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手を丁寧に洗う

 今日日曜はずーと雨が降った。涼しい。もう夏は終わってしまうのかしらん。まわりでも風邪をひいている人が多いようである。

 という訳でもないが以前買っていた「かぜの科学」を読む。著者はジェニファー・アッカーマンという「ナショナル・ジオグラフィック」なんかに寄稿しているサイエンスライター。原題は「Ah-Choo!? ―The Uncommon Life of Your Common Cold」という気の利いたものである。

 一般的な風邪、common cold というものは医学部ではほとんど講義されない。少なくとも僕の時代ではそうだった。今はどうか知らないが、僕の患者さんの話を聞いてもあまり変わって無いような気がする。なぜなら大学病院の医者は風邪の患者さんが来ても通り一遍の薬しか出さないから。開業して風邪の患者さんがワンサと来てからいろいろ工夫するようになる。

 風邪に対する医学書というのもないなぁ。インフルエンザや肺炎はごまんとあるが、一般的な風邪、ライノウイルスが中心の、1週間以内に完治することの多い風邪というものに対しては、系統だった学問というのはないようです。一般的な医学雑誌でまれに特集されるくらいかな。

 で「かぜの科学」は、サイエンスライターらしい切り口で(実際に風邪薬の治験などにも参加する)、歴史から文献的な紹介までユーモアを交え、退屈させないで読ませてくれる。

 で結論だが、気になる特効薬は残念ながら、ない。予防として有効なのは①手を頻繁に洗う ②顔を触らない、これにつきます。手についたウイルスが(流行っているときは机や本などいたるところにウイルスがいる。それを触って手につく)顔から口に入るので、その経路を断つのが大事。治療として個人的にはかかったかなと思ったら出来るだけ早く(数時間以内に!)NSAIDs(抗炎症剤)を飲んで睡眠時間を長くとると悪化しない感じはあります。この本にも同様のことは書いてあった。

 手を洗うのは大事だなぁ。それも丁寧に洗うこと。石鹸を使い、指の間から爪まで丁寧に時間をかけて洗う。出来れば(公共の場であれば)蛇口も触らない、トイレのドアも肘で開ける、顔を触るのも右利きの人は左を使う方がいいと「かぜの科学」は主張するが、なかなかね。

 手を洗うというのは風邪を意識しているかどうかは別として、人によりかなり個人差があるようだ。ゆっくり手を洗うというのはなかなか上品な習慣のように思える。慌てないで、今までの出来事と自分を振り返りながら丁寧に手を洗う、これはレディの習慣であると書いてあった本を読んだ記憶がある。レディじゃない人も、これからの季節は丁寧に手を洗いましょ。

表紙はなかなか可愛い

 

真昼の怪談

 いやー、暑い!朝出勤のとき、7時チョイ過ぎでも30℃を超えてます。こんな時はこれ、これ。

 夏だ!ビキニだ!怪談だ!

 

 ランチタイムのいつものお喋りに、女性スタッフから。

 「昔某大学病院に入院したんです。3階に入院していたんですがちょっと用事があって上の階に行こうと、夜11時頃看護師さんの了解を得て一人でエレベーターに乗った。ボタンを押したんですが上にいかないで下の階に行くんです。誰もいないのにゆっくり1階ずつとまって地下3階までいった。そしてまた上がって元の3階で止まった。すると看護師さんが待っていて「どこ行ってたの!」と言うんです。剣幕に驚いていたら、すぐの気がしたのに実は45分もたっていたんです。事情を説明したら看護師さんは黙ってしまった。後でわかったんですが、病院の建て替えの前は地下3階に霊安室があったそうです。各階で止まって誰かが乗り込んで下まで行ったのかなぁ…」

 彼女はちょくちょくそれらしき経験をする人である。霊感のありそうな…。するともう一人の女性が、

 「六甲とか行くとよく出ますよね。車に乗り込んできたりとか」・・・ 「乗り込む!?経験あるの?」 「よくありますよー。夜景なんか見に行くと、とてもあり得ない場所に人影が立っていたりとか。車にも何気なく乗ってきたりとか」

 絶句!である。まだ大物がいた。彼女は日常的によく見るそうで、特に異常とは思わなくなってきた、そんなもんかぁ、という感じだそうである。友人たちには引っ越しの時とかよく頼まれるそうである。「誰かいない?」かみてほしいと言って。

 すると先ほどの彼女が、「結構いますよね。家とかむしろいないほうが少ないんじゃない?」「そう。でも悪さするのとか、そうじゃないのもいるしね」 「悪さって君になんかするわけ?」 「何もしないけど、見ていると頭が痛くなったり息が詰まったりするときがあって、これは悪い。」

 もう人生観が根本から引っくり返るような話である。一緒に話を聞いていた「もうすぐ結婚改めバタフライK君(高校時代にバタフライで県大会まで行ったことが判明したため改名)」も驚愕の表情である。実は僕は最近、工藤美代子氏の「もしもノンフィクション作家がお化けに出会ったら」という本を読んだところで、ふーん、こういう人もいるんだと今までの「ない!ない!」という姿勢が微妙にに変化していたところだったので余計に驚いたのであった。

 こういうことってあるんでしょうかね…。案外何人か集まると大概そういった能力を持った人がいるようで、結構一般的な気もする。僕は「幽霊の正体見たり枯れ尾花」、基本的にありえないと思うのですが、この世界は自分の頭の中で理解しているだけでみんな同じように見えているという保証はない。絶対値ではなく、世界の存在は各々で違う可能性もある。気配を感じる能力差なんてのもあるだろうし。科学的に解明出来たら面白いなぁと思うのでした。でも僕には出ないでね。

 

「無銭優雅」

 好きなものがあるとランクをつけたくなる。昔から「無人島に持っていくレコード10枚」とか「10冊」とかのアンケートがあるが、自分でも時々考えてみたものだ。

 好きな作家の部門で最近急上昇中なのが山田詠美氏です。彼女の「僕は勉強ができない」「放課後のキーノート」という、高校生を主人公にした2冊はすごくすごく好きで大切にしていた(若い人が主人公の本は、なぜか大切にしようという気になる)。郷愁なんかでは無論ない。僕の高校時代とは違いすぎる。カッコよすぎる。つまりは主人公が好きなのである。憧れてしまう。そして彼らがどんな大人になるか、未来を含めて大きく展望が開けてる感が気分がいいんだろう。

 で、実はそれ以外はあんまり読んでなかった。山田詠美といえばなんとなく男女間のセクシュアルなどうのこうの、というイメージがうっとおしかったのね。しかし実は彼女の作品はもっと幅広く深いというのをやっと最近知ったのである。

 「無銭優雅」という小説。4年ほど前の書き下ろし。40代男女の恋愛話。帯に「心中する前の日の心持ちで、付き合っていかないか?」と書いてあります。 おおっ。 「恋は中央線でしろ!」ふーん。中央線のイメージは関東じゃないからわかりませんが、言いたい感じは判ります。で、この本、シリアスじゃなく実に軽やかです。実にいい感じ。そして気が付いたのが、帯もそうですが名文句満載、アフォリズムの宝庫であるということ。ぱらっと本を開いてみただけでもだなー・・・

 

 「だって慈雨ちゃんて、よくぼんやり考え事してるでしょう?考え事の似合う人って、恋に合ってるような気がするの。あ、ただし、しっかり考える人じゃなくて、ぼんやり考える人ね」

 ここで断言する。恋を進展させるのは、物理的条件である。・・・(院長より注釈。遠距離は難しく会う機会が多い方がいいってことだ)

 「二人とも年を取り損ねている感じがした。ちょっと、羨ましかった。この年齢で、現実に噛み付かれていないたたずまい保つのって、技がいるものね」・・・(院長注釈。Reality bitesという言葉があります。きびしい現実にやられるってことですね)

 

 などなど。おおっ思う言葉、よくこんなに深く感じられるなというセリフが一杯でござる。彼女はこういったセリフをかなり意識して小説にいれているようだ。行為もそう。主人公の姪に、二人の名前を相合傘で書いてあるのを見つけられるというシーンがあります。相合傘だぜ、おいっ!まだ生きていたのかー。うーん。暴走してます・・・

 で、ほんとに素敵なラブストーリーでした。悩める中年の(じゃなくても)男女にはこの本をお勧めする。Strongly recommended ! ですね。

 

 

 

 

 

 

 

みんなのデューク

 次の患者さんを診ようとして前回の電子カルテを眺めると「17年飼っていた愛犬が死んで落ち込んでいる」と書いてあった。そうだった。Nさんは1ヶ月前それで元気がなかったのである。

 「少し元気になりました?」 「あきませんわー、今でも思い出して」と、もう少し涙ぐんでいる。火葬しお骨を仏壇に飾り、気持ちの上では納得していても他の犬が元気に走っているのを見ると、心がじんわりと重くなってくる。

 「しかたないよなー、17年もいると」 「そうですわ。でもね、私いつか生まれ変わってくると信じてるんです。」 「・・・?」 「いつかよう似た顔で、かわいい男の子が近くに来たら、ああ、あの子や、と判る気がするんです。それを楽しみにしようと思って」

 江國香織氏の作品に「デューク」という有名な話がある。亡くなった犬が少年に生まれ変わり、飼い主の少女に会いにくるという話である。こう書くとふーんって程度の感じだけど、これはねー、泣くよ。すごく素敵である。 短編集の中の話だが、これだけ独立して素敵な挿絵をつけて1冊の本として出版されたくらいである。 犬を飼った人なら誰でも泣く。 Nさんは多分「デューク」のことは知らないと思う。でも犬好きの人なら同じようなことを考えるのだと思った。

 僕の愛犬も11歳だ。中型犬だし後何10年も生きる訳ではない。前ほど走らなくなってきたし。

 亡くなったりしたら絶対いやだなと思っているが、生まれ変わるとしたら少し心が休まる。ある時街で憂い顔の美少女を見つける。横顔が誰かに似ている。思い出せない。向こうから嬉しそうに寄ってくる。何故?知り合いらしいが記憶がない。失礼のないように、思い出そうとして少し一緒に歩く。誰かがアイスクリームを食べているのを見ると急に彼女はやたら反応する。近寄っていこうとする。おいおい、ちょっとみっともない。犬顔の人とすれ違うと寄っていこうとしたり、極端に避けたり。道端の花を見ると匂いを嗅いでいたかと思うと急にかぶりつく。 「えー・・・・、あっ!」

 ということになると人生は楽しい。 そして僕も何かに生まれ変わる。あなたの飼っている猫がゴルフ番組の時だけテレビに興味を示したり、70年代のロックミュージックがラジオから流れた時だけ楽しそうな顔をしたら・・・あやしい。

 

読書の初夏

 今日のお昼は夏の風が吹いていた。「仕事なんかしてる場合ちゃうで!」とちゃらけたことをぬかしながら往診に行ったのが嘘のように今は雨が降っている。

 

 連休は本をよく読んだ。その中の1冊、村上龍氏「心はあなたのもとに」。新聞の広告で「村上龍、12年ぶりの(だっけ?)ラブロマンス!」なんて書いてあって、村上龍、気でも狂ったか!なんて思いながらも(しかしラブロマンスなんてあっただろうか?)興味があって買ってしまったのであった。まぁファンだからたいてい読む。

 大作です。554ページ、ぎっちり。ラブロマンスなんぞといいながらも、投資組合を経営する「わたし」と風俗嬢サクラとのお話ということで、あーあ・・・という気もしたのですが、なかなか印象的ないい話でした。どっちかというとストーリーよりディーテルが。でもこれ完全に私小説ちゃうの?

 サクラさんが1型糖尿病だったり、投資話の中心となるのが医療畑だったりと、最近の村上龍氏の興味がうかがえます。よくある男女のぐちゃぐちゃが中心で、氏の奇想天外なストーリー展開はない。

 しかしなんか年取ったなぁ。好きだった無茶な威勢良さはない。ロジカル。と言いながらも退屈せずに一気に読んじゃったのはリアリティのせいか。なんか肌合いが合うんだろうなぁ。何年かしてもう一度読むと印象が違う気がするので本棚には置いとこうと決める。

 

 もう1冊。「アフォリズム」ロバート・ハリス氏。この人は何をしているかよく判らない日本生まれのイギリス人クゥオーター。しかしインテリ・ボヘミアン、ハンサム・アンド・ワイルドというのが僕の印象で、ちょっとこういう人になりたいな、という感じの人です。

 彼は昔からアフォリズム(格言とか警句とかいったもの)が好きで、今まで収集したそれをまとめたもの。さすがにひねりが効いている。気に入ったのを少し…

 「男は男のフリをしている少年であり、女は少女のフリをしている女である」(作者不詳)

 「勝者と敗者の唯一の違いは風格である」(ニック・ザ・グリーク・ダンダロス)

 {すべてを過剰に!人生の風味を味わうには大きく齧らなければだめだ。節度など坊主のためのものだ」(ロバート・ハインライン)

 なかなかイカした言葉が満載です。こいつも本棚に残しとこ。

 

 仕事上読まなくてはならない本もいっぱいです。考えてみれば幸せなことだ。晴耕雨読。こう生きたい。

  龍              ロバート

 

蕃東国年代記

 「世界の果ての庭」という小説は大好きであった。

 2002年に第14回日本ファンタジーノベル大賞を得たこの小説、4つの全く違う話が同時進行し、いつか夢のように終わってしまう。雰囲気といい文体といい、僕の好みのど真ん中であった。何の気なしに手に取ると、何度か読んでいるのにもかかわらずそのままずるずると最後までいってしまうという小説が僕にはいくつかあるのだが(村上春樹氏や倉橋由美子氏の短編とか片岡義男氏の「僕のオートバイ、彼女の島」とか)、この小説はその最愛カテゴリーのかなりいいポジションを占めていた。

 著者の西崎憲氏はくしくも僕と同年齢で、何冊かの翻訳書はあるが小説はこれだけである。何年か前から時々書いてないかなぁーと検索していたのだが新作は全く出なかった。

 で、この土曜日、会合の前にまたまたふらりと本屋さんに寄ったのだが、そこで「西崎憲」の名前が飛び込んできたのである。「蕃東国年代記」The chronicles of Bandon。 なんじゃこりゃ?

 ファンタジーです。蕃東国は日本海に位置する国家で首都は景京。時代背景は平安時代かな。もともと倭国(日本ね)の移民からなり、言葉の違いはフランス語とイタリア語の差異程度。文化は唐と倭国の影響を強く受け詩や謡が盛ん。文化国家ですね。そこの中程度くらいの地位の貴族、宇内(うない)とおつきの少年藍佐(らんざ)の冒険物語である。

 すべて創作だが地図、蕃東国の研究論文、学術書からの引用などがちりばめられ、実際に存在する国の話のようである。その時代にふさわしい妖怪、異形の人物が跋扈する。

 全然子供っぽくないです。単純じゃない苦味や不条理、大人の小説。5つの話からなるが、第1話「雨竜見物」を読み終えた時点で止まらなくなり完読してしまう(池に産卵された竜が、成長して初めて雨に乗って天に上るのを見物する話。見物客で野外コンサートのような賑わいになる。ラストにこう来るか!というエピソードが入る)。宇内はちょっとやんちゃで魅力的な人物ですが、他の登場人物もかなりのもんです。村上春樹氏や倉橋由美子氏の短編のなかにも同じようなテイストのものがあり、ちょっと不思議でクールで、ビジュアルに美しく自然を感じさせるというのが好みなのかと思う。

 いや面白かった。生まれ変わるなら平安時代の貴族がいいな。

こういうのって映画にしたらどうなるかとすぐ考えちゃうね。

 

 

 

 

世界征服は可能か?

 おお、もう2月じゃないか!愕然とする。

 1月はやたら忙しかった。外来もそうだが、週替わりにやるべきことが魔法のように出現する(保健センターでの講義とか在宅医学会の抄録とか、考えてみれば前もって準備できることなんだ。でも忘れていたり、締め切りが急に早まったり)。週末も全部新年会でつぶれたし(こいつも考えてみれば行かなきゃいいんだが)。

 忙しい、忙しいと言ってるやつが仕事ができたためしがない。カッコ悪いからやめよう。

 で読むべき文献をわきに置き、読みたい本をせっせと読む。岡田斗司夫氏の「世界征服は可能か?」を読む。こいつは面白い。子供化の一部のようにも見えるが、これは組織論として勧めている人がいたので読んだのです。世界を征服する目的、手順などまじめに(でもないか)述べられているが、何のために世界を征服するかとか、征服後の統治が問題とか、結構考えさせられる。

 で、この本のキモは最後の10ページ、結論の部分。世界とは何か?この我々が生きる世界とは「現状の価値観や秩序の基準」のことである。そしてそれは「自由主義経済」と「情報の自由化」である。この二つには暗黒面がある。「貧富の差の肯定」「個人から信念や価値観や考える力を奪い社会風潮やネット内の流行で生きることを当たり前とする文化」。

 それを破壊することが世界征服なのだ。人にやさしく環境にやさしく。良識と教養ある世界をめざすこと .現在の「幸福」と「平和」にノーを言うこと。世界征服は可能です。

 ということになる。発想、視点の転換ですね。岡田氏の本は2,3冊読んでいるがいつも面白い。彼が終始一貫主張していることは、我々が持っている価値観は洗脳されたものではないか、ちゃんと自分自身の頭で真剣にしっかり考えよう、ということだと思う。

 今の生活を続けながら世界征服を夢見よう。時間に流されないように。

 心するように(もちろん自分に言ってる)。

 

2時間くらいで読めます。

 

スティーブ・ジョブス

 少し前の話だけどアップルのスティーブ・ジョブス氏が病気療養のため無期限の休職に入ったという報道があった。今まで膵臓癌や肝移植などいろいろなトラブルに見舞われてきても再起してきた彼である。今回も再び立ち上がってほしいと切に思う。

 彼と僕は同年齢で誕生日も11日違うだけだ(ちなみにマイケルソフトのビル・ゲイツ氏も同じ年)。まぁ関係ないけどさ。だけど同世代だと、感じていることも近いのでなにかリアルに受け止める。

 彼は実際はなかなかイヤな奴というか、トラブルメイカーであるが、そこはあの業界で名を成した人はみんなそうで、アスペルガー症候群はシリコンバレーで働いている人の3分の1に当てはまるという説もある。彼がそうかはわからないが、社会性のある成熟した大人とはとても言えない。卓越したキャラクターは魅力的であるが実際に付き合ってみるとかなり疲れるだろう、たぶん。ここを見るだけでもその片鱗が判るから読んでみてください。

 友人に勧められて「スティーブジョブス・驚異のプレゼン」を読んだ。彼がアップルの新製品を発表する時のマスコミに対するプレゼンの仕方はカッコよすぎるのだが、それが単なるキャラクターでやってるのではなく、非常によく考えられたものであるということがわかる。そして彼は人任せにしないで、やりたいことは全部自分でやっちゃう人なのだな。短気なんだ、やっぱり。

 プレゼンの時必ず着ている黒のタートルネック。これも聴衆に与える効果を計算しているのだそうだが、実際にかなり本人が気に入っているのだ。それについてとても面白い話がある。僕はすごく気に入りました。

 彼が以前病気から再起した時、スタンフォード大学で講演し最後をこの言葉で締めくくった。

 「Stay hungry, stay foolish !」   

 そうでござると同世代の僕は深く同意する。そして必ずもう一度同じように講演をしてほしいと思う。

 

この人は禿げてからのほうがかっこいい。

仕事について

 今の高齢者は昔より10年若い。これは体力的なデータで科学的に証明されている。外来で拝見する方々も60,70みんなお元気である。

 引退は早いんじゃないの?

 「Happier」という本を読んだ。ハーバード大学で肯定心理学(ポジティブ・サイコロジー)を教えるタル・ベン・シャハーという心理学博士の書かれた本でその講義はハーバードで最も人気があり、全学生の2割が受講するそうである。

 従来の心理学は心の病を研究するものであるが、肯定心理学の焦点は心の健康にある(この点、従来の医学と抗加齢医学の関係に似ている)。単純に言うとどうしたら幸福になれるかということを学問的に研究するチャーミングな学問なのだ。巷にあふれる根拠の希薄な自己啓発と親しみにくい伝統的な心理学の間のギャップを埋める存在といえる。

 非常に面白い。ここではお金は幸福と直結しないということがはっきりと示され、我々が集めるべき究極の通貨は「幸福」であると。そのためのアイデアがいくつか示される。

 アイデアの一つとして、仕事が挙げられている。仕事は常に辛く、娯楽は常に楽しいというのは偏見で短絡的なアイデア(起源は聖書からだそうだ)であると結論付けている。しかり。アメリカ人は常に早く引退して余生を楽しもうと思っているというのは偏見であったようだ。

 説得力のある話が続くが、僕が言いたいのは、引退した方がよく口にされる「退屈だ。生きていてもしゃーない」という寂しいセリフは、仕事(これは自分にとってやる意義のある、つまり誰かが必要としていて自分の都合で勝手に休んだりできない作業ということになるか)を自主的に見つけることにより解消されるのではということだ。

 「年寄りに働ける仕事がない」とおっしゃる。条件のいい仕事はないだろう。しかし経済的にメインというのじゃなく自分が幸福になれる手段としての仕事はあるし作り出すこともできる。気持ちの問題。ブラブラしているよりいいんじゃないかな。

 若い人の就職難も、マッチングの問題で中小企業とかでは人手不足のところも多い。賃金や見栄でなく、自分が幸福に感じられるための仕事は必ず存在する。

 必ず。

今朝は寒かった。雪のなかの朝日。

残りの人生が最高の人生!

おお、いい本を読んだなぁ。デビッド・ブラウン氏著「60歳からの満喫生活」です。原題は The Rest of Your Life is the Best of Your Life というもので、こっちの方がいいね。

デビッド・ブラウン氏はハリウッド映画のプロデューサーで「ジョーズ」「コクーン」「ディープインパクト」「ショコラ」なんかを送り出しています。大物です。アカデミー賞も受賞しているのですが50歳半ばで詳しくは分かりませんが古巣を追われ、なかなかの苦労もされたみたいです。

この訳本は1991年のエディションを基にしており(彼はこの時75歳)、60歳からどんなふうに生きていけばいいか、気楽な調子で書かれたものです。1時間ちょっとで読める。

しかし!! 僕は仕事柄、老年期をどのように生きるか、この頃いっぱい出ているその手の本をかなり読んでいますが、この本ほど心にしっくりしたものはありませんでした。結構前に買っていて以前はそれほど感銘を受けなかったのですが、今手に取ったのは何か呼ぶものがあったからかなぁ。何の気なしに手に取り、まさに乾いた砂に水がしみこむみたいに文章が入ってきました。

日本の方が書かれたものは真摯な、しっかりしたものが多いのですが、正直なところ、書かれたご本人のようになりたいかと考えるとようわからん。しかしブラウン氏(デビッドと呼んだ方がしっくりくる)の、おいしいご飯を食べながら葉巻の香りとともに冗談交じりに深い声で話されるかのような人生の極意は、本当にそうだよなぁと深く肯けるものがあるのです。

デビッドは面白い。

頭が固くなるのは有難くない老化の兆候である。固くなるのは死後硬直だけで沢山だ。

「70歳を過ぎて目が覚めたときにどこも痛まなかったら、そりゃ君、寝ている間に死んだってことだよ」

私なんかも寂しいことに、もはや若い女が意味ありげな視線を投げかけてくることもないし、そして恐ろしいことに、バスに乗ると妊娠した女性に席を譲られてしまうのである。

くれぐれも無理は禁物。彼女の甘いキスが人工呼吸に終わらぬように。20代、30代のような荒業を成し遂げようと頑張るつもりなら、血液型と近親者を記載した札を首から下げておくことだ。

楽しい人です。鬱(黒い犬と彼は呼んでいる)に悩まされた時期も長かったようですが、運動やお金、旅行のことなど、本当に自分自身の経験から、頭でなくハートから出てきた言葉だというのがよくわかります。

ウィッキーペディアで調べたら、彼は今年の2月1日に93歳でお亡くなりになっていました。大往生ですね。デビッド、幸せにお亡くなりになられたことを心よりお祈り申し上げます。

この方です。風格ありますね。カッコいいです。