 というわけで薬も使わないで、刺激により体内の化学工場をドライブする鍼灸は相当お勧めです。どの鍼灸師の先生がやっても一緒とは思わないけど。また怖がっている人には言っとくけど痛くない。考えていると来年の抗加齢医学会に向けて鍼灸のデータを取るアイデアも出てきた。乞うご期待というところです。

 

 

 

そう、そう。

緩和ケア研修会

今日は土曜日ですが、休診にして研修会に行ってきました。「大阪きた緩和ケア研修会」。緩和ケアとは、主として末期の癌により耐えられない痛みや精神的苦しみを感じている患者さんを救うための医療介護的なスキルをいいます。

 

2007年、国のがん対策推進基本計画で「全てのがん診療に携わる医師が研修等により、緩和ケアについて基本的な知識を習得する」ことが目標として掲げられました。そのため講習会が昨年より定期的に開催されています。緩和ケアに僕も多少関わっており、勉強させていただこうと参加しました。今日明日、土曜日曜と朝9時から夕方6時までビッチリです。

 

会場の北野病院に8時半に着き、分厚いテキストをパラパラと見ます。9時からテストがあります。おお、昨晩予習していてよかったぜ。しかしかなり難問でした。参加ドクターは20名ちょっとですが、なんと7割は北野病院の先生です。うーむ、どうなっとるのでしょうか。がん診療連携拠点病院であるためにはこの講習会を必ず開かなければならず、定員をうめるとかいろいろあるのでしょうね、きっと。よく分かりませんが。

 

確かなことは緩和ケアに興味を持っている開業医の先生はかなり少ないということです。講師の先生もおっしゃっていたのですが、緩和ケアは特殊なものではなく、その精神は一般診療のコアの一番大事な部分なのです。僕は緩和ケアの患者さんと付き合っていると、否が応でも医療ってこういうことなんだなぁとしみじみ日頃の診療を反省させられることが多く、しんどいですが絶対続けていこうと思います。患者さんだけでなく医者も癒されるのです。今度城東区医師会で淀川キリスト教病院ホスピス長の池永先生のご依頼で僕がつないで緩和医療地域連携の説明会が初めて開かれますが、その時城東区の緩和医療への関心度が参加者数でわかるでしょう。

 

「大阪きた緩和ケア研修会」の講師陣はゴージャスです(池永先生も参加されています)。しかも講義だけでなく2日間運営にも携わられます。僕としては非常に優秀な先生方の話が聞け、北野病院の3年目から指導医のバリバリの先生までいろいろお話できて大変満足しました。講義だけでなくロールプレイ(僕は痛みをとるために処方された麻薬で吐き気がひどく薬を変えて欲しいとごねる患者さん役をやりました。面白かったです。自分の性格の悪さがよく判った。あまり聞き分けがないので医者役のドクターが本当に困っていました)やグループ演習など盛り沢山で時間があっという間にたってしまった。明日もありますが、身体をほぐすために帰りにドライビング・レンジでぶんぶんクラブを振り回してきたし(最近本当にゴルフが簡単に思えてきた・・・→たぶん妄想)、明日もオッケーです。

 

講義ノート

ダブル・ジョーカー

東京から帰ってくると関西の蒸し暑いのに驚いた。うーむ、だいぶ違うぞ。

PCの前に座っていても、入ってくる風が違う。なんかエキゾチックな感じさえしてきた。

 

エキゾチックといえば「ダブル・ジョーカー」を最近読んだ。僕より10歳以上下の柳広司氏の書いた第2次大戦前、帝国陸軍の中に作られたスパイ組織「D機関」の物語。若い彼がこの時代を選ぶのが興味深い。前作の「ジョーカー・ゲーム」は本屋大賞2位に選ばれていたが面白いの何の、カッコいいのなんの。そしてこの続編も期待を裏切らない。

 

ジョーカーは悪い意味もあるが、異端でありながら負けることの無い最強という意味もある。D機関と創立者の結城中佐のことだね。その時代の常識を超えた感覚で選ばれたスパイたちが活躍するのだが、短編2冊で10話ほど、駄作無しである。

 

そして舞台が世界中であり、エキゾチックなのである。古い外国、背筋の伸びた端正な顔の日本人、鉄の意志、クレバーすぎる、そしてびっくりする展開。

 

カッコよすぎる。特に亡霊のように決め所に現れる結城中佐はなんとかせえよっ!って感じね。もし映画化されるとすると誰がいいかな。山崎努?もう少し若ければ。

 

ストーリーは言えない。是非お読みを。

 

テレビなんか止めてさ。