矯正の結果

 書かねばならない手紙を2通ほど書く。昔の人の日記なんかを読むと、仕事の前に5,6通手紙を書く、なんていうのがよくあって、日課みたいだな、よく書くなーと思っていたのだが、考えてみると今のメールみたいなもんだな。仕事前にチェックして返事を書かなあかんやつにカチャカチャと。で、もちろん僕の手紙の場合はメールのようにはいかない。サラサラなんてわけはなく、1通はワープロで下書きをして書いたぐらいだ。

 僕の場合は手紙を書く上において致命的、壊滅的、ハルマゲドンともいえる問題がある。つまりだなー、字が下手なのである。すごいよ。今は電子カルテだが、紙カルテに書いていた字は僕自身にも時に判読不能であった。で、丁寧に書くとこれがまた子供の字なのだなー。どうみても12歳以上の知能がある奴には見えない。まあ、正解なのでそれでいいわけですが。

 ぼくはもともと左利きである。それを幼稚園くらい(かな?)に無理やり直したものだからかなり長い間いくつかの数字やひらがなは鏡で写したように正反対に書いていた。脳の優位半球と利き腕は関係があり、矯正することで能力に問題が出る可能性があるので今は矯正しない。現在のぼくは矯正した例のいいモデルである。いいですかー、こうなっちゃうんですよ、昔はメチャクチャやってましたよね・・・もう遅い。

 少しでもましに書こうと思えば、自分にあった筆記用具が必須である。どういうわけかとてもましにかける場合がある。弘法は筆を選ばないが矯正した人間は(それだけが原因のワケないが)大いに選ばなくてはならないのだ。案外すごく安い景品で貰ったボールペンだったりする。

 しかしだなー、たまに手紙を書くといいぞ。自分が真っ当な思慮深い人間のような気がします。書き続けていると少しはそういうのも身につくのかもしれない。文章を考え、手を使って書く。手紙を書くことはボケ防止に最適だ。これから出来るだけ手紙を書ける相手をせっせと作るようにしようと決めた。どういう関係になるのかな?微妙だ。

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ラブレターってのもあったよな。死語か?

フランシス・アルバート・シナトラ

 おお、やっとここまでたどり着いたぜ。先週は夜の打ち合わせとかの仕事が軒並み並んでいて、眠くて書けなかったのでございます。ひーひー。で今日日曜は久しぶりに気分転換だー、やるぞ!ゴルフ!だったのですが・・・・結構悲惨でした。

 六甲国際東コースというのは結構難しく、今週から女子プロの公式試合も行われる(前の組は予選から出るプロが練習ラウンドをしていました。福嶋晃子に似ているなーと思ったら妹さんでした)くらいですが前はハーフで40台も出ていたのにな。今日は出るわ出るわOB、池ポチャ、ついにはシャンクという具合で精根尽きた。ゴルフが下手だと何か自分の全存在が否定されたような悲しい気分になってきます。まあたかが遊びに何言ってるの、という感じですが。

 しかし気分が悪い。こんな夜は何を聴くか?あるんだな、これが。「フランシス・アルバート・シナトラ・アンド・アントニオ・カルロス・ジョビン」というボサノバ・アルバムです。フランク・シナトラですが、このアルバムに限ってフルネームです。意味があるのかは判りません。シナトラは他にいっぱい有名なアルバムがあり、これはすごくマイナーですが、すごく素敵です。ジョビンは2曲ほどディエットしていますがあまり目立ちません。ポイントはアレンジャーがクラウス・オガーマンということで、僕は彼のストリングスアレンジ(弦楽ですね)を溺愛しています。何か彼の音はぼくをどこか遠くへ、空気の美しい、草の匂いのする、涼しい夢のあるところへ連れて行ってくれるのです。

 シナトラはいつも同じ。何を歌っても。でも彼の声はなごみます。僕は女性の声より渋い男性の声のほうに慰められ癒されるのです。ひょっとしてちょっとまずい性癖があるのでしょうか?ジャズボーカルは絶対男のほうがよくて、なにか人生つらくても何とかやっていけるよ、と言われているような気分になるのです、誰であろうと。やっぱりおかしいか。まあいいや。

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ジャケはパッとしないな、まあいいや。

 

ノルディック・ウォーキング

 今日のお勧めはノルディック・ウォーキングです。

 なにそれ?とお尋ねの貴兄に教えてあげよう。フィンランドが発祥の地で、そこで研修を受けてきたうちのスタッフが輸入した、というのは嘘で教えてくれたのですが、彼の地ではご老人がスキーのストックをつきながら歩いていた、歩行練習になるし腕も使うので運動量もアップするという優れもの!日本でもないんでしょうか…と言っていたら、なんと仕事でお知り合いになった方が偶然お持ちになっていて1セット戴いたのです。その頃僕の足の状態はかなり低迷していてこれで歩行練習をして下さいという意味合いだったのね。

 しかし残念ながら僕はあまり使わなかった。なぜならそれで歩行できるくらい足の状態が良好じゃなかったのだ、今から思えば。

 歩くだけで疲れてたもんなぁ。そのまま1年以上そのままになっていたのですが、最近突然!天啓のようにこれを使おうという意思が働いた。

 愛犬の散歩に使ったのですが、リードとウンチ袋を持ってというかなり不安定な状態ながら平気でワシワシ歩く。まず気がついたのが、歩幅がとても大きくなるのだ。安定が良くなり歩くことの負荷が減るせいで非常に楽。そして腕を使うことは結構運動になって汗が出てくる。基礎代謝が上がるなぁーという感じ。結構山道みたいなところも歩いたのですが安定性がぜんぜん違う。そういえば最近山登りでもストックを使ってたなとどこかで読んだ記事を思い出す。

 結論:これは平気でガンガン歩ける人には無用かもしれないが、歩行に若干トラブルのある人においては非常に有益なツールであります。パワーリハを利用されている方にはとても有効だと思う。今少しずつ使っていただいています。僕も自転車で移動するのは止めて、出来るだけこれを使おうと思う。皆さんも是非経験してみてください。

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イケます

 

世界の果ての庭

 松岡農相とZARDの坂本泉水さんが亡くなった。どちらの方にも特に思い入れがあったわけではないが、天寿を全うされたわけでなく、覚悟の上であったのか突然であったのかも分からないが、ともに不幸な逝き方であったと悲しく思う。ご冥福をお祈りする。

 ニュースを見てもいい気持ちにならないから本を読む。西崎憲氏の「世界の果ての庭」。第14回日本ファンタジーノベル大賞大賞受賞作だそうです。前に一度読んであまりの好みに狂喜した。がっちり僕のテイストだったのだ。また読み返そうと思っていて、手に取った。全然ストーリーを覚えていない。まあ、覚えられないような話だ。これは5つ位の別の話が平行にすすむのだが、ショートストーリーがアト・ランダムに出てくる。時代も主人公も、語り口も全く違うのだが一貫した味わいがある。それは清潔で落ち着いていて、上品で教養があるのだがなんとなくちょっとエロティックで、夢のような話だがとてもリアリティがあるのだ。

 全く違う話が平行に進行していくが最後にそれがどうなるかというと・・・

 別に役に立つわけでない。人生が変わるわけでもない。しかし読んでいると心から「好きやなー」と思える本。僕にとって映画ではメル・ギブスンの「危険な年」(映画を2回見、ビデオを買い、DVDを買った)にあたる感じの本です。実はまだほかにもあるんだけど。時間があれば是非、と言いたいが僕の好みは変なので別にお奨めはいたしません。

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もう在庫はなさそうね

 

颯爽と去る

 昨日の土曜日から淡路島に行ってきた。もう何年続いているか分からないが、かって大学病院で動物実験をやっていたグループの定期宴会である。年に4回ぐらい幹事回り持ちでおいしい飯屋を選んで集まっていたのだが、時々泊りがけが入るようになり、昨日は洲本の寿司屋さんである(島田紳介氏がよく来ているそうで確かにうまい!周りの風景から1軒だけ異質にお洒落な店構えですごく混んでいた)。年齢差は7,8歳くらいにまたがっている8人で、昨晩は淡路島で開業している女医さんがゲストとして加わった。

 朝ごはんの時、一人が脳梗塞で倒れた父親の介護で母親が欝状態になっているという話をする。多かれ少なかれみんな似た状況を経験している。「もうそんな年やもんな」という台詞も出る。そのとおり。そして内科医の使命、ミッションというのはそんな状態を避けること。100歳まで頭も身体もしっかり元気で、そして試合終了のホイッスルとともにスタジアムを後にするように颯爽と去っていく人生であるよう手助けをすることだろう。アンチ・エイジングとはそういうことだ。

 行きも帰りもいい天気でZをオープンにして走る。僕は快楽の閾値が低い人間で、いい天気に風に吹かれて移動しながら好きな音楽を聴いているだけで生きててよかった!と切に思う人間である。サザンの古いのを聴きながら大声で合唱する。”うねり来る波にー、のるための勇気を、僕に与えてくれー♪”

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淡路大橋の一部(と携帯カメラを構えた僕の手が写るバックミラー)

糖尿病コーチング

 僕は城東区にある社会福祉法人「そうそうの杜」の嘱託医をしています。そのため障害者の方がよく来られるのですが、糖尿病の方がかなり多い。食事や運動療法が、身体的なことや理解の程度の問題などで難しく、なかなか治療は難しいかもしれないなと思っていました。

 しかし!実は「そうそうの杜」グループの治療成績はダントツにいい!いつもスタッフの方が一緒に来られるのですが、飴と鞭を使い分けるように励ましたり叱ったりしながら治療をうまくいくように努力されています。そして患者さんもかなり素直に従っておられます。当然血糖値はどんどん改善されていく。

 昨日は一時インスリンを1日60単位も使っていた方が、ついにインスリンを必要としなくなりました。膵臓のインスリン分泌能が回復してきたのです。「もう必要ないと思うよ」というとスタッフの方は患者さんと「やったー」と言いながら握手して、患者さんも僕と握手してくれました。素晴らしい。

 当院の糖尿病の患者さんの治療成績をみてみると、正確な統計ではなく印象ですが、3分の1はGood!3分の1はso so,3分の1はBad!です。糖尿病はご本人の病識、意欲、意志が無ければ医者が何を言ってもよくなりません。ご本人だけでは難しいケースでは、それを支えるコーチングが必要ではなかろうかと思います。「そうそうの杜」の場合はコーチングではありませんが、誰かが意志を支える、方向付けるのは欠かせないことだと彼らを見て思いました。

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ささえる

サプリの帝王

 テレビ大阪(製作は東京か)の「カンブリア宮殿」を見ました。サプリメントという言葉を日本で広めたファンケルの名誉会長、池森氏が出るからです。僕は村上龍氏のファンで、彼が司会をしていることから前から興味があったのですが見たのは今日が初めてです。経済界において注目の人物が毎週インタビューをうけに登場しますが、村上龍氏は経済に非常に興味があってメールマガジンも発行していますし、テレビ東京、大阪の経営は日本経済新聞社だからでしょうね。

 で、内容ですが、まあ面白かった。立志伝中の人物であり、苦労話や現在の経営方針など(異業種から来た人間に会社は活性化されるとか、経営者にとって一番大事なのは好奇心とか)ああそうねという感じで見ていたのですが、一番ピンと来たのは彼が非常に若いこと、色艶のいいことです。70歳になられるそうですが印象が若々しく清潔です。彼は1日に70錠位サプリメントをとるとのこと。

 僕の知っている人でサプリメントをかなり内服している人は、芸能人とかを含めてもみんな同じように艶々している人が多い。どうも効果があるのではないかと確信しそうです。以前僕はサプリメントに懐疑的だったのですが、その根拠となった学術的報告の観察期間は短く、しかも単一のサプリメントで癌に対する効果等を見たものです。マルチビタミンや抗酸化物を大量に長期にわたって内服した例を調べたものはなく、アクティビティなどを評価しているわけでもない。長期的な影響は定まっていません。知っている限り、内服しているよと広言している人物はほぼみんなツルツルで年齢より若く見えます。

 うーむ、「内服」「金の無駄」どっちのカードだ!どうするよ、おれ!続く!ということはなく実はもう飲んでいる。だけど確かなことをひとつ教えてあげよう。サプリメントはどれもみんな一緒じゃなくて質の悪いものも多い。選びましょう!どれがいいかは僕に訊いてね。それと村上龍くん、君もサプリとったほうがいいよ。

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ちょっと考慮しよう

ミディクローリアン

 ミディクローリアンとはなにか?そこの君、あまり物を考えてなさそうな君、判るかね?まあ、別に知らなくてもいいや。これはスターウォーズに出てくる、フォースの単位みたいなものだ。何でこんなことを言っているかというと、昨日の続きで若い奴と話しているとなんで元気になるかと考えていたのだが、心の元気さというか弾力性みたいなエネルギーがある。ではそれをあらわすのにいい単位がないかなと考えているうちに思い出したのである。

 エネルギー保存の法則というのがある。物体の位置エネルギーと運動エネルギーの和は等しくなるというやつだ。人間においても年をとって内容はともかくそれなりに地位が高くなると運動能力(身体、精神ともの)は落ちてくる。若い奴は運動エネルギーが高い。まあ総てに例外があるが。その運動エネルギーがこちらに仕事をするとえらそうな気持ちはなくなって楽しくなる。気持ちの位置エネルギーが下がるのである、なんてことを愛犬を散歩させながら考えていた。

 精神の若さを定量的に評価するのは難しい。うつ病のスケール、「やる気スコア」なんてのもあるが、もっとスピリットというか精神の純度、若さを評価できたら、これはかなり病気というか、前病気状態とも相関しそうな気がする。抗加齢クリニックの評価項目に是非入れたいな。

 単位はやはりミディクローリアンがいいな。でもジョージ・ルーカスに莫大な印税を払わなくてはならないとするとちょっと無理。誰かいいのがありませんか?

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わしの値は高いで

若い奴ら

 今日は宴会の掛け持ちだー。午後2時半から城東区医師会の総会がありました。僕は理事なのですが最近何かと忙しく理事会もサボりまくっており、会う人ごとに「お久しぶり!」と言われて、一緒にいたN先生にあきれられてしまいました。いやー、つらい。今回はちゃんと最後まで居ましたが、次の会に備えて食べる量をセーブしたりして、僕としては非常にお上品に会場を後にしました。
 
 次は西宮で大学のクラブの納会です。僕は競技スキー部でノルディックを6年間やってました。あんなしんどい競技をやる人は今も当時も少なく、ちょっとだけ西日本医学生大会でいい成績だったので高松宮杯選抜というのに兵庫県強化選手として選ばれたことがあります。今はJRですが当時は国鉄のそればっかりやっている恐ろしげな人たち(大盛りのどんぶり飯を軽く10杯、最初の1杯は沢庵1切れで食べる)と一緒に合宿し50km走ったのは、悪夢というのは何かということを知った最初の体験でした。それ以降悪夢の連続ですが。
 
 21,2歳というキャップテン、マネージャー、ノルディック主任と話していたのですが、イヤー、面白かった。僕は最近の若いもんが大好きです。医学部の授業は年々きつくなっており、講義、試験の大群をすり抜けてクラブを続けるのはかなり大変ですが、そのずっこけライフは笑える(彼らは学業ではかなり入賞ラインから外れているようだ)。おっさんばかりの会は詠嘆ばかりで本当につまらん。何があっても笑い飛ばせる感性は本当に頬ずりしたくなる位素敵だと思います。そいつを失うなよ!

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もう何10年もやってないや

くるくるくるくる

 朝日新聞の連載「ドキュメント・医療危機」を見ると「日本は医者を大事にしない」とタイトル。おっ、医者を目の敵にしてきた朝日新聞の中にもまともなやつが、と読んでみる。が、内容はいかに医者の経済基盤が弱いかということであった。大学教授でも定年後は働かざるを得ない、どうみても銀行家のほうが羽振りがいい、病院の経営母体が変わると年金も途切れ生涯賃金でもかなりの損である・・・

 まぁ真実だけどね。医者が経済的に恵まれていたのは我々の父親の世代までであろう。今は3K(きつい、きけん、きたない)の典型で自分の子供を積極的に医者にしようと思っている人間は世間の人間が思っているより遥かに少ない。欧米と比較するまでもなく日本の医者のコストパフォーマンスの悪さはすごいと思う。勤務医の激務は知られるようになったが開業医にしたって朝の8時半から夜の9時まで1時間の昼飯以外は全くフルに診察、往診、検診だった私の今日を考えると、このお年で…と涙が出る。

 しかし、言うのも恥ずかしいが「やりがい」というのがあるんだな。その意味で僕は医者はいい職業である、天職であると思っている。

 僕の患者さんにある会社の専務さんがいる。70台だがとてもそうは思えぬバイタリティを誇る。彼は僕にいつも言う。「借金があるから頑張って働こうと思えるんです。先生、借金つくらな!」・・・言われなくてもいっぱいあるって。まぁ、それだから働くというわけではないが、何に追われるものもなく悠々自適で海外旅行が趣味といういやみなおっさんになるつもりは全然ない。だいたい何のリスクもない趣味に生きたところで何が楽しいのか全然わからん、私には。

 こうやって貧乏性よろしく死ぬまでくるくるくるくる働くんだろうなと思う。しかし実はそれこそ最高の生き方。そう思うのは僕だけ?

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Doctor of dreamね。成りたいもんです。