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イエスタディ アンド トゥディ

昨日の日曜日は朝9時から夕方7時過ぎまで地域連携抗加齢医学研究会に出る。抗加齢医学会より臨床的な研究を進めていこうと東海大学教授の久保先生が立ち上げた研究会。以前は東京抗加齢医学研究会だったが、今回各地域でやっていこうという趣旨の元、大阪の高島先生が中心となり第1回が大阪で開催された。

 

もともとは小ぶりで内容の濃い研究会だったのだが、第1回の大阪大会は町興しをしたいという高島先生の意向があり、気鋭の研究者というより各領域でポピュラーな方が10名ほど講演。オリンピックメダリストの朝原選手の講演もあり、規模を広げてどちらか言うと一般の方々よりの会であった。参加した医者の数も少ない感じ。

 

準備の段階で当院も少しお手伝いをしており、責任者である高島クリニックI君の奮闘振りも印象的で、会の成功が気になっていた。内容に関しては近畿大学の山田先生や久保先生の講演は大変面白かったが、もう少し手をかけて欲しかったなという先生方が多かったのが正直なところ。この会が成立するまでなかなか複雑な事情もあり本当に関係者の方々の努力は大変だったのだが、それに報いるだけの内容に達していた方は・・・。少し残念。

 

会が終了後ヘルシーパスのT社長、Iさん、G and G社の酒豪T部長、当院のM君と飯を食いにいく。気心の知れた優しくも優秀な方々ばかりでいつものようにリラックスし、それなりに情報収集もし、楽しく笑って終わる。お疲れさんでした。

 

で、今日は最近続くインフルエンザ攻勢で朝の8時半から夜の8時半まで1時間休憩しただけでずーと外来をする。以前だとぐったりして終わると何もする気がなくなっていたのだが、此の頃は血の滲む様な努力の末(うそ)、人生全般にわたり疲れない術を身につけてきたので、帰りも気力充実、思わずオープンで帰ろうとライダーズ・ジャケットを着たのだが、外気温が9℃だったのでさすがに止めた。雪みたいなのまで降っている。つい2日前まで夏の陽気だったのにさ。

 

診察中に高島クリニックのI君から電話がかかった。お疲れのI君の労をねぎらう。次回もよろしく、期待してるよ!

 

朱夏

 インフルエンザが爆発しています。

 

 月、水と11時間くらい外来をする。今日木曜も午後5時終了予定の午後診が終わってクリニックを出たのは7時前だった。

 

 用事があって車で出かける。今日は夏みたいな陽気だった。夜、この時間でも車外の温度は22℃となっている。この季節には皮のライダーズ・ジャケットを車に積んでいて、オープンにするときはそれを着ていたのだが今日は必要ない。Tシャツに長袖の軽いトレーナーを重ねて着て全然寒くない。

 

 オープンで高速を走っていると海の匂いが漂ってきた。気温が高いせいだな。冬に向かう時期に夏を連想するのも妙な話だが、潮の香りは否が応でも夏である。暴走する青春、波打ち際での抱擁、唇に塩と砂の感触、である(よくわからんが)。なんとなく眉を寄せて運転していた気がするのだが、顔の筋肉がほぐれていく。愁眉を開く、という感じね。

 

 心はいつも夏の真っ只中。こういきたい。青春は過ぎましたが朱夏です、今は。

 

サーキットの娘

 24時間子供化計画を遂行しつつある。それは、①早寝早起き ②時間割どおり行動する ③酒は飲まない ④デートは公園でアイスクリームを一緒に食べるに留める、などである。で、今日は朝5時に起きる。忘れていた算数の宿題、じゃなかった介護保険意見書やその他書類を仕上げる。こんな頭の働くときはもうちょっとクリエイティブなことをしたほうがいいな、と時間割の悪さを悔やみながら。

 

 阪神高速が一部通行止めになっているから、いつもより早めに家を出る。案の定、驚異の渋滞に巻き込まれ、しかも考え事をしていて、ここがポイント!の出口を通り過ぎてしまう。ここ78年したことの無かった遅刻確定である。朝に入っている検査や予防接種変更の連絡をしながら、なんでこの時期に、大掛かりな工事をするかなぁーとウンザリする。あと1週間かよ。

 

 加藤和彦氏が亡くなった。とても信じられない。もっともそんなことから遠い人だと思っていたのに。一時かなり好きだった。物の選択眼、そして生き方にポリシーがある、当然おしゃれである、当然才能がある、なんて僕のお手本だなぁと思っていた人たち、伊丹十三氏、景山民夫氏なんかもみんな不自然な形で死んでしまった。なんでかなぁ、こういうタイプは生きにくいのだろうか。

 

 その他もろもろ、些細なことも一杯重なって、まあなんとなく心が晴れない。カーステレオをガチャガチャさせていると奥田民夫君がかかった。「サーキットの娘」。♪笑って、笑って、笑って、黙って、誘って、あしらって。スマイル、スマイル、スマイル、しびれる、あきれる、スタイル♪ ガンガンのギターと調子っぱずれの叫ぶような歌声、おお、これだっ!と少し元気が出る。

 

 スマイル、スマイル、スマイル、この言葉ほど元気が出る言葉は無い。しかめっ面はなにも産み出さない。大笑いする小学生で行こう!と子供化計画を思い出した。明日からこれに専念よ。

 

イエーッ!

1周年

 今日14日はクリニック移転1周年記念日であった。僕は全く忘れていたのだがスタッフはちゃんと覚えていて、ささやかにケーキでお祝いした。

 

 もう1年なのか・・・移転はすごく大きな決定だったのだが、動いてしまうとその波に乗って知らぬ間に時の流れに運ばれてしまう。問題は後から後からわいてくる。あれを片付け、これを押し込み・・・人生とはクレーム処理の連続であるという言葉もあるが、それだけでは終わりたくない。確かで美しいものを残したいと思う。

 

 実は今でも残りつつあるものがある。

 

それは優秀でやる気のあるスタッフ達。移転して得た一番大きいものは彼らなのです。

 

亀もラッキーシンボル

希望のアフリカ

連休に元々休みの火曜日が加わり、僕は3連休でした。といってもどこかに出かけるわけでもなく引きこもり状態だったのですが、おお、さすがに休みでがあったぜ!と思います。

 

大体昔は休みの時に出かけないと人生を無駄にしているような気がしたのですが、此の頃は家で本を読んだり音楽を聴いたりしているのが至上の快楽です。外はいい天気、小鳥の声や金木犀の香りをほんわりと含む風に吹かれたりしながら本を読むこと以上の快楽が他にあるのでしょうか。

 

で、結構読みました。カズオ・イシグロ「夜想曲集:音楽と夕暮れをめぐる五つの物語」、奥田英朗「オリンピックの身代金」、斉藤孝「全身発想法」、蛯名玲子「心に響く保健医療者のコミュニケーション術」などなど。読みきったのもあり途中なのもありですが。

 

単行本の間に雑誌も読む。久し振りの「GQ」「Brutus」とかいったとこですが、「GOETHE」というのも買いました。24時間仕事バカへ、というのがメインテーマの雑誌です。24時間仕事バカねー、もう古いんちゃうん、とか思いながらも結構売れてるみたいだし、今も昔もワーカホリックは一杯いるし、内容もなかなか共感できるところも多く、幻冬舎は目の付け所が違うなぁ、面白かったです。

 

仕事の、人における位置づけというのは各々でかなり違うと思います。僕は仕事はゲームや趣味で得られる興奮を人生というスケールで感じられる点で最も面白く、まあ24時間仕事バカでいいや、と思ってるような人間ですが、こんなことを考えていると少し思い出すことがありました。

 

父親が今の僕くらいの年齢だったとき、父の友人から1枚の葉書が届きました。大学生だった僕もその方は存じ上げていたのですが、こんなのが来たと父親は僕に葉書を見せてくれました。

 

今でも覚えているのですが、「開業医として20年近くやってきましたが、思うことあり、廃業してアフリカに行くことにいたしました。向こうで仕事をするわけではありませんが、今までの人生で出来なかったこと、やりたかったことを実現しようと思います。苦労も多いかと思いますが楽しみにしています」といった意味のことが書かれてありました。

 

おお、僕は仕事バカでも、希望のアフリカがないのは淋しいと感じます。僕にとってのアフリカはどこか?それを考えながら仕事をするのがこれからのテーマだな、と思いながらこれを書きました。

 

台風がやってくる

台風がやってくる。

 

この10年、上陸した中では最強という頼もしいやつらしいが、ビジネス・ゴーズオン・アズ・ユージョアル、いつもと同じに(といってもかなり早めに)出勤である。

 

昔読んだ片岡義男氏の小説の中に、台風の最中、わざわざ車を出して(でっかいアメ車だ)町や海の様子を見に行くというのがあった。台風ウォッチである。若かった僕はどういうわけかそれがとても気に入り、実際に敢行したことがあった。勿論ひとりではなくガールフレンドとである。

 

風の音だけがやたら大きく響く、人っ子一人いない夜の町は、看板がひっくり返っていたりいっぱい紙くずが飛んできたり、それはそれで異次元の世界であった。結構楽しめた。

 

今はそんなことをやろうともあまり思わないし、付き合ってくれる人もあまりいないだろう。そう思うとちょっと寂しい。年齢を感じるのはこういうときだ。

 

Macの創始者であるスティーブ・ジョブス(僕と同年齢だ)は病気から再起したときの演説で、Stay hungry, stay crazy! と言った。彼の言ったクレイジーは勿論台風ウォッチをするようなことではないが、でもちょっと繋がってるな。

 

いくつになろうと、飢え、気が狂っていたまえ! 君たち、そして僕よ。

 

 

 

 

 

ホリディ

 今日は火曜日で仕事は休み。宿題が山積みで、朝いつも通り起きて愛犬と散歩し、その後机に向かう。

 

 休憩中に読んだ朝日新聞の記事。「脳卒中 病は気から」・・・人生に絶望する気持ちがあると頚動脈に病変が起き、脳卒中や心臓病を起こす危険が高いことが米ミネソタ大の研究でわかった。「ストローク」の最新号に掲載された。中高年女性559人が対象で、人生に最も前向きな集団と、最も絶望感が強い集団とでは頚動脈の厚みに有意の差があった。

 

 精神神経免疫学では病は気からというのは科学的に実証されている。うつ病の人に循環器系の疾患が多い。自律神経の破綻から内皮障害をきたす等の説あり。

 

 悲観はイカン。悩んでいるのはふりだけにしよう。どうしようもないことはほって置く。方針が見えているものは他人を気にせず実行あるのみ。

 

 午後に1時間ほどまた愛犬と散歩に出ただけで、1日パワーポイントを考える、学術雑誌を読む、昼寝する、コーヒーを飲む、を繰り返す。ずっと音楽が鳴っている。とても幸せ。脳卒中ははるか彼方。

 

1日は早い。

同級生

高校の同級生とゴルフに行く。2組集まったのだが、そこでびっくりする話を聞かされる。

 

ほんの数日前に同級生が亡くなったのだ。彼は優秀な精神科医で、ある事件に巻き込まれていて(新聞にも載るような)、そのことで僕もメールをしたのだが少なくとも返事の文面上は元気そうであった。だけど突然ちょっと複雑な亡くなりかたをした。

 

数年前の同窓会で本当に30年ぶりくらいに会って、その時中学1年の時の臨海学校で僕がよく足がつった話(その時よく一緒にいたのだった)を楽しそうにしてくれて、僕も嬉しかったのだ。その後も何回か会ったのだが、とても頭がよくてパワフルで、エキセントリックなところも少々あったのだが、心の優しい、その分少し生きづらそうな感じを受けた。 

 

全員絶句した後、

「死ぬ気やったら何でもできるやろー。何してんねん」

「ほんまや。おまえなんか何やっても絶対死ねへんな」

「そうや。俺ぜったい人のせいにするもん。すべて他人のせい。ゴルフやったらクラブの 

 せい」

 

などと言っていても元気はない。

 

その瞬間に何を考えていたのだろう。

 

夕方、風に吹かれて月を見る。「君が死んでも世界は変わらない。でも君が生き続けていると世界は変わるかもしれない」という言葉を思い出した。優秀な彼にふさわしい。でもこんなこと何の慰めにもならないなぁ。心の中は他人には判らない。

 

本当に残念。いろいろな意味で。

 

 

ランチ・トーク

 お昼休みの僅かの時間に外来スタッフのM嬢と昼飯を食いながら雑談をする。余はいかにして男性ジャズボーカルを好むようになりしか?

 

 「男性のジャズボーカルって聴いたことないです」

 「まっ、少ないからね。僕が何故男のジャズシンガーが好きかというと、この効率だけ  

  の世の中において彼らはそんなものと無縁な感じが濃厚にするからだ。いやな仕事だ 

  とか期限とか、そんなものとは無縁で、つれない女性とかうまくいった恋愛だとかラ

  ブソングだけを歌う。女性が歌ってもなんとなくそんなものかと思うが、男が歌うと

  一般世間とは次元が違う感じがするのだ。そこだ。そこが好きなの」

 「日本の人であまりいないですよね」

 

 とそこから話はどんな爺さんが好ましいかという話になる。彼女は俳優とかよりも一般の人のほうが年がいった場合素敵な人が多い気がするという卓見を述べる。確かにそうかもしれぬ。

 

 「おしゃれな人がいいですね。私帽子が似合うおじいさんが好きなんです」

 「(いろいろ好みがあるものだ)あのさ、そういうじょーひんな感じの爺さんと、ロッ

  ケンロール!と叫んでるような不良ジジイとどっちが好き?」

 「上品な方」

 「そうですか・・・」

 

 といいながら気がついたのだが、僕は不良ジジイの方が好きなのだ。髑髏のTシャツを着ているようなロックジジイ。そして僕が忌み嫌っているのは小市民的なもの、世間様がとか、みんなはそうしているとか、そういうやつであることがはっきり判ったのである。そしてそれは僕自身が小市民的だからだ、ということにも気がついたのだ。・・・・激しく反省した。

 

そんなことはどうでもいいよと空の雲

甲子園の思い出

お盆である。僕のクリニックは来週に3日ほどお休みを戴くことにして、今週は平常どおり診察している。診察室の中はいつもと同じ、ビジネス・ゴーズオン・アズ・ユージョアルですが、外は人通りも少なく、リラックスした夏モードの人がちらほら。

 

木曜日は5時半には診療が終わり、用事もあって早めに帰宅する。車で甲子園球場の前を通ると(通り道なのです)、人がいっぱいいて、ああ高校野球なんだと思い出す。

 

もう20年以上も前だけれど、甲子園夏の大会中に、僕は夕方芦屋の浜を散歩していた。なぜそんなところにいたのか判らぬ。謎である。記憶に定かではないが、ともかく歩いていたわけよ。

 

すると野球のユニホーム姿の若者たちが10人以上浜辺のテトラポットのところにたむろしていた。マネ―ジャーらしき制服姿の女生徒もいたような気がする。胸の○○高校という文字を見て、今日のお昼に試合のあった高校だと気がついた。なんでこんなところにいるのだろう(甲子園浜と芦屋浜はほとんどつながっているが)、レギュラーじゃないのかな、という気もした。

 

するとその中の一人が大きな声で「あーあ、負けちゃったよ」と楽しげな感じで叫び、笑い声が起きた。みんな屈託なく冗談を言い、なんかとても楽しそうであった。彼らは草野球で負けたような感じで授業のこととか友達のこととかも話していて、よくある毎日の放課後のような感じであった。

 

実際彼らの高校は敗退したのを後で知ったのであるが、その当時高校野球は、全力投球、負ければ悲壮感漂うというのが僕のイメージであって、彼らの態度は心底意外だったのである。

 

でも全然いやな感じは無く、おお彼らは健全な、まともな高校生であると僕はとてもいい気持ちになったのである。まあ高校生は昔も今もこんなもんで、高校野球というマスコミによる違ったイメージが染み付いていたんだろうね。スポーツをする若者はこの方が自然だな。

 

試合は全力でも後はスマイル。高校野球を見ると、彼も試合後はこんなかな、と想像する。いいね。

 

夕暮れの球場と佇む人々