作成者別アーカイブ: kiyo

夜は短し、はやく本読めよ。

面白い本は案外少ない。そして本というのは案外すぐ手に入れられなくなるもので、いいなと思ったときにすぐ手に入れておかないと、そのまま探す手間を惜しんでいるうちに忘却の彼方に消えさってしまい、じつは人生を変えたかもしれない本を読むことは永遠に無くなってしまうのである。

 

というわけで読みたいと思った本は買うのだが、お約束の、時間が無い!というわけで読まれない本がどんどんたまっていくということになる。老後の楽しみ、とばかり言っていられない。最近は寸暇を惜しんで、とまではいかぬが割りとまめに「余生のためブックス」から抜き出して読む。

 

するとこいつはいいや、なぜ読まなかったのだろうという掘り出し物にあたる。この頃のヒットは森見 登美彦氏である。「夜は短し歩けよ乙女」。魅力的なタイトルだ。本屋大賞の2位なんかにも選ばれたりしている。

 

京都を舞台にした大学生のどたばたラブロマンスというか、青春活劇というか、かなりシュール。主役は京都という町そのものかもしれぬ。

 

文章は相当個性的で入り込みにくい人もいるかもしれないが、馴染めば非常によく考えられた文である。言い回しの面白さはなかなかのもので、そのまま拝借したいフレーズが随所にある。

 

しかしここに出てくる京都は本当にリアリティがあるなぁ。昔京都出身のガールフレンドがいたせいで結構よく京都に行っていた。その頃の僕と主人公の年齢が近いせいか舞台も何もかもほとんど同一視してしまいそうだ。夏の夜のむっとした風の匂いをありありと思い出す。祇園囃子のコンチキチンが響くのである(本にはそんなベタなシーンは出てきませんが)。

 

京都という街は面妖である。あの情緒、歴史の古さと学生の街という若さの共存・・・色気あるなぁ。そんな言葉を使いたくなる街は日本中で京都だけだ。是非一度住んでみたい街候補ナンバー1である。伝統の中にビンビンの生きのいいフレッシュがつまってる感じね。

 

この本は絶対に予想できない奇妙奇天烈なストーリー展開で、そんな京都の魔の部分を見せてくれる。これからのシーズン、必読であるね。

ステレオタイプの選択 

 

 

カッコつけて歩こう!

昔、というか20代の頃かな、いつも降りる駅で時々見かけるのだが、とてもかっこいい女の人がいた。なにがいいって、歩く姿がかっこいいのだ。

 

颯爽と大股で、あまり揺れないで、かつスキップをしているかのように軽やかに歩く。おそらく僕と同じくらいか少し若いか、ポニーテールが気持ちよく跳ねている。背も高い。前を歩いているのを見つけると、「やった!」と思い幸福な気持ちになる。

 

でも顔をみるチャンスはなかった。彼女の後姿(勿論服のセンスもよかった)、きれいに伸びた両足、ふくらはぎ、そしてポニーテールが思い出だ。

 

自分の足の調子が悪くなってから、人の歩く姿がとても気になるようになった。颯爽とカッコいい人は案外居ない。20人に一人くらい、フーンと思う人が、どちらかいうと男性に多い。

 

きちんと歩くのはとてもいいエクセサイズになる。背筋を伸ばして足を伸ばして、腕をきれいに振って歩いているとわざわざジョギングする必要は無い。気になりだしてから時々きれいな歩き姿の友人に尋ねると、姿勢のいい人は間違いなく意識して歩いている。何も考えずに歩くと日本人の場合、ナチュラルにかっこ悪くなるようだ。

 

腹筋、背筋がポイント。鍛えてないと年をとってから腰が曲がり膝が曲がり、小さな歩幅の歩き方になる。外来でそんな皆さんに背を伸ばすように立ち方からやっていただく。皆さん、ちゃんと背筋も伸びるし、僅かな時間だとその姿勢できれいに歩くことも出来る。でも持続できないのだ。

 

今からでも遅くない。背すじを伸ばし、腰に上半身全部が乗っかるような感じで、太股の付け根よりもっと上から足を伸ばして歩こう。背が高くなった感じがする。心の視点も変わるのである。

 

 

Beautiful people

今回で連載500回目になる。おぉ、月日のたつのはなんて速いのであろうか。

 

時々昔に書いたものを読み返すと、その時どう考えて書いたか、思考経路がそのままたどれる。あんまり変わってないなぁ。生き方、考え方の基本は同じである。ひょっとすると18くらいの時からあまり変わってないのかもしれない。

 

すでに夢見る頃は過ぎ、この世界は思いやりと正義で動いているのではなく、散々たる理解と美しい誤解でグチャグチャとなり、じんせーいはゲーム、自分だけをー、愛している悲しいゲームさ(♪スローなブギにしてくれ)ということも分かっている。

 

しかしそれでも頑張る美しい人々がいることも事実なのである。いろいろな分野で。

 

僕もその美しい人々の一翼をささやかに担いたいと思っている。このブログがその小さな記録になればいいなと願っています。

 

    今日は僕の誕生日なのだ。

内と外

「早寝早起き、整理整頓!」。前も書いたけど、精神科医である春日武彦先生によると、ある種の精神疾患に非常に有効なのは薬よりもこの精神なのだそうだ。精神に病を持つ方の住居は往々にして手がつけられないくらい散らかっている。気持ちが保てなくなると、まず何よりも部屋を片付けるということが出来なくなるのである。

 

 僕の知り合いで軽いうつ病になっていた人が、元気になったときに言ってくれたこと。

「散らかっていた部屋を片付けざるを得なくなったので、いやいやながら、ほかにすることもないので片付け始めたら、段々それに熱中していくのがわかった。集中し、情熱こめて片付けるようになり、見違えるようにスッキリした部屋を見たとき、心の中のもやもやはかなり晴れていた。それからやね、なにか新しいことをやりたくなってきたのは。」

 

 アメリカのアンチ・エイジングに詳しいカイロ・プラクティショナーの本にも、外的環境と内的環境の強い相関が述べられていて、感情の充実をはかるためには、それにふさわしい住環境、生活環境を作るべきだと強く主張されていた。

 

 患者さんで、何故このような態度をとるのかどうも理解しがたい・・・と感じていた人がいるのだが、往診でその方の住まれている部屋を見たとき、突然理解できたという経験がある。外で会っているだけでは埋まらないジグソーパズルのピースは、部屋を見ることで突然出現し、ぴっったりとはまるのである。友人でもその部屋を見ることで、ああ、実は淋しい人なんだな、とか、案外充実した内面を持っているんだなとか、意外な別の顔を見たような気がしたことがあるでしょう?その人の部屋は、その人の心、内面をあらわすのである。

 

 ・・・・すぐ片付けよう! わかってるね!

 

オー、マイガッ!

好きだったのに

今日外来に、僕が禁酒を勧めた患者さんが来た。彼は高血圧、脂肪肝、痛風と、アルコールが原因の疾病を複数持っており、投薬とともに一番大事なのはアルコール量を減らすことだという僕の意見に「あっ、僕もちょうどそうしようと思っていたんです」とあっけなく同意したのであった。

 

しかし彼はなかなか立派であった。すっぱりとアルコールをやめ3ヶ月、すこぶる体調良く、血液学的数値も大きく好転している。

 

「いやー、やめてよかったなぁ。メチャクチャ体調いいですもん。特に、朝ね、朝。前はね、なんとなくドローンとしていたんですよ。今はね、ぱっちり、シャキーン、ですもん。いやー、よかった。先生のおかげです。」

 

そーお。

 

いやー、これは僕が2年ほど前に感じたことである。毎日数十年にわたって続けてきた晩酌というかナイトキャップというか、アルコールの定期的摂取をやめて僕が感じた一番印象的なことは、なんか高校生のときのような朝だな、という目覚めの感じであった。すっきり爽やか。30年以上も前に逆行したのである。まっ、朝だけだけどね。

 

最近では禁煙した人がタバコの煙を疎ましく感じるように、アルコールにかすかな嫌悪感さえ感じるようになった。ビールをはじめとするアルコール飲料諸君、スマン!裏切り者と言わないでね。長い間の付き合いだったじゃない、少しは嫌いになったりすることもあるよ。また付き合い始めたりする可能性も無きにしも非ず。もともと嫌いじゃないんだから。

 

しかし溺愛はしそうもない。そういう運命だったんだと考えよう。世界保健機構によると、世界の平均寿命を縮めている3大要因は高血圧、喫煙、飲酒である。酒は百薬の長、でもそれは11合までである。そこで止められなければすっぱり止めよう。高校生の朝はなかなか悪くないぞ。

 

もう忘れましょ。

 

 

 

 

無視する人々(春なのに)

今日は暖かだった。夕方の散歩に上着を着ずにでる。数ヶ月ぶりだろう。加圧トレーニング用パンツをはいてその上に少し大きめのズボンを着用する。ウォーキング用の踵がういているシューズをはく。完全にトレーニングだ。愛犬の散歩でなく、僕に付き合ってもらってるようなものである。

 

夕方は頻繁に犬を散歩させている人々に会う。犬なり、人なりのコミュニケーションがかわされる。

 

僕は朝の散歩は、雨が降ろうが雪が降ろうが豚が降ろうが、ここ8年ばかり休まずやっている。時間帯は微妙にずれるのだが、だいたい朝お会いする人というのができてくる。その中で2、3人、ここ数年、時々会うのだが挨拶を交わさない人、というかみんな男だな、がいる。

 

何回か顔を合わせていると、そろそろ挨拶をしなくちゃな、というのが共通認識で出来てくるのがわかるが、それらの男の人たちは避けているのである。眼をあわさない。僕は自分から挨拶をするという行動に打って出るのだが、そのときはレスポンスがあっても、別の朝にお会いするとむこうからは絶対挨拶はなく、こちらがしない限り初対面の人々のようにすれ違う。

 

これってなに?僕が胡散臭いわけ?怖いわけ?自閉症なの?スポーツウェアを着てウォーキングをしている方もいるのだが、わけわかんねぇ。一見インプレッションはみんな似ているけど。つまり冗談を言っても反応に困られるような感じ。

 

まあいろんな事情があるんだろう。確かに俺は起き抜けで髪くしゃくしゃだし胡散臭そうに見えるかもしれんな。でもな、と俺は思うのである。大人の一つの尺度は、見知らぬ人とどれだけうまくコミュニケーションがとれるかということだぞ。みんなどう見ても僕より年長であるが、しっかりしてちょんまげ。

 

とはいっても、いろんな方がいるのがこの世の常で、それでこそ世界は面白いというのもわかっております。かくして翌朝も微妙な緊張感をやり過ごしてから出勤するのである。

 

 

 

挨拶しろよな!

 

 

朝礼で話したこと

僕が目で見ているこの世界と、あなたが見ているこの世界と、全く同じものだという保証はどこにも無い。僕が赤と感じているこの色と、あなたが赤と認識しているこの色が、全く同じものだという保障は無い。あなたの赤は僕の黄色かもしれない。

 

この世界は極めて主観的なものである。同じ世界が、ある物事の受け取り方を変えるだけで大きく違うものに変化するのは誰でも知っている。この世界を作り上げているのは誰でもない君自身なのである。

 

だからこの世界で起こることは常に君に責任がある。あれが悪いのも、これがうまくいかないのも、あいつやこいつが原因なのではなく君自身が悪いのである。この世界で起こることはすべて自己責任。作り上げている君に問題があるのだ。変えたければ自分自身を変えることである。他人を非難しても何も変わらないのだ。

 

             池岡診療所詭弁論部部長 着ぐるみ院長(でもほんとだよ!)

 

 

 

 

 

 

 

あーあ・・・

レーシック手術で感染症が起こったとニュースにあった。あるクリニックで4ヶ月の間におこなわれたレーシック手術のうち約10分の1の患者さんに角膜感染などが起こっている。手術器具の滅菌などが不十分であったことが原因らしい。

 

すべての報道を知っているわけではないのでいい加減なことは言えないが、全く初歩的且つずさんで、まああきれる。多くの医者が同様の感想を持つだろう。最初の患者さんにトラブルが発生した時に(あってはならないことだけどね)しかるべき手を打つべきだし、それをそのまま3年間も滅菌装置のメインテナンスや点検はしていなかったというのは、院長である彼に何かが欠落していると言わざるを得ない。

 

今後どのように対応されるのか、クリニックはそのまま続けられるようだが、誠意のある行動を期待したいものだ。今後医師会や学会が何かのアクションをすると考えられるが、自主的にレスポンスすべきだと思う。

 

信頼は金よりはるかに大切な、得がたいサムシングなのである。

 

僕も受けようか考えたことあったけどねー

7割は弱気

神経伝達物質のセロトニンは最近いろいろ注目度が高い。

 

欝病では脳内のセロトニン不足が指摘されており、それの再取り込みを抑えてセロトニン濃度を上げることでうつ病を治療するSSRIは治療薬のファーストチョイスとなっている。アメリカではハッピードラッグとかとも言われている。セロトニンは心の平静さとか安寧だとか、そういうのに関係するのだ。また同じ意味で神経質さにも関係するといわれている。

 

セロトニン・トランスポーター遺伝子というのがあって、これはセロトニンの伝達に関係する遺伝情報が書き込まれた遺伝子である。当然、その変化はセロトニンのもたらす精神状態に関係する。この遺伝子は神経質さ、不安に特に関係することがわかっており、別名不安遺伝子ともいうのだ。

 

L型とS型があり、血液型みたいなものであるが、その組み合わせは神経質度に深く関係する。SS型は弱気で臆病、神経質。LL型は楽天的で強気。SL型は中間。

 

アメリカ人はSS型は20%程度だが、なんと!!日本人は70%がSS型らしい・・・うなずけるよなー。欧米の研究者にとって日本人は生まれつき臆病というのが定着しているとある本に書いてあった。いわゆる引きこもりは日本と韓国でしか認められないというのも関係しているのかもしれない。

 

でもね、もともとの遺伝子がどうであろうと環境によりその表現は変化するのだ。その影響の割合は4:6で環境が強いといわれている。遺伝子は参考、本命はやる気であります。だから生きる意味があるのだ。別に無理して強気になる必要はないけどね。

 

 

                こうなっとる(らしい)

                

未来を予測する一番確実な方法

 昨日、抗加齢ドックを受けに宝塚から中年男性がおみえになった。

体調に特に悪いところはない。

 

 「なぜ抗加齢ドックをお受けになろうと思ったのですか?」

 「えー、単純にいうと健康オタクなんです」と、にんまり微笑みながら答える彼は大変勉強熱心な方であった。

 

 血管年齢を測るのに用いるPWVCAVIの違いもご存知であったし、体脂肪率が18%とかなりしぼられており、カロリー・リストリクション(栄養はちゃんととってカロリーのみ制限する最近話題になっている長寿法のことね)の話をしようとすると、「ああ、カロリスね」(最近その長寿法を実践しようとする団体、カロリスジャパンができた。でもカロリスというのはまだ業界用語の域を出ない気がするのですが)と驚くべき反応を示した。この言葉を知っている医者がどれ位いるだろうか?

 

 彼との話は大変楽しかった。抗加齢医学に興味を示されるのは女性の方が多いのだが、彼のようにマニアックなタイプは男性に多い。世間一般でいえば男性の方が健康維持に無頓着なのであるが。

 

 自分の健康に関してはマニアック過ぎるということはないと僕は思う。大体人間、身体と頭が健康であれば大概なんとかなる。そんな大事な健康の事をおろそかにしてなにをしようというのだろう。喫煙、アルコール過飲と自分で健康を損ねるようなことしていて、いったい何を損したといえるのだろうか。

 

 僕が医者になってよかったと思うことの一つは、自分の健康管理に責任が持てるということである。抗加齢医学の専門医は、実は自分に役立てるためになった、というのが多いのだ。僕もそうだけどねー。医者の不養生は避けなくてはならないのです。

 

 未来を予測する一番確実な方法は自分で作り出すことである。健康に年をとることは成り行き任せでなく、計画して実行することで確実になるのです。僕は彼に100歳まで身体も頭も元気で楽しく生きていただくよう頑張ってお手伝いをさせていただくつもりです。そのつもりでいる方にはプロとして応えなくっちゃね。

 

カロリスの権威 Leonard Guarente, Ph.D